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第586回 株式会社ダルマプロダクション 代表取締役 古賀慎一氏
update 17/04/11
株式会社ダルマプロダクション
古賀慎一氏
株式会社ダルマプロダクション 代表取締役 古賀慎一氏
生年月日 1979年4月16日
プロフィール 佐賀県に生まれる。父は、佐賀大学の工学部、教授。熊本大学時代に飲食と出会い、やがて、食の道を究める。都内のイタリアレストランで3年、イタリアでもほぼ3年修業し、帰国。「オステリア ウララ」をオープンする。「メニューがない」というコンセプトで話題をさらう。
主な業態 「Osteria Urara」「ALA」「Viva Banco」「アカベコ」「雨時々小豆」他
企業HP http://darumapro.co.jp/

秀才、バスケ少年たち。

小学生からバスケットボールをはじめ、中・高も続け、熊本大学でも、少しだけ続けた。子どもの頃の思い出は、バスケットボールに尽きる。とくに高校時代は、今尚、鮮明に記憶している。
「うちの高校は、背が低かったんです。183センチの私がいちばんでかいほうでしたから(笑)」。180センチをオーバーすれば十分、でかいが、バスケットボールの世界ではそうではないらしい。他校の選手はいうに190センチを超えていたそうだ。
「背丈で劣っているぶん、戦術重視です。時には、トリッキーな動きとか、そういうのを駆使して勝ち上がっていきました」。秀才たちがそろった学校だから、戦術が、肉体を凌駕する、それが、楽しかった。学業は、佐賀ではいちばん。それでいて、スポーツの成績もいい。「もっとも、県外にでれば、佐賀でいちばんでも、ぜんぜん歯が立ちません。とくに沖縄や福岡の高校は別格でした」と笑う。
勝敗はともかく、バスケットボールは青春の思い出である。
「チームというのを意識できるようになったのも、バスケットボールのおかげです」と古賀氏は語っている。

ジブン探しの2年間。見つけたのは、「稼ぐのはたいへんだ」ってこと。

大学は、「熊本大学」に進んでいる。九州では、「九州大学」に続く名門だ。
「親父が、工学部の教授だったこともあって、小さな頃から国立大学×工学部というのが、既定路線でした。でも、どこかに親父に反発する気持ちがあって、工学部でも、親父とはちがう分野に進みます。もっとも、進む方向は大学6年間のうちにさらにそれ、外食というまったく異質の分野に進むようになるんですが(笑)」。
大学に進んだ古賀氏は、少しばかりバスケットボールをかじるが、すぐに大学にも行かなくなった。親元から離れていたから、親の目もない。いろんなバイトをした。飲み屋のボーイもしたし、土方もした。ジブン探し、だと古賀氏はいうが、自分の足で歩き始めたのが、この時だったのかもしれない。
「ただ、2年間、ジブン探しをして、悟ったのは『お金を稼ぐっていうのは、たいへんだな』ということでした。ちゃんと大学を出る、その意味がなんとなくわかり、復学しました。もっとも2年間、授業にも出ていないので、もう1度、1年からやり直しです(笑)」。

「飲食」に心が奪われた、残り4年間の在学期間。

2年間、何をしても、ジブンが何者かわからなかったにも関わらず、復学してからはじめたアルバイトで、何者であるかのしっぽを簡単につかんだ。「おしゃれな中華料理の居酒屋です。最初はホールだったんですが、たまたまキッチンのスタッフが休みで、『入ってみるか』と言われて。これが、ある意味、すべての始まりです」。
いつの間にか、社員同様、どっぷり勤務するようになる。社長とも、距離が近く、時に誘われ、飲みに行った。古賀氏のことだから、自分から誘ったことがあったかもしれない。社長の知り合いの経営者たちとも会い、憧れる。「当時、会社はいきおいがあって、中華以外にもアジアン料理とか、いろいろな業態をやっていたんです。社長に直談判して、ぜんぶやらせてくれ、って言って」。
授業には顔をだしたが、やりたいことは教室になかった。「一度、不毛だと思って、親父に、早く大学を辞めて、料理の道に進みたいといったんですが、むろん却下です。たしかに親父がいうのも一理あったので、とにかく、卒業しようと、合計6年、大学に通いました。そして、卒業証書を受け取った、その日に、親父に証書を郵送し、私自身は、その足で東京に向かいました」。

