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第568回 株式会社小松庵 総本家 代表取締役社長 小松孝至氏
update 16/11/29
株式会社小松庵 総本家
小松孝至氏
株式会社小松庵 総本家 代表取締役社長 小松孝至氏
生年月日 1953年
プロフィール 駒込出身。代々つづく蕎麦屋の3代目として、生まれ、家業としての「蕎麦屋」をみて、育つ。大学を卒業し、「小松庵」に入社。「蕎麦屋」の未来を思考する。そこから生まれたのが、本店のリニューアル。まったく新しい「蕎麦屋」をリリースし、新たな時代の扉を開く。3代目に就任したのは、2013年。
主な業態 「小松庵」
企業HP http://www.komatuan.com/

小松庵。

3代目である。「祖父が小松庵を創業したのは、大正11年です。祖父から、父へ。そして、私で3代目です。ただ、3人とも性格が違うし、方向も違います。小松庵のDNAは、たしかに継承してきましたが、表現はバラバラです」。
 職人堅気の祖父は、店舗展開に消極的だったが、父親はむしろ出店を積極的に行った。「ある意味、祖父に対するアンチテーゼだったかもしれません」。
蕎麦職人から、経営者へ。2代目の挑戦である。
1992年には、池袋メトロポリタンに出店。1994年には、恵比寿ガーデンプレイスへ。1996年には、新宿高島屋へ出店。2000年になってからも5店舗出店するなど店舗展開を図っている。
一方、孫である3代目小松氏は、先祖返りの部分もなくはない。「私自身、職人ではありませんが、『職人』の考えかたや、在りようにはつよくこだわっています」。
職人の仕事は、「文化をつくる仕事でもある」と考えているからだ。次の言葉からも、小松氏の考えが透けてみえる。
「蕎麦屋は、蕎麦をだしていればそれでいいのか。そんなことを考えているわけですから、やっぱり私も、先代たちとはちょっと違いますね(笑)」。
小松氏が生まれたのは、1953年である。生まれは、駒込。すでに、祖父は「小松庵」を創業されている。「祖父の時代は、とりわけ同族経営の時代です。母は、新潟から嫁いできましたが、祖父にすれば働き手が1人増えたくらいにしか思ってなかったんじゃないでしょうか」。
従業員ならまだしも、家族だから余計始末に悪い。「年間365日いっしょです。逃げられない。家族旅行っていっても、社員旅行でしょ。しかも、社員といっても親戚ばかり。母は、長男の嫁ですから、親戚からも冷たい目を向けられていました」。
創業者である祖父に反発できる者はだれもいない。孫の小松氏にとっても、怖い人だった。小松氏も、小学校に上がる頃には、母同様、働き手の1人となった。
「勉強していたら、祖父に殴られるんです。『頭が良くなったら、蕎麦屋をつがなくなる』というのが祖父の言い分。たしかに、あの時は蕎麦屋になんかなるものか、と思っていました」。祖父は、そんな小松氏の気持ち察し、はがゆい思いをしていたのかもしれない。
「ある日、母が『いっしょに逃げよ』といいました。でも、私たちは、逃げ出さなかった。どこかで、小松庵という店に惹かれていたんだと思います」。
祖父が亡くなり、父が2代目になってからも、母は店のために良く働いた。それをつぶさにみていたのは、小松氏ら子どもたちだけではなかった。「私が、銀行関係の方とお話しするようになった時に言われました。『あなたのお母さんは、ほんとうに良く働く人だ。小松庵を支えてきたのは、間違いなくお母さんだ』ってね」。
ちなみに小松氏母は、今もお店に出られることがあるそうだ。
時代は、大正から昭和、平成と移っている。新潟から嫁いできた母がみた当時と比べ、「駒込」の風景はもちろん、「小松庵」もまた、まったく違う姿をしているはずだ。

蕎麦屋の3代目の挑戦。

大学時代まで、ぱっとしなかった。外交的でもない。女子とわいわい騒ぐということもできないタイプだった。「大学で初めて、生涯の友ができた。それが、今の妻です(笑)」。
小松氏は、青山学院に進学。青学で始めたオーケストラで知り合ったそうだ。「それまで、何か楽器をしていたかというと、ぜんぜんそんなことはなかったんですが、突然、やろうと思ったんですよね。なぜか」。踏み込んだ先に、奥様がいた。音楽にもむろん惹かれた。文化への傾倒も、この頃に始まったのかもしれない。
「怠け者だが、凝り性」と小松氏は自己分析する。怠け者のほうはともかく、凝りだしたらとまらない。余談だが、30歳から始めたテニスでは、コーチを務めるまでになっている。その頃には、だれかれともなく言葉を交わす外交的な性格になっている。これも、たぶん奥様のおかげである。
小松氏は、1977年、同大学の理工学部、物理科を卒業している。大学出身の飲食経営者は少なくないが、理系というのはめずらしい。「ものごとを論理的に考える癖がついてしまっている」と笑う。だから、知り合った頃には、偏屈な奴と思われる時もあるそうだが、交流が深まれば、たいていの人は小松氏に好意を持つ。「経営者の多くは、現象を観る。私が観るのは、原理です」。
心ある人は、小松氏の言葉にいつか耳を傾けるようになる。ある会合に参加した時もそうだった。最初は、言葉がまるでかみ合わなかった。ただ、「2年で本質的な議論ができるようになった」と小松氏はいう。
「旨ければいい」。それでは「旨い」という現象にしか、目が向いていない。店は、存続しなければならないし、儲からなければならない。そうしなければ、文化を継承する職人も、生まれない。
「蕎麦屋は、少なくなっているんです。『それは、なぜか』を根本から考えないといけない。つまり、減少という事象のみに目を向けるのではなく、原理から考えないといけない。労働環境もそうでしょう。でも、それだけではない。文化や、時代背景など、実は、社会の体制にまで手を突っ込んでいかなければ、解決できない問題なんです」。
むろん、蕎麦屋が自らできることは限られている。だからといって、放っておくことはできない。3年前リニューアルした「総本家 小松庵 駒込本店」は、小松氏のひとつの挑戦だ。
ネットなどで確認いただきたいが、蕎麦屋という外観ではない。小松氏自ら「蕎麦屋っぽくないようにした」と豪語する。外観は、高級レストランに近い佇まいである。「つくりたかったのは、非日常」。けっして安くはない。ランチでも3500円。それでも、客は溢れる。
「蕎麦っていうのは、旨いだけでは経営が難しいです。旨いのはもちろんですが、それだけではだめってことです。安ければいい、でもない」。では、どうすればいいのか。その答え探しのために、小松氏は、新たな挑戦を開始したに違いない。

