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第587回 株式会社バース 代表取締役 林 和廣氏
update 17/04/18
株式会社バース
林 和廣氏
株式会社バース 代表取締役 林 和廣氏
生年月日 1975年8月9日
プロフィール 3人兄妹の次男。東京都杉並区育ち。中・高を自由な校風の早稲田実業で過ごし、大学は帝京大学に進む。大学卒業後、TV関連仕事に就くものの、3年で退職。高校で育んだ思いを実現するため起業の道を進み始める。26歳。用賀駅の駅ちかくで、10坪の弁当と総菜の店をひらく。これが、始まり。現在は、もつ鍋居酒屋「西麻布イマドキ」、カジュアルイタリアン「ブルーガーデン」をはじめ、カレーつけ麺「しゅういち」などを展開。沖縄、バリ島でも事業を展開している。
主な業態 「イマドキ」「イマカラ」「ブルーガーデン」「ひろや」「しゅういち」
企業HP http://birth-corporation.com/

高校時代に思い描いた夢。

「サラリーマンにはなりたくないな」と思ったそうだ。「1人ではなく、みんなでそんな話をした」と今回、ご登場いただいた株式会社バースの代表、林 和廣氏は懐かしそうに振り返る。高校生の頃の話だそうだ。
林氏は、中学から早稲田実業に進み、高校にも進学。生徒の80%は黙っていても早稲田大学に進学できると言われているなか、林氏らのグループは、残り20%におさまってしまっていたそうだ。
「勉強しないわけですから、当然ですね」と林氏は、笑う。ただ、いいかげんな高校生活を送っているわけでもなかったようだ。みんなで肩を寄せ合って、語っていたのは、夢の話。
「全員起業したわけではないですが、そのうちの1人は、いまや誰でもが知っている上場企業の創業者ですし、私も含めて、起業した人間は少なくありません。みんな、あの頃、互いに刺激し合いながら、何かを育てていたんでしょうね」。
実は、「バース」という社名。最初に口にしたのは、この高校時代のことだという。ともあれ、落ちこぼれ軍団は、ただの落ちこぼれではなかった。こういう生徒たちを生み出すのも、「早稲田」というブランドのちからなのかもしれない。

早稲田実業卒。

林氏が、生まれたのは1975年8月9日。3人兄妹の次男。
「父は仕事、仕事でぜんぜん家にもいない人でした。みんなで旅行したのは、記憶にあるだけでいえば2回くらいです。そういえば、たまに思いだしたように、外に連れていかれてキャッチボールをしたことがありますね。とにかく寡黙な人で、怒ると猛烈に怖い人でした(笑)」。
「中学は早稲田か慶応」。これも、父が決めたことだった。「兄もそうですし、私もそうです。妹は、女の子なんで、さすがに違いましたが…」。
父親の言葉は、絶対だった。
「でも、結局、私も、兄も早稲田大学に進まなかったので、父の計画は、頓挫したっていうか。そういう意味では申し訳ないですね、父には」。
小学校から始めた剣道は、大学までつづけている。すでに話したが、大学は早稲田ではない。現役で臨んだ受験は、内部進学ではなく、一般受験を選択して、楽勝だと思っていた早稲田を落ちる。
「甘かったですね。内部進学だと思い通りの学部に行けないんですよ。成績が悪かったから。それで、一般で受けてやろうと。ぜんぜんだめでした。うちの高校に一般受験用のクラスはありません。だから、生徒たちにも受験のノウハウが全く無い。受験に限っていえば、孤島みたいなもんだったんです。2年目も、とりあえず早稲田だったんですが、友人が、推薦っていうのをみつけてきて、2人で帝京大学を受験します。行く気はぜんぜんなかったんですが、受かった瞬間、『ここでいいんじゃね』みたいになって(笑)」。
1年浪人したので、大学を卒業したのは、23歳。肩書は、帝京大学卒。

