有限会社ウィルビー 代表取締役 真瀬浩彰氏 | |
生年月日 | 1970年1月12日 |
プロフィール | 東京都練馬区に生まれる。日本大学卒。大日本印刷に就職し、3年間勤務するも、30歳までの独立をめざし、退社。そののち、東南アジアを巡り、シンガポールで出会った屋台の喧騒に触発され、アジア料理の店の出店を決意する。独立年齢は29歳。1号店は、1998年9月末、渋谷区にオープンしたアジア料理ダイニング「Asian Bar BAGUS」(バグース)である。 |
主な業態 | 「BAGUS」「草花木果」「草花木花」「南風花」他 |
企業HP | http://wil-b.jp/ |
サラリーマンだった父親の仕事の関係だろう。学校を転々とした。「3歳まで練馬で、それから茨城。小学3年から鎌倉で、中学2年からは関西です。高校で鎌倉に舞い戻ってようやく落ち着いた感じです(笑)。小さな頃は、何とも思ってなかったんですが、中学2年の時は思春期ってこともあって、さすがにイヤだなと思いました。それでも、向こうに行ったら行ったで、すぐに関西ののりにも馴染めました(笑)」。
小学校の頃は、剣道やスイミングなどを習ったりもしたが、熱中するものは特になかった。鎌倉の高校では、バンドもやった。「当時はバンドブームだったんです。ヘヴィメタルやハードロックを聴いていました」。
仲の良い友人たちとバンドを結成。公民館を借りて、演奏もしたそうだ。「高校時代、勉強はどうでした?」と質問すると、「まったくしていない」という答えが返ってきた。
「早稲田に行きたかったんです。高校の同級生も多かったもんですから。でも、現役では届かず、結局2浪しても、早稲田のカベに阻まれ、結局、日大に進みました」。この日大時代、真瀬氏は初めて飲食と出会う。
「そうですね。いちおう4年で卒業していますが、勉強より、バイトや遊びに全力投球でした。学生時代の4年間、ずっとバイトしていたのは、30歳くらいの、脱サラでお好み焼きを始めたオーナーのお店でした」。オーナーの気さくな人柄もそうだが、そのふるまいも格好良く映った。
「自由っていうんでしょうか。アルバイトとも、ほんと気さくに話をして。そうですね。飲食が楽しいと思ったのは、あの時のオーナーがいたからだと思います。そういう意味では感謝です」。
大学生活の最後には友人と2人、はじめて海外旅行も経験した。視野が広がった。
就職は、大日本印刷。超大手である。2浪しているから、入社時には24歳。
「大日本印刷に就職して、まずは良かったんですが、どうもサラリーマン生活が肌に合わない。1年くらいで辞めようと思いました。でも、その時は、同期に『1年じゃ、何もわからず辞めてしまうことになる。それは、だめだ』って諭されまして」。
それで結局、石の上にも3年と、同期の助言に従って4年目で退社している。
「私は営業だったんですが、同期の中では成績も評価も良い方でした。仕事も、つまらないというわけでもなかった。ある意味、不満もなかったんです。それでも、このままではという気持ちがあって、それで退職。次の仕事の予定はありませんでした。ハローワークにとりあえず行こうくらいですね。予定していたのは(笑)」。
当時の有り金は、300万円。
もうひとつ、もう一度、海外に行こうと決めていたそうだ。
「私が大日本印刷を退職したのは、27歳の時です。30歳まで何かしたいなというのが、漠然とあっただけです。その漠然とした思いが、輪郭を持つのが、この時の旅でした」。
東南アジア。「シンガポール、マレーシア、タイの屋台でで、食事をしていた時に、これだって思ったんです。この屋台を参考にしたアジア料理のお店をやってみたい、と思ったんです」。
1998年9月末、真瀬氏は、渋谷区にアジア料理ダイニング「Asian Bar BAGUS」(バグース)をオープンする。ただし、料理の経験はない。どうしたんだろう。
「アジアから帰国し、アジア料理のお店をしようと決めてはいたんですが、何分、大学4年間の飲食経験しかない。それで、恵比寿にあったアジア料理の店で、1年間修業させていただきました。すぐに料理を教えていただけたのは、ラッキーでした」。
そして、1年後の1998年に、「Asian Bar BAGUS」をオープン。1年といえども、目標があるから中身が濃い。人の3倍、はたらいた。
「いまは、移転して渋谷区道玄の2Fですが、もともとは地下1階。11坪で、保証金が550万円、家賃26万円でした」。
スケルトンだったから、工事代もかかった。「知り合いの大工さんにお願いしたんで助かりましたが、ふつうなら、相当、お金がかかったと思います」。
真瀬氏の場合、知り合いに頼んだおかげで、「工事代金は300万円以内に収まった」そうだ。あとあと、こういう経費は、響いてくる。
「大学時代の友人や大日本の同期も、けっこう来てくれたもんですから、スムーズに軌道に乗ったほうだと思います。アルバイトは2名ほどいましたが、妻もいっしょにはたらいてくれていました。大日本を辞めてから、付き合いだしたんですが、彼女も、アジアのテイストが好きだった。そういうことで、気が合ったんでしょう。ともかく夫婦2人ですから、『2人で暮らしていければいいや』くらいの気持ちでした」。
インタビューしていてもわかったが、そもそも、「金にしばられ、あくせくはたらく」タイプの人ではない。「1号店の時はもちろん個人です。2001年に法人化し、いまの『有限会社ウィルビー』を設立しました」。会社を設立したのも、スタッフのため、という色合いが濃い。
現在、有限会社ウィルビーは、創業店の「Asian Bar BAGUS」をはじめ、9店舗を展開している。2003年には、当時まだ無名だったアグー豚を東京で初めて「しゃぶしゃぶ鍋」で提供するなど、話題も豊富。2004年には、「手羽ばくだん」の生冷凍品を主商品として楽天市場店をオープン。インターネット販売を開始する。そののちも、南国の風を伝える楽しい店舗を出店し。現在に至る。
「けっして順風満帆だったわけではないです。やばい、という時もありました。それでも、スタッフたちやお客様のおかげで、ここまで来ることができました。これからは、企業体として組織をより強固なものにしていきたいと思っています」。
いまの課題は、人の採用だという。
「私はこれからの将来像として、ウィルビーを軸に、ウィルビーの卒業生たちでつくるグループ共同体みたいなものをイメージしています。独立しても、離れ離れになるのではなく、助け合って。そういう意味では、独立を志す人も、まだまだ採用していきたいと思っているんです」。
アジアの片隅。シンガポールで出会った、屋台の喧騒。そこから始まった、飲食の旅。もと大日本印刷の営業マンが手がけた飲食事業。その行先はまだまだ遠い、旅の先にある気がした。
高校時代(バンドをやっていたころ) | 大学時代(初めての海外旅行のロス) | サラリーマン時代 |
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サラリーマン時代 |
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