小松氏の熱い思い。

「うちが、本店以外で、初めて出店したのは池袋メトロポリタンです。意気揚々と出店したんですが、目の前にあったのが、手打ちを謳った有名な『うどん』チェーンだったんです」。
「うどん」と「そば」。消費者からすれば、いっしょくたである。
「そりゃ、ぜんぜん敵いません。価格だけみても2倍うちのほうが高いんですから」。「うどん」のチェーン店が満席になると客が流れてきたが、せっかく流れてきた客も、価格をみてUターンする。
「それでも、勇気のある人がたまにいらして(笑)。そんななかで、ある日、テレビで観るような『なにわのおばさん』がいらしたんです。わらにもすがるというんでしょうか、私は、『ちょっといいですか』と、失礼だと思いつつ、お客様の前に座らせていただいたんです」。
オープンして数日、客は一向に増えない。消費者の声を聞くために、小松氏は語りかけた。「そうしたら、『うどんと蕎麦は、ぜんぜん別物やん。私やったら、2倍払っても、こっちのお蕎麦をいただくわ』って。『大阪で、お店を経営していた私がいうんやから、間違いない。安心しぃ。もうすぐ、この店は、お客様で一杯になるから』。そう断言してくださったんです」。まだ小松氏も若い。自信を失いかけた時の一言である。「なにわのおばさん」が、マダムにみえた。神にもみえたことだろう。
おばさんの神託通り、1ヵ月もすると、客の入りが逆転した。小松氏が提供する「蕎麦」の価値が、理解されたということだろう。「それから、向こうさんには悪いですが、うちの独り勝ちです」。
小松氏は、時にわかりにくい表現をする。「今の時代、わかりやすいことが残っていくでしょ。あれは、違う。わかりやすいから残るのは、だれも何も考えないから。わかりにくいものを愛するというのも、実は大事なんです」。「わかりにくいことを愛することが大事」。これ自体、わかりにくいが、たしかに思慮深い一言である。謎解きをするために、頭が回転する。これが、大事。
「価格は、わかりやすい。安いか、高いか、それだけです。反面、価格に見合っているかどうかは、わかりにくい。でも、その本質を知らなければ、価格だけを判断基準にしてしまう。だれもが旨いというから、旨いではなく、自分の基準を持つことが、大事です。オーバーに言えば、それが食文化を生み出すインフラなんだと思います。一方、提供する私たちも、そうです。やすきに流れるのではなく、つねに、知識を吸収する、蕎麦以外にも興味を持つ。そういうことを私はインテリジェンスを持つと言っています。文化に対しても興味を持つ。それがインテリジェンスです」。
「このインテリジェンスと、ビジネスセンス、そして職人の技術、これをハイブリッドで持っていることが、次の時代を担う蕎麦職人だと私は思っています」。
「蕎麦屋だけじゃもちろんありませんが、時代が代わったのに、何もかわらないのはおかしいです。『昔ながら』というのはノスタルジックで、いい響きですが、これからも蕎麦屋として食べていこうとするなら、やはり変化を恐れてはいけません。父は、祖父の考えを改め、複数店舗を出店しました。私も、次の進化を考えていかねればなりません。本店のリニューアルは、その足がかり。経営も、父親の時代とは異なり、何より透明性を重視しています」。
教育方針もかわったことだろう。
「蕎麦屋って、早く閉店するのがステイタスだった時代があったんです。今だって、9時に終われば、それがいい店だって考えている人もいる。でも、私はそれも違うと思うんです。時間の長さだけではなく、たとえば『ディナー』という大事な時間を楽しんでいただける蕎麦屋にならないといけないと思っているんです」。
小松氏の話を聞いていると、とにかく、楽しい。そして、深い思慮に思わず頷き、頭が下がってしまう。「何だかんだいって、私がつくりたいのは、家族みんなで囲み、楽しむ食卓かもしれません。小さな時から、私がずっと追い求めてきたことですから」。
家族の食卓。食の原点は、ここだろう。食文化の原点でもある。新たなことに挑戦しつつも、その原点を忘れていない。そこがいい。
蕎麦屋の3代目。理系のセンスで、蕎麦屋の未来を、「インテリジェンス」「ビジネスセンス」「技術」といった3つの言葉で数式化する。むろん、数式だからといって、味気なくはない。その言葉の奥深くに、氏の様々なことに対する造詣とともに、熱い思いが潜んでいると思うからだ。

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