有限会社なんつッ亭 代表取締役 古谷一郎氏 | |
生年月日 | 1968年2月17日 |
プロフィール | 神奈川県生まれ。高校を2年で退学。27歳、TVを観て、行列ができるラーメン店に強烈に惹かれる。全国のラーメンを食べ歩き、「これだ」と思った店で1年間、修業。地元、神奈川県に戻り、29歳の時に1号店を出店する。「情熱大陸」など、TV出演も多く、古谷一郎著書『うまいぜベイビー伝説』(旭屋出版)も好評である。 |
主な業態 | 「なんつッ亭」「味噌屋八郎商店」「五郎ちゃん」「八福丸」 |
企業HP | http://www.nantsu.com/ |
27歳で天職に出会う。その時までの日々を、古谷氏はホームページで次のように語っている。「それまでの僕は、何も目標を持てず、何をしたらよいかわからないまま、ただただもがいていました」。
古谷氏は。1968年、神奈川県秦野市に生まれている。「両親は、定食屋を経営していました。ですが、父が大の博打打ち。店より、賭博です。でも、博打の稼ぎが、定食屋の稼ぎを上回っていたというから、ある意味凄いですよね。そんな父親でしたが、私が生まれてからは、まるで別人になったそうです」。
古谷氏には姉がいる。「この姉が、とにかく頭が良くって、つねに学年でトップだったんです。比べられる私はたまったもんじゃなかった(笑)」。
それでも血は争えない。古谷氏自身、中学2年の時に猛勉強を開始し、有名な進学校に進んでいる。
「入学当初は、その流れで540人中70番くらいでした。しかし、すぐに後ろにだれもいなくなった。1人いた、と思ったら、風邪で休んだ生徒でした(笑)」。
つまり、どんじり。
やればできたが、やる気がでない。「何もすることがなかったので、暴走族になりました(笑)」と古谷氏。きっかけは、姉の、ヤンチャな彼氏だったそうだ。
「両親は、別段反対しなかったですね。どうせ、説得しても無駄だとわかっていたんでしょう。母は、唯一、『捕まるな』って、忠告してくれていました」。
母親は、特攻服にアイロンをかけ、2000円を渡し、「ガソリン満タンにしていきなさい」と古谷氏を送り出したそうだ。
古谷氏が、高校生の時の話だから、1980年半ばの話である。暴走族真っ盛りの頃だ。古谷氏が、参加したチームは、30名くらいだったが、連合傘下を結集すれば2000〜3000人規模にも膨れ上がったそうだ。
改造車や改造バイクが、咆哮をあげた。車から身をのりだし、鉄パイプを夜空に突き立てた。いさましい咆哮と異なり、1人1人の心のなかはどうだったんだろう。「社会に対する不満が暴走を促した」と訳知り顔の評論家もいたが、「ただただもがいていた」というのが正解ではないだろうか。
ともかく、暴走の結果、古谷氏は2年で高校を退学している。
「22歳になって、定時制高校に入り直しました。やっぱり、高校くらいはと思って、です。定時制というのは、いろんな学生がいるんです。おっさんもいる。もちろん、私のようなやり直しもいる。先生は、たいへんです。でも、熱血漢の先生が多かった。私の担任も、熱心な人で、その人の勧めで、夜間の大学に進学しました」。
しかし、長くつづかなかった。というより、すぐさまという表現のほうがいいだろう。
「大学に進んで、ちょっとまじめに勉強したら、いきなり成績トップです。久々の勉強だったんですが、自分はやはり、『やればできる奴』だということが再認識できたんで、退学しました(笑)」。
何をしに、入ったのか。目的は、惰性にかわった。24歳から27歳までは、「パチンコ、カツアゲ、ヒモ生活です(笑)」。その時、お金をだしてくれた彼女が今の奥さん。いい話である。さすが特攻服、である。無骨で、案外、一本気なのだろう。
そして、27歳で天啓が下りた。
「27歳の時ですね。TVでラーメン特集をやっていて、行列ができていたんです。これだ、と」。冒頭で引用したように、何も目標を持てず、何をしたらよいかわからないまま、ただただもがいていた古谷氏の前に道が広がったのは、この時である。
しかし、ひらめいたといっても、ラーメン店の経営は簡単ではない。むろん、出店するにも経験がいる。「これだ」と思うのはいいが、いまだスープひとつつくれないのだ。
「それからは、行列ができるラーメン店を食べ歩きました。でも、旨くないんです。なんでだろう、と思うんです。根が単純ですから、俺ならもっと旨いのができる、と思っちゃうんです」。
「俺ならもっと旨いラーメンをつくれる」と、算盤を弾く。「週1日は休みがいるでしょ。だって遊びたいから。でも、週休1日で計算しても楽勝なんです。だって毎日100杯売れば、ベンツだって買えるわけですから(笑)」。
出店を計画する。しかし、さすがに修業というプロセスは、忘れていなかった。
「当時乗っていた私と彼女の車を売って、それで資金をつくって。代わりに購入した軽自動車に乗って2人で、福岡に向かいました」。
