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第542回 株式会社マグネティックフィールド 代表取締役 山本将守氏
update 16/06/07
株式会社マグネティックフィールド
山本将守氏
株式会社マグネティックフィールド 代表取締役 山本将守氏
生年月日 1980年11月6日
プロフィール 愛知県北名古屋市出身。高校卒業後、サッカー留学のため、ブラジルに渡るが、エージェントに騙され、クラブチームに入ることもできず1年で帰国。帰国後も4年間は、Jリーグを練習生として渡り歩く。24歳でサッカーに見切りをつけ、家業である酒屋を引き継ぐ。それが新たな道の始まり。
主な業態 「純米酒専門 YATA」
企業HP http://yamamotomasamori.com/

酒屋の次男。

兄弟は2人。兄は良く勉強ができた。「ゲームマニアで、オタク」というのが弟である山本氏の評価。父親は、酒屋を創業。地域密着型の家族経営をつづけていた。
「まだコンビニもない時代に朝の4時や5時まで仕事をしていました。地元の人には、愛されていたと思います。父は外回り、母は、なか。2人で役割をきっちりわけていたようです。でも、朝から晩までがむしゃらに働いていたから、子どもの私たちをみられない。そういう苛立ちもあったんだと思うんですが、2人は喧嘩ばかりしていたという印象です。でも、いいパートナーだったんだと思う。私は小っちゃい頃から『母ちゃん、母ちゃん』って、母を追いかけるタイプ。肝っ玉、母ちゃんが、大好きだったんです」。
兄とは異なり、弟の山本氏は、ゲーム機器のなかではなく、グラウンドを駆けるゲームに没頭した。
「小学校からサッカーを始めるんです。高校は愛工大名電に進学します。名古屋では、強豪校の一つです」。その強豪校で、3年生の時にはキャプテンを務めている。
なんでも、1年生の時には100名いた部員が、卒業時には20名くらいになっていたそうだ。
「私の家から学校までも距離があったんですが、学校からグランドまでが片道18キロ。雨の日も自転車で学校とグランドを往復です(笑)」。
雨の日は制服までびしょ濡れ。2時30分に授業は終わり、4時にグラウンド到着。全体練習は6時までだが、その後も、練習をつづけた。帰宅は12時。ご両親もたいへんだったに違いない。
ちなみに、愛知工業大学名電高等学校、いわゆる「愛工大名電」は、野球の名門校。山本氏の言う通り、サッカーも強豪で、県大会で、ベスト4にはつねに名を連ねている。

サッカー留学?

がむしゃらに仕事をする父と母を観てきた。そんな父母を観て「かっこいい」と表現する山本氏である。山本氏自身も、仕事とは違うがサッカーに没頭する。
当時のサッカー部監督は、そんな山本氏をどうみていたのだろうか。高校3年の夏、山本氏にブラジルへのサッカー留学を勧めた。これがのちにひと波乱を巻き起こすきっかけになるのだが、この時は、夏休みの1ヵ月半のみ。
「日本とブラジルでは、戦術からして違います。いい勉強になりました。高校を卒業して、もう一度ブラジルに渡ったのは、こういう経緯もあったからです」。
高校を卒業した山本氏は、某Jリーグチームのエージェントを通して、ブラジルに渡る。しかし、そのエージェントに一杯食わされた。
「ブラジルに渡ったとたん、エージェントとの音信が不通です。騙されたんだと思ったものの、どうすることもできません。留学の費用や渡航費以外にも、父は、生活費のために400万円くらい渡していたらしいんですが、それも、これも全部パーです」。
2度目といっても、まだ18歳。ずいぶん心細かったことだろう、と思っていたが、どうも、そうではなかったようだ。想像以上に、自立している。
「留学先として予定していたクラブチームのグランドまで行って、グランドの周辺を疾走して、アピールしました。狙い通り、オーナーの目に止まり、テストを受けさせてもらって、見事、合格です。しかし、またまたエージェントの手抜きで、労働ビザが下りないことがわかったんです」。
ふたたび煮え湯を飲まされる。それでも、あきらめず留まった。
「正式なサッカーチームではプレーできないんで、ストリートサッカーもしました。相手のラフプレイで、指をぜんぶ折られたのも、この時。医者に行っても言葉が通じない。生きてくために、言葉も必死で学習しました」。
日本人も多かったのだろう。必死に生きる青年を町の人も応援した。「マサモリ」。町にでれば、いろんな人に声をかけられた。
のちに、山本氏は、あるJリーガーチームで、通訳のような仕事をするのだが、それができたのも、この時があったからだ。日本の有名な酒蔵の親戚の方と縁ができたのも、この時。「物語りですよ」と山本氏。
地球の反対側。18歳の青年は、歯を食いしばることで、様々なことを学んだのだろう。期間にしておよそ1年。とんだ波乱の人生だが、サッカーをあきらめたわけではなかった。