イタリア料理を究める旅が、始まる。

話は飛ぶが、古賀氏はいまオーナーシェフでありながら、ヘルプでしか厨房に入らないそうだ。「相棒がスペシャルだから、彼に任せている」と笑う。本人の腕も、スペシャルであるにもかかわらず、そうしている。「メニューがない」をコンセプトにできるのも、キッチンとホールを信じているからだ。
さて、東京に向かった古賀氏は、当時、有名なイタリアレストランで修業を開始する。
「熊本に残って、学生時代にお世話になった会社で社員になるという選択肢もあったんですが、それでは現状がかわらない、と思って。いままでやったことのないイタリアンに挑戦するため上京しました。店は、卒業する前に知り合いの紹介で決めていました。もっとも最初からキッチンはNGで、ホールからのスタートです」。
知り合いに紹介され、思いをつづった手紙を書いて、オーナーシェフに送ったらしい。それが目にとまり、アポイントが取れ、上京した。「卒業したその足で来る」という一言が、シェフの心に響いたようだ。
すでに書いたが約束通り、卒業証書を手にしたその日に上京する。とはいえ、すでに24歳。料理人をスタートするには、まず年齢オーバーだ。
「3年ですね。その間、給料をもらっては食べ歩きをしていました。イタリアン、フレンチ、ビストロはもちろん、グローバルダイニングやてっぺんにも行きました。ホールからのスタートですが、1年くらいで直訴し、キッチンに入り、パンづくりからスタートして、肉料理まですべてクリアしました」。
そして、イタリアに渡った。「何しろ、年齢が年齢ですから、焦っていました。最後の1年間はダブルワークも認めてもらって、100万円貯めて、イタリアに向かいました。ぜんぜん、違います。向こうとこちらでは。向こうにいたのは3年半です。28歳で渡って、31歳で帰国します」。
この時、相棒にも出会っている。相棒とは違うが、ブログで1人の恩人と出会っている。

「メニューがない」。奇策か、王道か。

「ブログを通して、エムクラントサービスの井戸実さんと知り合うんです。それで、あつかましくも、出資してもらえませんか、ってお願いしました。顔を合わせずに、です。むろん、真剣でした。思いが通じたのか、面白い奴だな、ってなったのか。一度、会うかってことになって」。
渋谷に出すという条件はあったが、ともかく出資にゴーがでた。
「居抜きだったので、改装資金ですね。500万円くらいです。2〜3年で返してくれたらいいよ、って、好条件です。いっしょにスタートしたのは、イタリアで出会った相棒と、彼の同級生のサービスマン、若いコック、それにいまの私の奥さんです」。
オープンは、2012年2月。店名は、「オステリア ウララ」。
「渋谷といっても、立地が悪くて。ランチは、最初からいけると思っていたんですが、ディナーが心配だったんです。素材にも自信があったし、料理の腕は言うまでもありません。しかし、それだけでは、イマイチだな、と。それだけ、これだけスペシャルな人間がそろっているんだから、『メニューがない』、それを売りにしよう、と決めたんです」。
「メニューがない」。
どういうことだろう。
「イタリアでは、お客様が、食材の組み合わせや、調理方法をリクエストされることが日常的なんです。それに挑戦しよう、ということになったんです」。
イタリアでは王道でも、日本では奇策に映る。むろん客にとっても、初体験だろう。ストレスなく、注文いただくためには、ホールも万全の体制で臨まなければならない。負荷は承知のうえ。しかし、いままでないことをするのは、それだけで価値があるように思えた。
「基本のソースなどは予め用意しておくんですが、それでも、その時々のリクエストにお応えするのは、たいへんな作業です。シェフとも、最初は、いろんなやり取りをしました。ホールも、ホールで、単純にオーダーを取るのではないぶん、食材はもちろん、料理方法についても、料理人同様の知識が必要です。その日の食材に合わせて、そういう一つ一つを、キッチンとホールで、すり合わせもしておかなければなりません」。
それだけではない。このビジネスモデルだと、替えがきかない。つまり、キッチンやホールがある水準以上でないと、成立しない。
「それでも、面白いからやめられない」と古賀氏は笑う。「オステリア ウララ」では、いまや、「メニューがない」ことをすべての客が受け入れ、それが、イタリア同様、王道となっている。

メニューにない料理を注文できるレストラン。

「最初は、自身のオリジナリティがだせないと嘆いていた相棒も、最近では、常連さんから『魚料理で』や『肉料理でお任せ』と、逆にオリジナリティをだせるようになってきたと喜んでいます。ホールもたいへんですが、ほかではできない働き方ができるとうことで、とても満足してくれているようです」。
現在、1号店である、この「オステリア ウララ」をはじめ、7ブランドを出店し、運営している。イタリアンからのスタートたが、現在では和食の居酒屋もある。「雨時々小豆」という和カフェもある。そこも、面白い。まるで、ブランド展開にも決まったメニューがないようだ。
ところで話は戻るが、「オステリア ウララ」は、オープンから4年経った2016年現在で、売上は1.5倍以上になっているそうだ。メニューがないから当然の話だが、料理をオーダーメイドできるレストラン。常連になるなら、こんな店がいい。
秀才がつくりだしたのは、楽しみも尽きない、「食」の王道だ。

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