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第575回 株式会社OvationPlus 代表取締役 梅村雄士氏
update 17/01/24
株式会社OvationPlus
梅村雄士氏
株式会社OvationPlus 代表取締役 梅村雄士氏
生年月日 1978年9月13日
プロフィール 熊本県水俣市に生まれる。神戸市西区にある流通科学大学卒。大学卒業後も、飲食店でフリーターを続ける。先輩の勧めで、飲食店をオープン。紆余曲折を経て、2009年、株式会社OvationPlusを設立(社名変更)。同年、人気ブランド『バルザル』をリリースする。現在、2ブランド、14店舗を展開中。
主な業態 「バルザル」「ピグボッテ」
企業HP http://www.ovation-plus.com/

熊本県水俣市。

「バルザル」。マークは店名の「ザル」から取った、サル。ちょっぴり悪役のようなおサルさんがモチーフとなっている。「バルザル」が神戸、六甲道にオープンしたのは、2009年9月のこと。以来、神戸三宮、大阪梅田を皮切りに、現在では、五反田、蒲田、大井町と東京進出も果たしている。
今回はこの「バルザル」の生みの親、OvationPlusの代表取締役、梅村氏にご登場いただいた。
梅村氏が生まれたのは、1978年。出身は熊本県水俣市。海沿いの温泉街で、ご両親は曾祖父の代から温泉旅館を営んでおられたそうだ。もっともすでに廃業されているとのこと。梅村氏によれば、部屋数は15あったが、年間の売上高は、今、梅村氏が経営している、「バルザル」の小箱1店舗にも及ばなかったという。そこからもわかる通り、けっして裕福ではなかったが、妹2人と家族5人暮らすには、それで十分だったのだろう。ともかく、海も、山もある、自然豊かな町で梅村氏は、育った。
ところで、梅村氏は小学4年生から野球を始めている。中学でバスケットボールに転向。なんでも、当時の人気漫画「スラムダンク」の影響を受けて、バスケに転向したそうだ。
当時の中学校の様子も、梅村氏は「ビーバップハイスクールのしょぼい版みたいな感じ(笑)」と表現する。「スラムダンク」も「ビーバップハイスクール」もいうまでもなく、当時の人気漫画である。漫画を知っているこちらには、その平易なたとえで、当時の様子がよく伝わってくる。
高校でもバスケットボールを続けた。「学校が少ないから、2回勝てばベスト16とかです。バスケ部は、学年で10人くらい。私はレギュラーでした」。
とくに、かわったことはなかった。
ふつうの中学生だったし、高校生だった。

流通科学大(神戸市西区)へ。

「流通科学大学」は、ダイエーグループの創始者、中内功氏により設立された神戸市西区にある大学である。設立は1988年。さて、高校を卒業した梅村氏は、熊本を離れ、のちにホームグランドともなる神戸に向かった。むろん、大学進学のためである。
「流通科学大学は、ダイエーの創業者の中内さんが設立されたんですが、いまの人はあまり知らないみたいですね。それが少し残念です」。もっとも梅村氏自身もなにか目的があったわけではなさそうだ。「受験した大学のなかで、真っ先に合格通知が来たから決めた」と進学の理由を語っている。
大学時代の、ビアホールのバイトが飲食に進むきっかけとなっている。もっとも、飲食に向いていると思ったのは、就職活動で臨んだ、ある化粧品会社の面接時のこと。「面接官にビアホールのバイトのことを聞かれたんです。『どうでしたか?』って、そうしたら、何も考えず、『天職でした』ってポロリと口から、そんな言葉がこぼれ落ちたんです。それで、『そうか、進むならやっぱり飲食だよな』となって」。
ただし、この時、就職はけっしてうまくいなかったようだ。フリーター生活に突入する。