29歳の覚悟。

「帰国後、私は、練習生としてJリーグを渡り歩き、24歳の時に、サッカーで食べていくことを断念します。運もなかった、といえばなかったし、実力も足らなかった。ある新聞に『元Jリーガー』と取り上げられたことがあるんですが、私にとっては、そうじゃない。たしかに、ほかの人からみれば籍を置いたことになるんだと思いますが、それを誇りたいわけじゃない。ただ一つ、言いたいことがあるとすれば、酒も、たばこも、何にも知らないサッカーバカが、プロのピッチは駆けられなかったけども、もがき苦しんだことによって、得たことも少なくなかったってことです」。
24歳。サッカーの道を断念した、山本氏は、実家の酒屋を引き継ぐ覚悟をする。
「ちからをためすには最適だって思ったんです」。
しかし、父親に思いをぶつけると意外な答えが返ってきた。
「断られてしまうんです。父にすれば、規制緩和やディスカウントの時代になったから、今更、酒屋はないだろって。それでも私は覚悟を決めていましたから、土下座して頼み込みました」。
そうまで言われて反対する理由はなかった。
ただし、3年間、給料もゼロ。「4年目になってようやく15万円の給料がでて、結婚も許された」とのことである。
それから2年。29歳になって、もうそろそろいいだろうと、代表権を託された。晴れて酒屋の店主となったわけである。ここで、山本氏は意外な行動にでる。
「親父も、おふくろも、全員、クビにしました。意見が合わなかったからです。そりゃそうでしょう。私が代表になったとたん、ビールの販売も止め、いままでの付き合いも断りましたから、そりゃ、反対しますよね。しかし、私は、私の考えでやらせてもらうときっぱり宣言したんです」。
「なぁなぁ」という選択肢はなかった。山本氏の「覚悟」の表れだった。

八咫1号店。

酒も飲んだことがなかった酒屋の息子が、「酒屋」をひっくり返した。酒屋という業態をひっくり返したとも言える。日本酒のみ。ネットにも、注力する。利き酒師ともなった。日本中の酒蔵を歩きまわった。
むろん、酒もたばこも知らない。だから「最初は、ぜんぜん旨くなかった(笑)」と本音をもらす。あるパーティに招かれ、「久保田」を飲んだ時には、旨くないと思いながら、『旨いっすねぇ』と調子を合わせた。
走り出したら、とまらない。鋭利な刃物のような情熱で、いままでの「酒屋」というスタイルに切り刻んだ。「愚痴をいうための酒じゃなく、旨いから飲む酒を」と思ったのも、刃の一振りだった。その結果、「八咫1号店」が誕生する。父母にも相談せず、有り金、150万円を使って、4.5坪の店をオープンする。この店が大ブレイク。ひと月に700人以上がやってきた。いっておくが4.5坪の店に、である。

酒屋の、磁力。

「八咫」については、ホームページをご覧いただくことをお勧めする。店主の山本氏の思いが、凝縮されているからだ。「八咫」はいまでこそ、新宿にもあるが、始まりはすでに述べた名古屋に開いた4.5坪店である。酒屋を本業とするから、アンテナショップという位置づけでもある。
ルールというよりも、鉄則がある。客に鉄則を強いる一方、自身には更に厳しい戒めを設けているにちがいない。
ここで、ホームページに記載されている一文を記載する。
「純米専門『八咫』は、日本酒を気軽に楽しめる立飲みスタイルの日本酒バーとして誕生いたしました。日本酒を当店なりの角度で心から楽しんでいただきたいという思いで運営しております。日本酒を当店の意向にそぐわない楽しみ方をされるお客様には、 不本意ではありますが退席をいただく場合もございますので予めご了承下さい。」。
挑戦的な一文とも受けとれるが、これもまた山本氏の覚悟である。
日本酒は不定期にかわる。看板メニューは、2000円飲み放題の利き酒。ここにもルールがある。
1杯50ミリリットル。何杯飲んでもいいが、おなじ銘柄は、飲めない。
アラカルトで、利き酒師、山本氏が選択した至極の一杯一杯を楽しむ。どう楽しむかは、客次第であるが、山本氏にとっては、1人1人とのまさに真剣勝負である。
現在、「八咫」は名古屋と東京に5店舗を構えている。いずれも、うれしいことに人気店だ。
地球の反対側まで行き、サッカーというスポーツをひたすら追いかけた青年が、一つの覚悟のもと、はじめた酒屋業。こびない強い思いは、ひょっとすれば酒ではなく、おのれ自身を売っているという気持ちから生まれているのではないだろうか。だからこそ、安売りができない。
山本氏の強烈な主張は、強い磁力を生む。「マグネティックフィールド」は、磁場という意味。山本氏がつくった、新たな酒屋の磁力は、強い。

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