原価率、70%がスタート。

「就職したのはTV関連です。ADとか。そう、ご想像通り、入った瞬間辞めようと思いました(笑)。でも、昔は、石の上にも三年って言葉があったでしょ。それで、なんとかしがみついて、3年やりました。それで、退社したのが、26歳の時です。もう、起業しなくっちゃと思う反面、どうするか、何をするかと悩む日々です」。
「なんでも良かったんです」と林氏。
たしかに、これといった経験もない。特別、やりたいこともない。何でもできるともいえなくもないが、何でもいいが、いちばん難しい。「なんの経験もなかったんですが、TVの仕事をしていた時に、一つ驚いたのが『お弁当』。すごい数なんですね」。
「まだ『中食』って言葉も、一般的じゃなかった時代で、いまのロック・フィールドさんや、オリジンさんも、それほど大きくはなかったし、コンビニやスーパーに総菜なんてなかった。弁当からヒントをもらって、最初に始めたのが、弁当と総菜のお店です」。
用賀駅前の、商店街の一角。オーナーに頼み込み、賃貸する。10坪の小さな店。
「創業に参加してくれた友人は現在、違う飲食会社の社長をしていたり、ウエディングプロデュースの会社の社長をやっている。みんな早稲田の時からの繋がりです。みんな若かったから、なんでもできるような気がしていました」。
弁当と総菜。オープンすると、目論見通り、爆発したそうだ。お昼時にも、弁当が売れ、夕方になればなったで総菜目当てに主婦が押し寄せた。夜になると、OLやサラリーマンが、夕食用の弁当と総菜を買って帰った。
「もう、朝から晩まで立ちっぱなし。いっしょに始めた奴らが、からだがもたないと1人、また1人と抜けていきました。無理もなかった。私だって、逃げ出したくなったくらいです」。
しかし、それほど繁盛したのなら、利益も悪くなかったのでは? 
「売上はそれなりでしたが、利益がぜんぜんした。創業メンバーは、給料をとってなかったんですが、それでもかつかつです。そりゃそうなんです。計算してみると、原価率が70%になっていました。原価率70%。ありえない数字が、うちのスタートなんです」。
いまや抜群のオペレーション力で、ハイパフォーマンスを叩き出す、林氏。そのスタートが、対局にある数字だったところが興味深い。
「飲食もしたことがなかったから、すべて、実践で学びました。最初は、すぐに店舗展開をして、なんて思っていたんですが、そんな甘いもんじゃない。2年くらいは燻りつづけていました」。

全テレビ局に、弁当、配達。

「みんなが、ドロップアウトしていくなかで、私が続けられたのは、あきらめが悪いし、剣道をずっとつづけてきたからだと思うんです」。燻りつづけたという2年間で経営も学んだし、1円でも安く仕入れる方法も学習した。アルバイトも分単位でマネジメントした。しかし、思うような数字にならない。
「それまで頼ったことはなかったんですが」と前置きしながら、「実は、TV時代の友人に声をかけて」と苦笑いする。彼らがどんなお弁当を欲しいのか分かっていた。宅配ならぬ、TV局専用の配達弁当である。
これが、バカあたりする。
「2年間、燻っていたわけですが、手を抜いていたわけではないんです。総菜っていうのは、レストランとちがって、デイリーなんですね。毎日、買って帰るものなんです」。
「3日、おなじ店で買ったらあきちゃいますよ」と林氏は笑う。
「だから、お客様に楽しんで選んでいただけるよう、うちでは1週間単位でメニューを入れ替えました。実は、これ、大変な作業なんです。でも、それが2年経った時には、うちの強みになっていたんです。とんでもない数のレシピがあるわけですから」。
TV局、スタジオ…横浜からお台場まで、弁当をもって代表の林氏自ら、走り回った。「いちばんいい時は、全TV局から収録スタジオに至るまで注文が入るようになった。でも、たかだか10坪でしょ。キッチンもその中にあるわけで、料理するにも限度があるんです。配達ばかりに労力を取られて、店のお惣菜等が、目立って少なくなっていきました」。
売上は、あがった。しかし、林氏が「総菜の数が、スカスカだった」と表現する店の状況は、いままでのお客様を無視しているかのようだった。
「結局、俺は何をしたいんだろう。もう一度、原点にもどって考え直したのは、この時です」。
「うちの強みは何か、を、スタッフみんなで改めて突き詰めました」。

