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第596回 株式会社ぼてこアンドぼてじゅう 代表取締役社長 稲垣龍史氏
update 17/06/27
株式会社ぼてこアンドぼてじゅう
稲垣龍史氏
株式会社ぼてこアンドぼてじゅう 代表取締役社長 稲垣龍史氏
生年月日 1964年6月11日
プロフィール 愛知県安城市生まれ。創業者の2代目として、2005年に社長に就任。2人兄妹の長男。2017年現在、直営店5店舗、FC18店舗を展開している。
主な業態 「ぼてこ」
企業HP http://www.boteko.co.jp/

大阪には、旨いお好み焼がある。

「大阪には、旨いお好み焼がある」。父の一言が、創業の始まりだった。
「父はもともと大阪人で、大阪のお好み焼の味を東京に広めようと旅立ったそうです。しかし、名古屋で途中下車してしまい、定住するようになり、やりたかったお好み焼の店を始めます。始めると言っても、父は建築関係の仕事を持っていましたので、母に修業に行かせるんです。その修業先が「ぼてぢゅう」さんでした」。
当時は、FCという言葉もない。
母は当時の「ぼてぢゅう」の大将から簡単な了解を得て、愛知県の安城市と刈谷市に2つお店を開いた。だから、社名にその由来が残っている。
「創業当時、うちのようなレストラン形式のしっかりしたお好み焼店はなかったんですね。それもあって、ヒットした。私が生まれた頃には、すでにお店があったもんですから、母ももちろん父もいそがしい。だから、家族で食卓を囲んだ記憶はほとんどないんです」。
人気店はとにかくいそがしい。父も副社長として経営に参加するようになる。
「とにかく、父はお好み焼が好きだったんでしょう。店を広げたいという思いもあったし、おまけに人がいいから、相手が素人にちかくても『のれん』をわけてしまう。それで、次々、うちの、いまでいうFC店がオープンしていきました」。

お好み焼店の経営まで投機的だったバブル時代。

「いい車に乗っている」。「いい家に住んでいる」。当時、<お好み焼「ぼてこ」>のオーナーはそういう風に観られていた。敷居は低い。オレにもできるんじゃないか、とオーナー希望者が殺到する。たしかに、やれば、ヒットした。だから、希望者はあとをたたなかった。
「店舗を増やすことが、いつしか父のミッションになっていました。大好きな店ですから、父は単純に、希望者が多いことに喜んでいたんだと思います」。
しかし、当然ながら、経営はそう簡単ではない。
「バブル期なると、単に『儲かるなら』という、投機的な発想で加盟されるオーナーさんが増えてきました。バブルの頃はすべてが右肩上がり。うちの会社も最盛期で50店舗くらいにまでなったと思います。そして、バブルが弾け、それまで眠っていた問題点が表面化するんです」。

逆風。

「儲かるよ」。人のいい父は、よかれと思って人を誘った。しかし、それがミッションになった頃の父は、本人も気づかぬ間に行きすぎたトークをするようになっていたのかもしれない。
あるオーナーが訴え、裁判に負けた。多額の支払いが命じられた。
「あの頃は、うちだけじゃなく、いろいろな問題が表面化してきた時代でした。FCビジネスにも逆風が吹き、『本部が悪い』と。裁判でも相手方に有利な判決がでるような、そんな社会的な風潮だったんです」。
判決もそうだが、それ以上に驚いたのは銀行が、この判決によって一斉にそっぽを向いたことだ。
「貸し付けはもちろん、貸し剥がしです。とにかく、とっとと返してくれと。そういう状況になっても店が好調だったもんですから助かったんですが、お金が貸してもらえなくなると出店もできません」。
創業以来、初の大ピンチでもある。この時、稲垣氏はすでに会社に入り、スーパーバイザーという重要な役割を果たしていた。

一つの決断。

「直接、父に言われたわけではありませんが、小さな頃からいつか会社に入ると思っていました。その思いが年々強くなっていき、社会人になるときには、迷わずうちの会社に就職しました」。
最初は店長だったが、FC店が増えるにつれ、いつしかスーパーバイザーの役割を担うようになっていった。
「最盛期でも、SVは私1人です。にもかかわらず父は、どんどんとFC希望者を募り、オープンします。3店同時オープンなんて時もありました。言っておきますが、その時もSVは私1人です(笑)」。
まさに八面六臂のはたらきぶりである。しかし、前述通り、裁判に負け、会社は窮地に陥る。
「社長の母は、もともとビジネスには関心がなかった。店を守るタイプの人だったんです。だから、FCの推進者は、副社長である父だったんです。バブルの頃まではたしかに父のやり方でも良かったんですが、もうそういう時代ではなくなった。旨いからいい。だから儲かる。そういう単純な時代ではなくなったということです」。
稲垣氏は、断腸の思いで父に退任を迫った。「うちの会社を守りたい一心で、何度も話をしたんですが、わかってくれなかった。最終的には株主総会で、退任してもらいました」。親子の確執。いまなら、TVの格好の材料だ。しかし、どうあれ、会社を守るために、息子、稲垣氏も譲れなかった。

