株式会社ムーヴ 代表取締役 江戸勇雄氏 | |
生年月日 | 1972年4月12日 |
プロフィール | 大阪市に生まれる。奈良産業大学卒。イベント事業を皮切りに、飲食業にも進出。東京、大阪を舞台に多彩な活動を続け、今後はホテル事業にも進出予定である。 |
主な業態 | 「おやひなや」「Bistro MARUTA」 |
企業HP | http://www.move-grp.co.jp/ |
江戸氏が生まれたのは、1972年。すでに兄姉が5人いた。1年経って、弟が生まれたからぜんぶで7人兄妹である。「長女とは12歳、離れています。全員B型っていうのがうちの特長です(笑)」。全員が、マイペース型。
決して裕福な家庭ではなかったそうだが「父母は兄妹7人をノビノビ育ててくれました」。
江戸家の男子3人は、小学校から空手の町道場に通っている。
「中学では剣道です。高校は枚方高校に進み、器械体操を始めます」。
武道の次に器械体操?
「いろいろやってみたかったんですね。器械体操を始めたのは、今までとは違った筋肉を動かしてみたかったからです」。
ともかく、にぎやか。兄妹が7人もいるのだから、そりゃ、そうだろう。兄と姉、そして、弟。兄妹たちにも育まれ、江戸氏の人格はかたちづくられる。
「大学進学はあきらめていた」と江戸氏。「それで、高校卒業後、うちをでて岡山県にあるユースホステルで住み込みではたらきました。その時に知り合った人といっしょに小豆島にあるユースホステルに移ります。こちらでも住み込みバイトです」。
大学進学をあきらめていた江戸氏だったが、ユースホステルに来る学生たちが、一様に進学を勧めた。「大学には進んでおいたほうがいい」と。「それで。そうですね。意をけっして1年、勉強して、奈良にある奈良産業大学に進みました」。
弁護士になるべく、法学部法律学科を選択したものの、卒業後すぐに弁護士になれるわけもなく、司法試験も簡単に受からない。「弁護士事務所でバイトをしながら」という道も、金銭的に余裕のない江戸氏にとっては現実的ではなかったそうだ。弁護士をあきらめなければならなかったことが、人生でいちばんの挫折だったと語っている。
大学生でありながら、起業する人は少なくない。江戸氏もいわばその1人。しかし、独立までの経緯は少し複雑だ。「学生時代にイベント会社でアルバイトしていたんです。それが縁となって、私が、責任者となって大阪支店をつくることになったんです。支店長と言っても、経営という意味では実質、社長です。この会社が、今のうちの会社、ムーヴの前身です」。
ホームページの沿革には、平成9年5月に、「クラスター大阪支店」として事業を開始。平成14年2月、有限会社ムーヴ設立とある。
ちなみに、当時の事業は、イベント・催事などの工事業である。「イベントや催事を専門にやっている工事会社は、そう多くありません。規模で言えば、ムーヴはトップクラスです」。
運動会、竣工式、祭り的なものには、かならずムーヴの仕事がある。元祖浪花のお祭り男である。
「一つ一つは、ぜんぜんたいした額じゃないんですが、数がハンパない。事業を開始して約20年ですが、この間、ずっと右肩上がり。スタッフは、常時2000〜3000名在籍しています」。
沿革をもう少したどると、平成18年に「Cafe&Bar agio」オープンとある。「私は、いままで飲食や、そうユースホステルなどでもアルバイトをしてきました。そういう経験があったもんですから、飲食事業にも興味があって、それでオフィスのスペースを削って、『Cafe&Bar』をオープンしました」。
平成22年には、「飲食の戦士たち」ではおなじみの「太陽の会」に入会している。「鳥貴族の大倉忠司社長に勧めていただいたんです」。
鳥貴族の大倉氏とは、アメブロを通じて知り合ったそうだ。「知り合った」と言っても、一方的にメールを送り、返信が来ただけの話であるが、いうなら、かなりラッキーな話でもある。
「あの時、大倉さんと、リゾートホテルなどの再生をされている方、お2人にメールを送らせてもらって。大倉さんから返事をいただいたんです。それで、一度、オフィスに遊びに来なさい、とおっしゃっていただいて」。
大倉氏とは、それからの付き合いらしい。「今、私があるのも、大倉さんのおかげ」という。とはいえ、大倉氏の指南通り進んできたわけではないようだ。
「平成23年にある人と組んで『堺筋本町サカホン酒場』という60坪の店をオープンします。大倉さんには、60坪は大きすぎるとアドバイスされていたんですが(笑)」。うまくいかなかったわけではないが、飲食事業の起爆剤とはならなかった。
翌年、八王子ロマン地下「元祖味たこ本舗ほんまや」をオープンする。鳥貴族も、関東進出済み。ムーヴのイベント事業ではすでに関東に進出していたこともあって、八王子に、関西らしいお店をオープンさせた。
飲食事業が確立するのは、平成25年に、「釜焼鶏本舗おやひなや渋谷ハチ公口店」をオープンしてからだろうか。
飲食事業は私一人で担当するのは10店舗くらいまで、と江戸氏は語る。その後は社員に社長となって運営してもらう考えだそうだ。
「太陽の会とかにいると、すごい人ばかりでしょ。100店、200店って話もふつうに出てくるわけで。そうなると、つい、俺にもできるんじゃないかな、って思ってしまうわけですが、それが危険だって、みんなにいっているんです(笑)」。たしかに、「大ボラが先にありき」では危険である。しかし、江戸氏を知る者にとって、10店舗は、さすがに小さすぎる構想と映る。
「大倉社長は、業態はひとり一つがいい、とおっしゃっているんですが、私は、イベントというまったく違った仕事もしていて、そういう意味では、その時点でもう、いち業態じゃないんですね。でも、大倉さんのように何百店舗にしようとしているわけじゃないから、いいかって(笑)」。
ともかく目標は、10店舗。40代で飲食事業を固め、50代からはホテル事業を開始するという。その話を聞けば、10店舗構想も、納得できなくもない話となる。50代から「やりたいこと」があるのも、飲食事業だけに専念できない理由だからである。
「ホテルをやれば、バイトで経験したことすべてを、私の手で事業化したことになります。それをやって、引退」と笑う。
ホテル事業への参入の一方で、株式上場の準備も進めているそうだ。「大倉社長の『正しい会社』という言葉に感銘を受けて。外部に公言はしていませんが、今、社内で進めています。私の休みも、土日となって。ま、社長といっても、アバウトじゃだめになりました(笑)」。
狙っているわけではないが、海外進出も機会があれば、「積極的に」という話だ。全体の構想とその世界観は、たしかにお祭り男の江戸氏らしく、でかい。
今すぐとはいかないが、「イベント」「飲食」「ホテル」、それぞれの事業がリンクすることで起こるだろう化学反応も見ものである。
毎年、学生を迎える入社式では、植物の話をしているそうだ。切られても、芽が出てくる。そのたくましい生命力を身につけろ、とハッパをかけている。
江戸氏自身の生きざまと重なる。
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