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第60回 株式会社ニュールック 代表取締役 金本重徳氏
update 09/09/08
株式会社ニュールック
金本重徳氏
株式会社ニュールック 代表取締役 金本重徳氏
生年月日 1971年5月生まれ。
プロフィール 13歳。中学生の時から母が経営する焼肉店を手伝い始める。その時から、高校を卒業するときまでの6年間が、いわば金本の修行期間。高校卒業後、時を同じくして独立した兄の焼肉店を手伝い、2年後に、母の経営する「金龍」に入社。
23歳で母から店長を譲られ、若い感性と、商売人の感覚で、「あぶり屋」を展開。成功を収め、若い経営者として、注目される。
主な業態 「あぶり屋」
企業HP http://www.new-look.co.jp/

中学時代から、店で職人の仕事を叩き込まれる。

「焼肉レストラン天龍」をはじめ、神奈川県で焼肉店など計7店舗を経営するのが株式会社ニュールックの代表取締役、金本重徳だ。23歳で、母親の後を継ぎ店長に昇格。自らの感覚で飲食店の経営を捉え直し、「天龍」より、1000円程度客単価の低い「あぶり屋」を出店。多店舗展開に乗り出すことになる。(09年8月現在、あぶり屋4店舗)。その後、2007年10月には関内にアッパークラスの焼肉店「匠家」をオープン。今度は、30代になった自分の感覚で捉えた、同年代の客層が求めるリッチな業態である。こう考えると、金本は、自分が行きたくなる店を基本コンセプトに、店作りを行ってきたように見える。果たして、彼のこの感覚と行動力は、どのようにして、育まれてきたのだろうか。

4人兄弟の末っ子として、金本が生まれたのは、1971年。父親は小さいながら洋服の製造業を営み、母親と、年の離れた長男が焼肉店を運営するといった商売一家のなかで育った。中学生時代から金本は、母の店をよく手伝った。土日になれば、店に顔を出す。高校生になると、正式にアルバイトとして雇用され、「時給ももらえるようになった」そうだ。当時、誘った友人の一人が、いまも総料理長として残っているという微笑ましいエピソードもあるぐらい、人も、店も、その当時が原点になっている。

金本が当時を振り返る。「若いコックさんがいたんですが、職人気質を持っていた人で、蹴られたり、熱いスープをかけられたり、もう絶対服従って感じでした。でも、その厳しさのなかにも優しさがあったんでしょうね。ぜんぜん嫌いじゃなかったですね」。両親から受け継いだ商売のDNAに加え、中高生の頃から職人のノウハウを徹底的に教えられたことで、基礎体力がついていく。商売の厳しさと同時に面白さも覚えたに違いない。

大学か、母の事業か、それとも、父の事業か。3つの選択は、金本に覚悟を植えつけた。

しかし、高校卒業、進路を決定する際に金本は悩んでいる。大学か、焼肉店か、それとも。そう、もうひとつが父親が経営する洋服の製造会社への就職である。共に家業。兄はすでに焼肉店を手伝っている。どうすべきか。悩んだ末、金本は焼肉店を選んでいる。「兄は大学に行けと、でも結局、焼肉店を選ぶことにしました。洋服の製造のほうは20人ぐらいの社員を抱えていたんですが、中国などで縫製などがずいぶん安くできるようになっていましたから、父も、後を継がなくてもいい、と」。その父の言葉ではじめて踏ん切りがついたそうだ。ちょうど同時期、兄が母の店から独立した。金本はまずそちらに就職することになる。

高校を卒業したとはいえ、まだ18歳。だが金本は、この時点ですでに6年近く飲食店でお客様を迎えてきたことになる。もうベテランの域だ。兄の店でも、もちろん即戦力となる。一方、11時には兄の店をでて、それから母の店を手伝うという二股の生活が続く。2年後、母の店に戻る。二十歳の頃である。この店は何度かリニューアルし、現在の「焼肉レストラン天龍」蒔田本店となるのだが、このとき最初の大きなリニューアルが訪れた。10ヵ月間の長い閉店期間。金本も、自らを再構築するかのように、他店に修行にでる。

飲食店には、たしかにいくつものタイプがある、と金本は思ったのではないだろうか。初めて経験した他店は、上下関係が厳しかったが、ただ厳しいというのではなく、下の者を尊重する考えもあった。「ごはんとかも下の者からですし、こういう関係もあるんだと気づかされました。いまウチのお店では、このやり方を真似させてもらっています」とのこと。また、当時一斉を風靡した焼肉店では、店長次第で、お店の雰囲気がガラリと変わることを体験した。

基礎があるだけに覚えるのも早い。経営の捉え方も正しい。だからわずか10ヵ月という短い期間だったにも関わらず、多くのことを吸収することができ、リニューアル後の運営にも活かすことができたのではないか。それにしても、早い。23歳の時には、すでに多店舗化の指揮まで取り始めている。大卒者でいえば社会に出て1年目の年齢である。

父と母から受け継いだのは、商売人のDNAだけでなかった。
家族や社員を大事にする心もその一つだったに違いない。

「生活も安定した。家族も社員たちも、それなりの生活ができるようになった。でも、いまも、どう社員たちを幸せにしていくかを考えている」と金本は語る。その重い責任を彼は背負いつつ、それでもチャレンジを続ける。そこに彼の魅力が凝縮しているように思えてならない。

ニュールックの設立は平成13年。実は、この飲食店にしては一風かわった社名は、父の会社を残すため、父が設立した会社の事業を転換して、社名をそのまま引き継いだからだ。子どもの頃は、学校が終わると、決まって父の運転する車に乗り込んだ。その大好きな父の思いも、金本はしっかり受け継いでいる。

7店舗とはいえ、金本の年齢からすればまだまだ挑戦は始まったばかり。どんなお店がいま必要とされているのか。客と同じ目線で、素直に見つめることで次の展開が見えてくる。その素直さもまた金本の武器ではないだろうか。5年後、10年後がたのしみな会社に、また一つ出会ったような気がする。

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