年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
第544回 株式会社SOLE 代表取締役 上野陽治氏
update 16/06/21
株式会社SOLE
上野陽治氏
株式会社SOLE 代表取締役 上野陽治氏
生年月日 1982年8月3日
プロフィール 会津若松市に生まれる。高校卒業後、バーで勤務を開始。6年間下積みをつづけ、24歳になる年に、バーをオープンする。1号店の成功をもとに、ガールズバーなど2店舗を立ち上げるが、軌道に乗らず撤退。28歳の時、TVで観たエムグラントフードサービスの創業者、井戸実氏に惹かれ、直接コンタクトを取り、井戸氏が経営する「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」のフランチャイズ店を会津若松で展開する。
主な業態 「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」「ヴォーノ・イタリア」「CONA」
企業HP http://sole.xsrv.jp/

会津若松市にて、過ごした少年時代。

福島県の西部一帯を占める会津地方の中心が、会津若松市である。今回ご登場いただく上野氏が会津若松に生まれたのは1982年のこと。2人兄妹の長男である。
「小学校の頃は、近くの阿賀川で魚を取ったり、泳いだりして遊んでいました。周りの子は、ファミコンを持っていましたが、うちは買ってもらえなかった。ぜんぜん裕福じゃなかったからです」。
成績は10番目くらい。小学4年生からバスケットボールをはじめ、中学校ではバレー部に入った。「野外でするスポーツがどうも苦手だった」と上野氏。バレー部は結構な強豪校で、上野氏の1つ上の学年までは、会津市の大会でつねに優勝していたそうだ。「私たちの代で監督が代わって、急に弱くなりました(笑)」。なんでも監督自身、バレーの経験がなかったそうだ。

ツイストパーマをかけ、茶髪で決める。

会津工業高校に進学した上野氏は、音楽に熱中する。音楽は野外でやらないから問題がない。バンドを結成し、ライブハウスで演奏した。チケットをさばくついでに、女の子にアプローチし、連絡先を聞いたりもした。多少なりとも利益がでたというから、人気バンドだったのだろう。もっとも、親から小遣いを貰ったことがない上野氏である。ケータイ代のために、セブンイレブンでアルバイトもしなければならなかった。
「音楽は、高校1年からスタートしました。当時は、パンクが流行っていて、私の頭もツイストパーマで茶髪です。だからと言って、真面目じゃないわけじゃありません。ただ、担任の先生がおおらかな人だったから許されたものの、そうでなければ、ずいぶん怒られたかもしれない。バイトも、髪型も、校則違反です(笑)」。
「セブンイレブンのバイトは楽しかったです。オーナーがとてもいい人で、私らをかわいがってくれました。展示会にも連れていってもらったし、経営のことも、勉強させてくれました」。
仕入れから流通、販売まで。原価がわかれば、利益構造もイメージできる。すべてがわかったわけではないが、高校時代から、そういう経営目線を持っていたことが伺える。
「そうですね。たしかにあの頃から経営に関心があった気がします。ライブだって、チケットをさばいて会場費を払って、残りが利益でしょ。さばいただけ、利益になる。そういう単純な構造に惹かれたんでしょう」。

6年間の下積み時代。

「お金があったら、東京に行っていたかもしれません」と上野氏は言う。会津だけでは、なかなかいい会社に出会えなかったからだ。「当時、カリスマ美容師っていうのが流行っていて、一時は、美容師もいいなと思ったんですが、専門の学校に行くにも、とにかくお金がない。とはいっても普通の就職を考えていたのは最初だけで、卒業する頃には、独立を前提に考えていました。そして、就職したのがバーです。いちばん、給料もいいし、何より私にも独立できそうな気がしたからです」。
月23万円。たしかに給料も悪くなかった。両親に反対されたが、聞く耳をもたなかったそうだ。「合計6年間。昼夜逆転の生活です」。この6年間を上野氏は、「下積み」と明言している。6年間、独立という目標を見失わなかった証拠ともいえるだろう。
独立すると明言していたが、実際に独立すると、後指をさされたそうだ。あいつにできるわけがない、と。「いわば、同業のライバルですから、そう言われてもしかたありません」と上野氏は悪きっている。
ところで資金はどうしたんだろう。「いっときは300万円くらいまで貯めたんですが…」と苦笑い。
一人暮らしを始め、車も購入して、使ってしまったそうだ。
「そういう意味では、目標を見失いかけていた時期があったのも事実です。これではまずい、と思ったのが23歳の時です」。再チャレンジ開始。1年間で150万円を貯蓄した。これが、独立の元手となる。

