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第584回 株式会社ロンパネス 代表取締役 本間厚志氏
update 17/03/28
株式会社ロンパネス
本間厚志氏
株式会社ロンパネス 代表取締役 本間厚志氏
生年月日 1959年7月19日
プロフィール 品川区 戸越銀座出身。法政大学卒。大学卒業後、自動車ディーラーの立ち上げに参加。セミナーがきっかけで知り合った、「中国ラーメン揚州商人」で有名な株式会社ホイッスル三好の社長の下で薫風を受ける。34歳で独立、開業。現在、「ハッスルラーメンホンマ」をはじめ、姉妹店7店舗を経営している。無借金経営を継続中。
主な業態 「ハッスルラーメン」
企業HP http://hustle-rpn.com/

法政大学を6年かけ卒業。

父は山形県の生まれ。母は長野県の出身。兄弟は2人。兄とは性格が異なっていた。
「どちらかといえば、弟の私のほうが父親似だったかもしれません。父は公務員だったんですが、商売をしたいとずっと言っていましたから。父親の実家が、和菓子屋だったことも影響したようです」。
隔世遺伝ではないが、孫の本間氏が商売をする。「起業」という言葉がまだ一般的ではなかった頃のように思うが、ともかく、遺伝子が目覚めたのだろう。父の果たせなかった思いを実現したともいえる。もっとも、これは将来の話で、子どもの頃の本間氏は、まだこれという目標をもっていなかったようだ。
高校は私立の「法政第二高校」に進学する。
リーゼントにもなったし、サーファーにもなった。法政大学に進んでからも、勉強はそっちのけ。結局、卒業するまで6年間もかかってしまった。

大学卒業後、事業の立ち上げに参加。

大学を6年もかけて卒業するというから、遊びほうけていたのかと思ったが、そうでもないらしい。大学時代から自己啓発セミナーに何度も参加している。いずれ起業という目標が、大学時代にはすでに芽生えていたのかもしれない。ちなみに、のちにお世話になる株式会社ホイッスル三好の社長、三好比呂己氏に出会ったのも、セミナーがきっかけだ。
「ともかく大学を卒業するのに6年もかけてしまったわけですから、そのぶん、普通に就職したほうが良かったかもしれませんが、実は、いきなり企業の立ち上げに参加することになりました」。
先輩の紹介だったそうだ。「当時、中古車のバイクを売買している先輩がいて、その先輩から『今度、横浜に高級な自動車ディーラーをつくる話がある。本間、やってみろ』って言われるんです。その話に乗っかって。そうですね。ギャラリーには、1000万円以上する外国車を並べて。凄いビジネスモデルでした。売上も大きかったし、利幅も大きかった。あれだけ売れたのは、バブルの時代ということもあったんでしょう。業績は、順調でしたが、3年経った、27歳の時に退職しました」。
本間氏が27歳といえば、1986年のことである。バブル経済が、真っ盛りとなる頃。本間氏が時代というように高級な外車ほど、飛ぶように売れた時代である。しかし、庶民派の本間氏には、高級車が次々売れていくことに、漠然とした違和感があったのかもしれない。ともかく、転職である。

自己啓発プログラム「SMI」を販売する。

株式会社ホイッスル三好の社長、三好氏に出会ったのもこの頃。現在、三好氏は「中国ラーメン揚州商人」を経営しているが、当時は、ポールJ.マイヤー氏が考案した自己啓発プログラム「SMI」の販売を主事業としていた。
学生の頃から自己啓発セミナーに参加していた本間氏にとっては、興味が湧く分野である。「SMIを知って、とにかく、私にもさせて欲しいとお願いしました。SMIは28ヵ国に翻訳され、世界80ヵ国以上で、数多くの人々のモチベーションアップや各種の能力向上などに役立っているプログラムです」。
三好氏も、実は、この「飲食の戦士たち」に登場いただいている。そのなかで、「倉庫の一角を借りて、机一つ、カバン一つ、電話一本からのスタートでしたが、2年もたたず50人の部下ができ、年商は14億円ぐらいになりました」と当時の様子を語っている。この50人のなかに、本間氏もいたわけだ。
「私が惹かれたのは、SMIというプログラムよりも、科学的というか、アメリカ式のプレゼンだったり、営業だったりしました。これだ、と思って飛び込んだんです。でも、頭でわかっていても、実際、売れるとは限りません。なんとか食べていくことはできましたが…。フルコミッションなので、売れないと給料もない。社員のなかにはビルの3階で寝起きしている人もいました(笑)」。
フルコミッションだから、いい時もあれば、悪い時もある。ただし、それも含めて、新鮮な毎日。オフィスは、活気に包まれていた。

