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第569回 株式会社麺庄 代表取締役 庄野智治氏
update 16/12/06
株式会社麺庄
庄野智治氏
株式会社麺庄 代表取締役 庄野智治氏
生年月日 1980年2月12日
プロフィール 神奈川県川崎市に生まれる。子どもの頃から料理好きで、高校生の頃には、早くもとんこつラーメンを自作。独学で、独創的なラーメンを次々、創作。2005年、1号店をオープン、以来、TVなどメディアでも頻繁に取り上げられ、6年目の2011年11月に2号店を出店。以来、年間1店舗のペースで出店をつづけ、現在、国内6店舗、海外(サンフランシスコ)にも1店舗出店している。
主な業態 「麺や庄の」「GACHI」「MENSHO TOKYO」他
企業HP http://menya-shono.com/

教科書は、「料理マンガ」。

海老とトマトの鶏白湯スープ/生姜スープ。スープは、このいずれかをチョイスする。この2種類のスープ選びから始まる「ベジつけめん」は、麺と、チャーシューなどの具材が、絵画のように美しく盛られた目にも楽しい「つけめん」である。
「ベジつけめんは、3号店目となる、新宿1丁目の『gotsubo』でお出ししているラーメンです。店名通り、5坪の小さなお店ですが、女性客も多く、高い評価を頂戴しています」とのこと。2016夏限定メニューは、更に独創的で、「冷たいトウモロコシのラーメン(890円)」は月・火は長芋とオクラのスープ、水・木はトマトとキュウリのスープ、金・土はキノコのスープと、2日毎にスープも入れ替わる。
「上質でワクワクするようなラーメン」と社長の庄野氏はそう表現するが、実際に目の当りにすると、パスタに近い。というか、ラーメンとパスタが融合した新たな食のカテゴリーという気がしなくもない。
さて、今回ご登場いただくのは、この「ベジつけめん」をはじめ、独創的なラーメンを生み出し、いまやサンフランシスコに海外1号店をオープンするまでとなったラーメンクリエーターであり、株式会社麺庄の社長、庄野智治氏である。
庄野氏は、1980年2月12日、生まれる。なんでも、ラーメンというか、食に熱烈な興味を持ったのは、庄野家では庄野氏だけだった。
「小学3年生の頃から、剣道をはじめます」。理由は、「剣道場に一目ぼれした」とのこと。結局、中学2年生までつづけ、区大会や県大会で入賞したこともあるそうだ。
「次男ということもあったんだと思いますが、両親は、とにかく何でも自由にさせてくれました」。
「私がつくった料理も、いつもほめてくれました」。
実は、庄野氏。子どもの頃から、食べ歩きが大好きだった。とくにラーメンがお気に入り。食べるだけではなく、つくることも大好きだった。好きな漫画は「クッキングパパ」。「クッキングパパ」「美味しんぼ」漫画に出てくるレシピが、教科書だった。父や母や兄が褒めてくれたのは、その時につくった料理の数々である。
「家ではもちろんですが、友人宅でも、冷蔵庫を開け、なかにある食材で料理をつくっていました」とのこと。少年たちが、口々に、「庄野は、料理の天才だ」といったのは、この頃のことである。早くも、料理人の片鱗がうかがえる話でもある。

高校生、ラーメンを自作。

高校生からバイトをする人は少なくない。庄野氏も、高校3年から居酒屋でアルバイトを開始している。しかし、高校生の時から、骨を炊いてラーメンを自作するなんていう人は少ないのではないか。
「コロッケ屋さんが骨をわけてくれたんです。それをうちにあった小ぶりな寸胴で、じっくり炊いて…」。キッチンは、小学生の頃から、庄野氏の縄張りでもあった。
この時も、出来上がったラーメンをふるまうと、みんなからお世辞抜きで「天才だ」と称賛された。
「そりゃ、旨くて当然です。原価もまったく気にしていないわけですから。しかも一杯入魂ですからね(笑)」。
決断も、早い。
もっとも、すぐに独立というわけにはいかない。ラーメンづくりには、素人ながらも、いや正しくいえば素人だからの、自信があったが、資金もない。
社会というものも勉強しなければならなかった。
「それで、知り合いに、飲食店の工事を請け負っている会社があったので、そちらに厄介になりました」。営業もしたし、現場にも入り、汗を流したそうだ。
「いつ、もしくは何歳になったら、独立すると決めていましたか?」と聞くと、「そういうのは、決めてなかったんですが、とにかく資金が貯まったらと思っていました」。
結局、3〜4年で、独立資金を貯めた。短い期間で用意したのは、意思の表れである。
ところで、高校生からラーメンを自作するようになっているが、そもそもラーメンだと思ったのは、なぜなんだろう。
「『ラーメン巌流島』っていうテレビ番組があったんです。その番組を観たのが、ラーメンに興味を持つようになったきっかけですね。当時は、荻窪の『春木屋』さんや『丸長』さん、『大勝軒』さんに良く通っていました。専門学校に進んでいたら、フランス料理を専攻するつもりだったんですが、大学に進みましたから、ラーメンはもちろん、料理はすべて独学です。だから、店をやるには、かつて『天才』と言われたラーメンでと、甘い考えでスタートしたわけです」。
大学2年で中退して、3年だから、1年浪人を入れて、24歳の時である。
「資金も貯まった頃に、いい物件もあって、よし、ってことで、オープンしました」。その店が1号店である「麺や庄の」である。
「たまたま、当時ブレイクしたカレーハウスの創業店の跡地だったんです。10坪、10席です。人気店を生み出した創業の地ですから、そこでやってだめだったら、飲食店の経営は向いていないことになる。だめだったら、ぜんぶ捨てて、ふつうのサラリーマンになろうと思っていました」。