夏と冬のキャベツはべつもの。

「夏と冬のキャベツはべつもの」と稲垣氏は言う。これだけではないか、この違いを知っているかどうかが一つの目安となっているらしい。
「FCオーナーを希望される方にいつも私が申し上げていることの一つです。夏と冬のキャベツはぜんぜんちがう。わかっていらっしゃればいいんですが、知らない人が多い。だから、1年間はうちの店で仕事をしてくださいと言っているんです」。
稲垣氏の代になって、FC店となる敷居は高まった。「なあなあ」でやってきたジーとザーの関係も見直した。折り合いがつかず、撤退いただいた店もあるそうだ。
「それでいい」と稲垣氏は思っている。いまからの時代、経営の純度を上げないと生き残ることはできない。
純度という意味では、<お好み焼「ぼてこ」>を代表するように、稲垣氏の店では「味」にぶれない思いがある。つまり純度が高い。
「お好み焼には、ソースはもちろん青海苔や鰹節、天かすという調味料が必須でしょ。うちには、青海苔も鰹節も天かすもありません。味を誤魔化したくないからです」。
キャベツと粉(小麦粉)で勝負する、と稲垣氏は言う。夏と冬のキャベツのちがいを語るのも、そのためだ。
「キャベツの甘味、小麦粉の旨さ、そういうのが、うちのお好み焼なんです」。
母が、ぼてぢゅうで修業したことから始まる<お好み焼「ぼてこ」>だが、ソースも、名古屋らしくオリジナルに進化している。
「こっち(名古屋)は、とにかく『たっぷり』が基本なんです。だから、ソースもたっぷり使う。でも、ふつうのソースだと、辛いし、くどい。だから、あっさりしたソースを開発したんです」。
大阪から来た人が食べると、「なんやこれ」となるらしい。
「『これが、お好み焼か』と怒られるお客様もいらっしゃいます。でも、私はそれでいいと思っています。うちは、何も誤魔化していない。旨いのも、ほかのお好み焼と違うのも当然です。食材からして、ちがうわけですから」。
「ぼてこ」の食材費は、33%というから驚きだ。
「ただ、これをお好み焼じゃないというお客様もいる。でも、それでいいんです。もの凄く旨いかもの凄く不味いかの判断でいいんです。記憶に残してもらわないとリピーターに繋がらないからです」。
「旨いか、不味いか」ではなく「ここでしか食べれない」が稲垣氏が大事にする点。ふつうじゃいけない、というわけだろう。

リスクに、挑め。

稲垣氏が社長になったのは、2005年。稲垣氏流の経営で、かつてのピンチを乗り越え、経営的にも次世代へ向けての、舵きりがスタートしている。
「私は、少しでも長く、おいしいお好み焼の店をつづけていきたいと思っています。100店舗を目指すのではなく、100年を目指すことが目標です。FCについてもいまからは『社員からの独立』をスタンダードモデルにしていこうと思っています」。
「COCO壱番屋」という、いいモデルが名古屋にはある。ところで、こういう話を聞いていると、稲垣氏はどうも慎重派に思える。しかし、そうではないらしい。
「私は、バイクが大好きで、いまもサーキットを走ります。とんでもないスピードにからだを預ける。レースはとてもリスキーなスポーツです。でも、だから、楽しい。山登りだって、とんでもない山に登るひとは、どこかで、リスクと向き合うのが好きだと思うんです。リスクがあるから、楽しい。人生って、そんなもんじゃないですか」。
いかに、バルブが弾け、坂道を転がりだしたとはいえ、いままでの成功体験を捨てるには勇気もいったはずだ。父との決別も、その一つであり、それもまた稲垣氏のいうリスクだろう。
しかし、それらのリスクと向き合うことで稲垣氏は、いままでにない「ちから」を発揮した。
リスクがあるから、人生は楽しい。いい言葉だと思った。
お好み焼は、もっと進化する。もっと広がる。日本だけではなく、世界へ。
そういう未来へとつづく一言だとも思ったからだ。

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