彼女は、母子家庭で育った。「まだ、働いてもいないのに、連れてはいけない」といったんは断ったそうだ。「しかし、結局、彼女に押し切られて(笑)」と古谷氏。
当日、彼女の母親に挨拶に行くつもりだったが、「ビビッてしまって、家の前を素通りしてしまった」と笑う。「ベンツに乗る」と大胆な計画を立てていたが、その一方で、置かれた立場を理解していたことの査証だろう。ともかく、2人は福岡に向かった。
向かった先は福岡だったが、惚れこんだのは熊本県にある一軒の店の味だった。アルバイトをしながら、修業を重ねた。わずか1年だが、必死の1年である。目的もなく、もがいていた日々とは違う。ラーメンを茹でる。スープをつくる。一つひとつが、真剣勝負だった。
「向こうで1年修業をして、地元秦野にもどって、お店をオープンしました。もちろんお金がない。だから、どんな業態の店でも潰れてしまうという激安物件を借り、スタートします。29歳の時です」。
オープン当日、彼女が突然、「籍を入れて」と話しかけてきたそうだ。「収入もないのに無理だ」と言ったが、彼女のほうが一枚上手だった。「『入れてくれないと、働かない』っていうんです。そんなの反則でしょ。で、『勝手にしろ』っていったらいなくなって、開店直前にもどってきました。もちろん籍を入れて(笑)」。
「彼女」が、「嫁さん」になった。籍を入れることは、奥様にとって一つの決意表明だったのではないだろうか。「私もぜったい逃げない」という。
ところで、オープンした店はどうだったんだろう。
「算盤通りにはいかなかったです。ぜんぜん」と古谷氏。「ほんとうの修業はここからだった」とも語っている。「お客様がぜんぜん来ない。閑古鳥が鳴きっぱなしです(笑)」。
不安が、募る。天啓はなんだったんだ。「でも、根拠のない自信があったのは事実です。『なんつッ亭にしか出せない味』を確立すれば、きっとお客様は来てくれる、と。それしか、道はなかったとも言えるんですが」。
毎日、毎日、来る日も、来る日も「なんつッ亭」の味をもとめて、試作を繰り返した。食材も、スープも、無駄になる。それでも、逃げない。
「私自身がこれだ、という味ができたのは、それからしばらくしてからです。臭みがなく、濃厚でクリーミーなとんこつスープ。スープにマッチした麺ができ、秘伝黒マー油も完成した。その一杯のラーメンを食べたとき、今でも忘れられないくらい感動しました。ついに、私なりの答えを導き出したという充足感で一杯になったんです」。
「なんつッ亭」は、現在、9店舗。うち4店舗は、海外店舗である。古谷氏自身は、TVでも有名なラーメン界のスターだ。
ブラウン管の向こうにあった幸せが、いま古谷氏のものとなった。名声も、手に入れた。ベンツどころの話ではない。しかし、かつての妄想を忘れたかのように、古谷氏は、ラーメンづくりに情熱を傾けている。
閑古鳥が鳴いた日々が、古谷氏を素直にさせる。一杯の、渾身のラーメン。それがすべて、である。「だからね。いまはいろんなラーメン店があって、店主も個性的で、一時はタレントみたいな人もいたけど、そういうのは、おかしいと思うんです。ライバル同士であるはずの店主同士が、群れてもしかたないでしょ。メディア用にわざわざ違うラーメンをつくったりするのも、へん、です」。
ラーメンを冒とくする奴は許せない。古谷氏は、そんなことをいいたいのだろう。もっとも、古谷氏は、「ラーメン屋は、ラーメンを作るのが仕事ではない」と言い切る。では何が仕事かといえば、「お客さんが、お店に入って来られてから出ていかれるまでの時間を幸せにするのが仕事なんだ」という。
この思いが、「なんつッ亭」の隠し味かもしれない。群れないといいつつ、古谷氏は、ラーメン業界の今からについても真剣に考えている。
「いままでは職人の弟子入りというので人が来ました。でも、いまはそうはいかない。若手を育てるのは、『職人』の二文字ではなくなったんです。少しさみしい話ですが、それが現実です」。しかし、若手が育たないと、未来もない。
「だからうちでは、実験的にですが、バイトでも味をだせるようなしくみを開発し、それを採り入れています。ラーメンづくりの楽しさではなく、お客様と接する楽しさを体験することから、スタートしてもらおうと思っているんです」。ラーメンづくりへの興味はそのあとでもいい、ということだろうか。
特攻服を着た暴走族も、丸くなったもんだと思ったが、やはりそうではないようだ。まだまだ、とんがっている。
「うまいぜベイビー!」。
国道246号線を走っていると、そう書かれた大きな看板と出会う。「なんつッ亭」のいまの本店だ。
ラーメンに出会って、自分を見つけた元暴走族が、一杯のラーメンのちからを知って欲しくて、吠える。
うまいぜベイビー!
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