フリーター職。

「フリーターになったのは、バイトが楽しくて、もうこれでいいか、みたいな。正直にいえば、そんな感じだったんです」。フリーターから社員にもなり、25歳で、独立を果たす。ただし、独立と言っても、案外、軽くスタートしている。
「すでに独立して2店舗経営していた先輩が、新たに新店をオープンすることになって。三宮駅から歩いて5分。いい立地なんですが、地下の1・2F。先輩は、地下2Fで店を開きたかったそうなんですが、1Fもセットでないと貸せないと言われたらしく、それで、私にやらないかと声をかけてくれたんです」。
先輩を経由した融資と、知り合いに頼んで貸してもらった合計1000万円でスタートした。「飲食店ではたらいていましたが、開業にどれだけの費用がかかるかなんて知らないんです。だから、最初は1000万円もあれば充分と思っていたんですが。ぜんぜんですね。スケルトンの状態からでしたし」。
節約のため、ペンキはジブンらで塗った。厨房機器も、自ら購入して、取り付けだけお願いした。「今思えば、ラッキーな時代でした。まだ『ぐるなび』『ホットペッパー』の威力が凄かった時代で、『ホットペッパー』に10万円ぶんの広告を掲載すれば、100万円ぶん返ってくるというイメージです。つまり、広告を打てば、どんどん儲かったんですね」。
ロケーションも悪くなかったのだろう。ロケーション×広告の相乗効果だ。社員2人、アルバイト10人。店名は、両親の旅館にちなんで「松の家」とした。
フリーター卒業はもちろん社員まで卒業したが、気分はまだフリーターの延長だった。もっとも、毎月、せっせと返済した。「月商は400〜500万円です。ぜんぜん手元に残さず、返済に回しました。広告で反響があったから、苦しまずに済んだ。ただし、毎日、現場に出ていましたから、仕事に追われっぱなしだったのは事実です」。

先輩と合体、地獄の始まり。

最初は、1F・2Fと分けて経営していたが、いつしか「一つになろう」ということになって、先輩といっしょに会社を設立した。有限会社Beard Labo。すでに先輩は3店舗経営していたし、資金も先輩が出したので、代表取締役は、いうまでもなく、その先輩。梅村氏は、役員として参加した。会社設立から1年。三宮に新たにデザイナーズレストランをオープンする。それが梅村氏いわく、「地獄の始まり」だった。
「資金のやりくりは先輩がやっていたもんですから、詳細までわかりません。ただ、現場をみているわけですから、『こりゃだめだ』です。スタートからダダ滑りっていうのをはじめて経験しました。メディアに出す方法も知らなかったし、宣伝もままならなかった。役員報酬が、いくらだったかわかりますか。10万円です。(笑)」。
すでに結婚もしていた。ある程度、貯蓄があったから乗り越えられたが、そうでなければ、どうなっていただろう。
「なんヵ月目かになって、退職します。私が退けば、先輩の報酬だって、(私のぶんを入れて)2倍になるでしょ。それに、今思えばですが、当時はまだ『絶対、飲食でやっていこう』と心が定まっていなかったんですね。一度、昼間の仕事もしてみたいなって。それで、会社を辞めて、人材ビジネスの会社に転職するんです。いままでしたことのない昼の仕事です。スーツに、ネクタイに、革靴を履いて。ただし、その恰好がつづいたのは、半年。上司の理不尽な態度に、切れてしまったんです(笑)」。
上司の言葉に切れた、と梅村氏はいうが、「飲食」の世界から離れてしまったこと、そのふがいなさや、いらだたしさも、刃になって、その上司に襲い掛かったのではないか。逆に言えば、これで心の整理がついたのかもしれない。実際、梅村氏は、頭を下げ、もう一度、先輩といっしょにつくった有限会社Beard Laboに復職している。
梅村氏が正確に独立したのは、28歳の時である。第二創業期だと、先輩から離れ、独立する。「やがて、有限会社Beard Laboを先輩から買い取って、2009年に現社名にしました。しばらくは、専務として残ってもらっていたんですが、結局、私の1号店でもある『松の家』をお譲りし、独立していただきました」。
「バルザル」が、生まれたのは、そのあとだ。

「バルザル」誕生と、今から。

「最初はチェーン化も考えてなかったし、これほどヒットするとは思っていませんでした。店名の『バルザル』ですか? バル((bar)とサルーテ(乾杯)を合わせて、バル・サルーテで、それを短くしてバルサル。これだと、弱そうなので、濁点だ、と思って、それで『バルザル』です(笑)」。
マークは、むろんサルから生まれている。「バルザルの1号店は、六甲道にオープンした13坪の店です。13坪でしたが、毎月30〜40万円の利益が出ました。そののち、三宮に出店。続いて、大阪に『ピグボッテ』をOPENして、神戸依存から脱却しました」。
今後の目標を伺うと、「売上10億円が当面の目標だ」という。現在6億5000万円。去年M&Aした串菜が、5000万円、貢献している。
「いろんなブランドを出店したいと思っていたんですが、私にはどうも無理だと気づいたんです(笑)。だから、ブランドは少ないですが、単一のブランド一つひとつ大事にしていきたいと思っています」とのこと。
グルメサイトで調べてみたが、評価はかなり高い。神戸、大阪、東京が、「バルザル」という一つの線で結ばれているのもまたおもしろいところだ。やがて、熊本も、この線で結ばれるかもしれない。

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