広げた片手は、5人を意味していた。

「たしかに、社内はいい雰囲気なんですが、そうはいってもなかには、ぜんぜん営業に向いていない人もいるわけで。三好氏もそこが心配で、プログラムの販売以外の事業をしようと模索するんです。そのサポート役に抜擢されたのが、私でした。実は、現在のホイッスル三好のメインであるラーメン事業もそのうちの一つです。もともと三好氏はラーメン店をやりたかったので、特に気合いが入った事業でした。現場の指揮は、私の仕事です」。
店名は、「活力ラーメン元気一杯」。
1号店は、1988年の2月にオープンする。
「オープンしたのはいいんですが、いかんせん私自身、ラーメン店の経験なんてありませんし、最初はほかの事業もありましたので、つきっきりで指導するわけにはいかなかったんです。それで、店は遅くてもいいので、ほかの仕事を片付けてから店に向かいます。で、『今日はどうだった?』って聞くと、片手を差し出すんです。パーにして。私が、肩を落として『5000円か』とつぶやくと、『いや、5人です』って(笑)」。
オープンはしたが、ノウハウはない。「そもそも、ラーメンをつくったことはないんです。三好社長はもちろん、現場の責任者である私もです。そういうのは店長にまかせっきりでした。でも、うまくいかない。それからですね。ともかく、ラーメン店一本に絞って、とにかくラーメンを食べまくりました」。
朝・昼・晩、ラーメンを食べた。
「これは、っていう店があれば、何度も行くんです。そうしないと、盗めないんですね。ただ、ラーメンが悪いわけじゃないと思うんですが、相当、太りました(笑)」。
ただ、そのおかげで、味が決まる。背油の旨いラーメン。いまも、この味がベースとなっている。

トッピングぜんぶのせで、銅鑼が鳴る。

「流行るまでは時間がかかりましたが、いったん人気が出ると今度は、違う意味でたいへんでした。当時はシャッターを開けてから閉めるまで、つまり1日中、行列。10坪で15席の席が1日で50数回転したほどです」。のちに、ホイッスル三好は、事業領域を拡大し、懐石弁当店も開始する。
「事業が軌道に乗ったのは、SIMのプログラムを実践したからです。私、自身が食べ歩いたのも、そうですが、横浜でチャイニーズゴングを買ってきて、トッピング『ぜんぶのせ』がでると、ゴーンと銅鑼を打ち鳴らしたんです。それに大学生さんたちが受けて火がついて。『30連発に挑戦』っていう、無謀なチャレンジをしてくれたりして。お祭り騒ぎ的なもの。そういうのもヒットした理由だと思うんです」。
本間氏は、そもそも料理人ではない。もし、料理人であれば、このアプローチはできなかったかもしれない。カベを設けず発想を押し広げたことで、新たな道がみえてきた。
「『ホイッスル三好』に在籍したのは、合計7年くらいです。いまでも三好社長とは、お付き合いがあります。私の独立を快諾してくださいました」。

家賃と材料費、バイト代で儲けは消し飛んだ。

ラーメン店、出店。本間氏は、はじめて本格的に厨房に入り、奥様がホールを担当した。本間氏はもちろん、奥様にしても初の経験である。とはいえ、自信がないわけではない。「ホイッスル三好での経験は伊達ではない」と思っていた。本間氏の工夫と努力で、1日たった5人しか客が来なかった店が、やがて50回転以上もするようになる。ちなみに5000円にも満たなかった日商は、何倍にもなり、月商は1600万円にもなった。その時、三好社長からもらった記念の盾はいまも飾ってあるそうだ。
しかし、独立すれば、すべてはゼロからだ。「思っていた以上に苦戦しました。家賃と材料費、アルババイトの人件費を払うと、もう何も残らない(笑)」。
深夜、店を閉め、終電がなくなったアルバイトを車で送る。「一時期は、幻覚までみるようになっていました」。従業員と経営者。両者には、言葉で言い表せない違いがある。「嫁さんが、『私、サラリーマンの奥さんでよかったのに』っていったんです。忘れられませんね(笑)」。

無借金経営。いまの立ち位置。

利益が少しずつ出始めたのは、1年と少し経った頃。「そうですね。なんとか食べられるようになって」と本間氏はつぶやく。しかし、苦労したぶん、いったん花が開くと、快調だった。もっとも経営は慎重だ。「現在、無借金経営です。ここ数年、出店してこなかったからでもあるんですが」。
2016年10月現在、姉妹店を合わせ7店舗。本間氏は、無借金の理由を「闇雲に出店してこなかった結果」と控えめにいう本間氏だが、これだけ長きに亘り、店をつづけてきたこと自体、賞賛されるべきだろう。
今後についても伺った。「そうですね。新しいスタイルの、斬新なラーメンもたくさん登場してきたでしょ。凄いことですよね。でも、うちも負けているわけにはいきません。背油の旨いラーメン。この王道をこれからも残していくために、もう一度、頑張らないといけないと思っています」。
店名は、ハッスルラーメンホンマ。「ハッスル」の4文字がいい響きを奏でている。ちなみに本間氏は、ブログで、自身を「チームハッスル代表」と位置付けている。そこが、またいい。

思い出のアルバム
 
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