1ヵ月は、大繁盛。しかし、そう甘くない。

工務店で勤務していたこともあって、内装工事は、安くついた。それでも、資金のほとんどがなくなった。若いからできる挑戦といえばそれまでだが、庄野氏の場合、思えば、小学生からの開始した料理づくりの最終局面である。これで失敗したら、いままですべてを否定することになる。
「目標は1日、100杯でした」。
「目標は、達成できましたか?」とたずねると、「そうですね、1ヵ月間は目標の2倍でした」との返答。ただ、2ヵ月目からつるべ落としのように業績は悪化したそうだ。
「でも、そうならないといけなかったんです。さきほど、『甘い考えだった』と言いましたが、まさにその通り。独学の、カベでした。1杯なら、文句なく旨いラーメンができる。しかし、1日中、旨いラーメンを大量につくる、なんていう芸当は、できません。まさに、それが職人技だったんです」。
スープの温度管理から、できていなかったそうだ。
「どうすればいいか。オープンしてしばらくは物珍しさもあってお客様はいらしていただけましたが、その時も、『どうすればいいんだ』とそればかり考えていました」。
どんな言い訳をしようが、「まずい」のは事実である。まずいから、当然、リピーターもない。「1ヵ月で、だいたい評価が下されたんだと思います。あの店のラーメンはまずい、って(笑)」。
「でも、原因は、わかっていましたから、それが救いでした。フレンチの料理人をやっている友人とかに相談し、少しずつですが、温度管理なども勉強して…」。
3ヵ月、店で寝泊まりして、スープを研究した。どうすれば、一定の味が維持できるのか。この旨いスープが、旨いままでありつづけるのか。
「毎日やって3ヵ月です。ようやく、私の思い通りのラーメンが、いつでもつくれるようになりました。それでも、すぐに業績が改善したわけではありません。ただ、1年後には、行列ができるラーメン店になっていました」。
ここまでが始まりである。

ラーメンクリエーター、庄野氏、誕生。

「もともとは、店舗展開も考えていなかったんです。でも、東北大震災の時に、炊き出しに行って。ラーメンってあったかいでしょ。それは、それは喜んでいただけて。『食の大切さ』というか、『ちから』っていうか、そういうのを目の当たりにして、もっと大きなことをしなくちゃいけないと思うようになったんです」。
その時、アルバイトをしていた学生が仙台出身だということもあって、「仙台に駆け付けた」そうだ。その時の学生は、いま社員となり、庄野氏の大事な片腕となっている。
「つけめんGACHI」。これが、庄野氏が、仲間といっしょにつくった、ラーメンクリエーター庄野氏自身の二作品目となるラーメン店である。「新宿2丁目です。割と家賃も安くて(笑)」。ところで、どうして、つけめんだったのだろう。しかも、鶏専門である。
「創業以来、毎月、『創作めん』をつくってきたんです。5年で100種類くらいになっていました。そのなかで、評判だったものを、グランドメニューにして2号店はスタートします」。
1号店は、とんこつ。2号店は、鶏専門。そうなると、そう3号店目もまた切り口が異なる。「2号店を出店してからは、1年に1店ペースで、出店しています。ただし、創業当時、チェーン化に脇目もふらなかったように、ただのチェーン化なら、やろうとは思いません。チェーン店化して、同じものをお出しするのもたいへんなことはわかっていますし、効率はそちらのほうが断然いいでしょう。でも、それって、コピーでしかないんです。ラーメンクリエーターを名乗っていて、それはないでしょ(笑)」。
3号店は、冒頭に紹介した、新宿1丁目の『gotsubo』である。庄野氏によれば、「野菜が主役で、麺がトッピングされたような感じ」とのこと。狙いはむろん、女性。イタリアンと和の融合店でもある。
さて、2016年現在、株式会社麺庄は、すでに紹介した店舗も合わせ7店舗を出店している。うち1店舗はサンフランシスコにある。
庄野氏によれば、この店が、大繁盛しているとのことである。
いずれにしても、庄野氏らしい展開である。
冷蔵庫を開ける。食材を観て、料理を創作する。庄野氏流のオリジナリティの源流は、あの頃、つまり小学生の頃にあるのかもしれない。時間があるなら、ぜひ、ホームページもご覧いただきたい。
「天才、少年」、庄野氏のクリエイティブな部分が見れるかも知れない。

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