日々、主婦らに鍛えられ続けた力全てをぶつけて、西麻布「イマドキ」、オープン。

弁当・総菜店をつづけるかたわら、もう一つの挑戦を開始した。「それが、西麻布にある『イマドキ』です」。
「イマドキ」は、西麻布で暮らす、ハイクラスな人たちを意識しつつも、一般の人でも少し背伸びすれば入れる価格帯の個室付き居酒屋としてオープンする。もつ鍋が、うりである。
「みんなでうちの強みを考えて、居酒屋をやろうということになったんです。ある居酒屋に行った時、グラスに入っている氷をみて、これなら勝負できると思ったんです。1つのグラスには、氷が3個。もう一方には、5個。たった氷2個の違いですが、うちでは絶対、そんなことはしない。1円にもこだわるオペレーションをしていましたから。それに、正直、料理もまずかった」。
しかし、やろうと思っても、資金がない。「そうなんです。資金がない。だから、ある人を紹介いただいて、その方に店を出してもらって、うちがオペレーションを担当する、そんなスタイルで出店したんです」。
この店が、大ブレイクする。
「いままで私たちは、主婦はもちろん、OLやサラリーマンなど、デイリーのユーザーに、日々鍛えられてきたわけです。アルコールや店の雰囲気で、ごまかすことなんてできません。当初は、70%をたたき出した原価も、すべて見直し、1円単位でコストを削ることも覚え、実践してきました。料理のクオリティ、ローコストのオペレーション、仕入れ交渉術、みんなで考えたうちの強みをすべて、イマドキに移植しました。もつ鍋、焼酎というブームも追い風になりました」。
利益率は30%にもなったそうだ。「私たちはオペレーションだけだったので、そう儲からなかったですが、出資者というか、数人でお店をだしてくださったんですが、そりゃ、あの売上で利益が30%ですからね、相当な額になりました。すると、だんだん出資者さん同士の考えもバラバラになって、それで、『林、お前が買い取れ』って、ことになってしまったんです(笑)」。
店は、天文学的な数字をたたき出すまでに繁盛している。「ただ、買い取れと言われても、お金がありません。それで、親しくしてもらっていた、ある上場企業の社長にお願いして1億円をお借りしました」。
1億円。いまとなっては、多少なりともリアルに思える数字だろうが、当時は、どうだったんだろう。1のあとに0が7つならぶ。「返済は3年です。無理な数字ではありませんでしたが、当然、プレッシャーもあった。だけど、みんなが頑張ってくれて、うちの会社が買い取ってから、さらに業績はアップしたんです」。

サラリーマン思考ではたどりつけなかった場所。

「最初に起業する時は、何でも良かったんですが、もう、この頃になると飲食以外、考えられなかったですね。でも、『イマドキ』がブレイクしたからといって、『イマドキ』という店だけ、もっと言えば、『居酒屋』という業態だけっていうのは、どうなんだろうと思っていたんです。狂牛病とか、そういうのを知っていましたから、一つだと不安だったんですね。それで、ラーメン店を、保険の意味じゃないですが始めたわけです。これが『ひろや』です」。
「ひろや」も、儲かった。
「飲食が、特別したいわけでもなかった」という林氏である。その一言からは、どんな事業をするかより、どんなスケールの会社をつくるか、そんなことに関心がある人というイメージがわく。「イマドキ」がブレイクし、「ひろや」も儲かった。
FC展開も視野にチェーン化、株式上場なんて話が出てきても不思議じゃないと思っていた。ところが。
「結果的に、株式上場をするのはいいと思うんですが、それだけを目指すというのも、違うなって思っています。うちの理念は、『人を笑顔にする』なんです。私たちは、みんなでこの理念を追いかけています。その結果、会社が大きくなればそれでいいし、大きくなれなくても、みんなを『笑顔』にできれば、実は、それがいちばんなんです」。
経営理念という言葉がある。しかし、理念のない会社も少なくないし、理念が飾りものになってしまっている会社も実のところ、結構、ある。
「お客様を笑顔にする・従業員を笑顔にする・取引先を笑顔にする、この3つの笑顔です。私たちは、この笑顔のためにいま頑張っているんです。たとえば、隣のスタッフがつまらなそうに働いていたら、そのスタッフが仕事をしていないことになるんです。笑顔にするのが、仕事だからです。会社だって同じです。給料が低くて、笑顔になれない。だから、給料も、休みもできるだけのことをしていきましょう、と」。
この話を聞いて、想像していたイメージが、まったく違っていたことを知る。
「今でも、私自身のなかに飲食っていう枠はありません。でも、弁当・総菜からはじめて、もう十年以上たつわけですから、料理のことも、オペレーションのこともわかる。そういう意味ではこれからも、飲食という世界で勝負していくことになると思うんです。ただ、飲食という枠のなかであったとしても、新しいことにはドンドン挑戦していこうと思っています。バリ島に出した和食のレストランもそうですし、沖縄でウエディング会社様から依頼を受けて、披露宴パーティーの料飲及びケーキの運営もやっています。3月には大手の旅行代理店が舞浜で開業するホテルでの料飲、朝食含めレストランすべてのオペレーションを弊社が担当しています。儲かるかどうか、いまはまだちょっとわからないですが」。
屈託なく、林氏は笑う。
ちなみに、バースの人材定着率は極めて高く、「人のことで困ったことがない」と林氏は語っていた。今回、話を聞いて、なるほど、と合点がいった。
ともあれ、「サラリーマンになりたくないな」という思いから、すべてはスタートした。まだ、ゴールは先の、先だが、サラリーマン思考では、たどりつけない場所に今いることだけはたしかだ。

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