株式会社モチモチ・ドリーム・カンパニー 代表取締役 福田浩幸氏 | |
生年月日 | 1954年東京都生まれ。 |
プロフィール | 小学校まで母方の親戚である酒屋に預けられる。幼いながら、商売のおもしろさに触れたのはこのとき。 大手ステーキレストランチェーンを皮切りに、飲食業の道を歩む。いったんイタリアレストランの経営者として独立。その後も、大資本のレストラン事業の立ち上げなどにも参加したのち、以前から惹かれてラーメン業態での独立を果たす。 彼が作った「もちもちの木」は、行列を覚悟しないと入れない人気店になっている。 |
主な業態 | 「もちもちの木」 |
グルメ雑誌でも有名な、行列ができるラーメン店「もちもちの木」。インターネットを使ってを検索すると、評判どおり、高い評価の書き込みに数多く出会った。
同店のラーメンは、煮干し・鰹節を中心とした和風魚系。熱々のスープが、最後まで冷めないのも特長のひとつ。女性にもファンが多く、ファミリーやカップルも交わって長い列ができている。いつもの光景だ。
同店の経営者が福田浩幸、55歳。豪快さと繊細さが同居したような人である。
生まれは東京の蒲田。母親の体調の関係もあり、小学校までは親戚の家に預けられる。商売を営むこの家で過ごしたことが、将来に大きく影響する。学業のほうは、お世辞にもいいとはいいがたい。子どもの頃は、とにかく遊びまわっていたようだ。
高校は空手部。「年功序列が厳しく、1年生が、3年生と話すことも許されない。理不尽なことばかり。初めての合宿では、毎食どんぶり飯を食って、それでも一週間で6キロ痩せた」という。厳しい部活だったが学んだことも多いという。礼儀や挨拶、言葉使いはもちろん、「組織」という概念についてもそうだ。
飲食に興味を持つようになったのはいつか? 学生時代にやったビアガーデンのアルバイトも引き金の一つ。2年目にはアルバイトながらホール長に。スタッフの動かし方を学んだのはこのとき。人の上に立つ才能が徐々に開花し始める。
大学卒業後、福田はいったんアパレル関係の会社に就職。2年で退職し、大手のレストランチェーンに転職する。ホールからはじめ、最後には「建て直し屋」のような仕事を任される。「チェーン店ですから、業績が振るわないお店もでてくる。そういう店を建て直してこい、と。3ヵ月で前年月の売上をクリア、半年で予算通りのお店にするのがミッション。それをことごとく達成するから、次々に指令が飛んでくる」と福田。もちろん口でいうほど簡単ではない。光熱費はもちろん料理からスタッフの行動までをチェックし、すべてを見直す。従業員の入れ替えが必要なら、福田はためらわずメスを入れた。経営の本質が「人」であると確信したのは、このとき。
この大手企業を退職後、ようやくイタリアレストランを開業。だが最初の挑戦は、長く続かなかった。
業績が悪かったわけではない。
「ランチは常に満席、評価も高かった。結婚式の2次会をはじめ、2〜3日に1度の割合でパーティも開いていただけました。でも、利益が上がらない。原価がかかりましたから」と当時を振り返る。真夜中を過ぎた閉店後に、仕事のパートナーである奥様と、ラーメンを食べるのが日課になる。
そのラーメンを食べながら、「うちの店のランチが700円。パンとか、サラダもつけて、それで、丼一杯のラーメンと同じだったんです。こりゃ、かっこつけてイタリアンをやっているいる場合じゃない」と舌を巻いた。
それまで、下にみていたラーメンという業態が、実は、飲食のなかでも、最も可能性のある業態として、福田の頭にインプットされていく。
福田はけっして慎重派ではない。どちらかといえば行動派だ。だが、このときもスグにラーメン店を始めたわけではない。イタリアレストランを閉店し、大手レストラン会社に転職。次には友人から誘われマーケティングの仕事を経験し、再度、大手のレストラン会社へ。
何度も転職を繰り返しているように見える福田だが、飲食という軸はぶれていない。マーケティングの会社でも、飲食関連のクライアントの出店に関わっている。
だから、それらがすべて財産になった。3度目の大手レストランは、和食関係のお店。そこでも前年割れのお店を次々に立て直すなどして、自信を深めた。煮干や鰹節といった和のダシを使った「もちもちの木」のラーメンの原型もこのときに生まれている。
「3度目に勤めた大手のレストランを退職し、もう一度、独立ということで、ようやく、ラーメン店を開業するんです。でも、実は、オープン前に足を切断しなければいけないぐらいの事故をして、半年間、お店にも出られなかったんです。後輩に、店長をお願いして、なんとかオープンするんですが、もともと資金がありませんから、家賃も払えなった。にも関わらず大家さんも、周りの人もみんな応援してくれて」。
あたたかい声援を受けながら、当初100万円台だった売上が、雑誌に取り上げられるようになり、2年後には月間1000万円をオーバーするようになる。経費はもちろん最小限。利益がどんどんあがるようになる。その利益を原資に、新宿(市街地)、野田(郊外店)に出店していく。出店することで、採用にも力を入れ始めた。
「素直」「謙虚」が福田の採用におけるキーワード。素直で謙虚であれば、育成する自信がある。
だが一方で、福田は今の若者の、「欲」のなさにも嘆く。
「うちのお店ならどんどん成り上がることもできる。ポストも、お金も、そうです。ラーメン専門店ですから、たしかにメニューは限られています。それをつまらないと思う人もいるかもしれません。でも、パワーはホンモノです。大手ファミリーレストラン数店舗の利益を、この小さなラーメン店、1店で稼いでいるのですから」。
誤解を恐れずにいえば、外食産業の社員には、2つのタイプがある。サラリーマンか、それとも商売人か。福田は商売人ゆえに、サラリーマン志向の大手外食企業にはなじめなかったのだろう。
もし、あなたが、福田と同様、後者であれば、若いうちから、「行列をつくる店」で修行するという選択は、きっと間違いではないはずだ。
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