24歳の挑戦。

儲かった、と上野氏は笑う。月商が100万円を超えると、超えたぶんが利益になった。初月から半年くらいは、150万円。その後は、多い月には200万円を超えることも少なくなかった。そこから100万円を引いた額が、ぜんぶ利益である。「人件費を払って、それくらい残ったものですから、正直、天狗になっていました」。
「ビジネスは、ちょろい」。有頂天になって、ガールズバーと居酒屋をオープンした。ガールズバーは3年やったが、利益がでず、閉店。居酒屋は、赤字の連続で、1年でたまらずクローズした。
高かったハナは、簡単にへし折られた。
「管理ができなかったんです。店長を置いてもいませんでしたから。たとえばガールズバーなら、女の子が好きな時に出勤して、客が来た時だけはたらく。もう少し管理ができていれば、違ったんでしょうが、結局、いずれもクローズです。ビジネスは、ちょろいどころか、とんでもなく、たいへんでした」。
しかし、それで心まで折れることはなかった。バーが健在だったこともある。
「つぎにチャレンジを開始したのは、28歳の時です。バーってやっぱり昼夜逆転の生活だから、若いうちしかつづかないんです。それで、バーの、そのあとを考えなくてはと思っていた時に、TVで、エムグラントフードサービスの井戸実さんを知るんです」。
「この社長と一緒にやりたい」と思った。そう思えば、行動は早い。直接、井戸氏に会いに行った。話はトントン拍子に進み、会津で初の「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」がオープンする。
24歳で挑戦を開始し、4年経った時のことである。

会津若松に生まれた「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」、そこから新たな幕が上がる。

上野氏の話はおだやかで、説得力がある。いいことも、悪いことも包み隠さない。その真摯な話しぶりに好感が持てる。たぶん、人を引き付ける力がある人なのだろう。
「1号店は、けん会津若松店です。初期投資は2500万円。家賃は60万円。むろん、これでこけたら終わりです」。さすがに「不安だらけ、だった」という。
しかし、井戸氏にも励まされ、スタートした会津若松店は、みるみる客であふれかえる。「月商800万円が目標でしたが、オープンから20日で、1200万円をオーバーです」。上野氏が声を弾ませる。しかし、けっして天狗にはならない。一度、天狗になっているだけに、おなじ過ちは犯さない。
経営者が天狗にならなければ、出店しても、問題なし。上野氏なら、尚更だ。慎重に、だが大胆に、新たな賭けにでた。
「すぐに、けん白河店を出店。それに、つづけてヴォーノ・イタリア郡山安積店をオープンしました。当時は、けんも絶好調の時です。ヴォーノイタリアでも、結構な利益がでましたが、けんと比較すると、こんなものかな、と(笑)」。
むろん、ヴォーノ・イタリアが悪かったわけではない。それほどけんの勢いが凄かったのだ。
4店舗目は、再度、けんを出店する。「出店といっても、前のオーナーが撤退するとおっしゃるので、じゃぁ、私が、ということで、引き受けました」。
撤退するというのだから、業績はかんばしくなかったはずである。しかし、見事、蘇生する。「おなじ看板でも、大事なのはサービスの良し悪しです。ガールズバーでも勉強していますから(笑)」。
その後も、出店を重ね、現在6店舗を運営する。
今後の目標は、自社ブランドの構築だといって会心の笑みをみせる。
お金がなかった子ども時代。自立もたぶん、同年代の子どもより早かっただろう。ツイストパーマをかけ、茶髪で決めた高校生が、「経営を勉強できた」と喜んだ、その時から今の道は始まっていたのかもしれない。
改めて、会津若松生まれの飲食ブランドを体験してみたいと思った。ちなみに、社名の「SOLE」はイタリア語で、太陽という意味だそうだ。上野氏のこれからの輝きにも期待したい。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
子供時代 高校、バンド時代 バー勤務時代
思い出のアルバム4 思い出のアルバム5 思い出のアルバム6
ガールズバー ヴォ―ノイタリア郡山安積店 オープン ステーキけん お仕事体験
 
ご登録はこちら

この企業にご興味のある方は、下記フォームよりご登録下さい。
求人情報が出次第、お知らせします。

ご登録はこちら