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第601回 株式会社福しん 代表取締役社長 高橋 順氏
update 17/08/01
株式会社福しん
高橋 順氏
株式会社福しん 代表取締役社長 高橋 順氏
生年月日 1973年1月、東京で生まれる。
プロフィール 2人兄弟。姉とは8歳違っている。生まれた頃には、父は、すでに「福しん」を開業。自身の成長と共に「福しん」も大きくなっていく。高校卒業後、経理の専門学校に進学。卒業後、経理知識を活かし、上場企業の子会社に就職。24歳で退職した後、27歳の時に「福しん」入社。上場の計画も進んでいたが、すべてを見直し、組織や体制の再構築に着手。2005年、社長就任。2017年7月現在、「福しん」は37店舗を展開している。
主な業態 「福しん」
企業HP http://www.fukushin.info/
株式を上場するはずだった。後に2代目社長となる高橋 順が、父の会社である株式会社「福しん」に入社した時には、たしかに株式上場の話が進んでいた。父からも、そうと聞かされていた。しかし、いざ蓋を開けてみると、あまりに杜撰な経営状態に唖然とするばかりだった。「これでよく上場しようと思っていたな」と、そんな言葉が思わず口をついてでた。たとえば「社会保険」が整っていなかった。「有給」も整備されていない。代わりに、給与だけが高い。「この状況を改善しなくては…」、これが、2代目社長高橋の、「福しん」で幕を開けた新たな足跡の第一歩だった。

クリスマス3年分のプレゼント。

高橋は1973年1月、東京に生まれる。姉は一人いたが、8歳違い。「互いに一人っ子状態だったね」といまではそう語り合うそうだ。高橋が生まれた頃には、父もまだ1店舗の店主にすぎなかったが、すぐに出店を重ね、「物心がついた頃には3店舗になっていた」そうだ。父はもちろん母も仕事に追われ、家にいることが少ない。幼稚園が終わると、高橋は友人の家で遊び、母が迎えにくるという生活が続いた。「PC好き」のスイッチが入ったのは、あるクリスマス。「3年分だ」とサンタが、大きな包みを抱えて帰ってきた。パーソナルコンピュータだった。当時はまだIBMが主流で、OSもUNIXに限られていたのではなかったか。いずれにせよ、小学生には扱い切れない代物だったはずだ。ところが高橋は独学で当時の主要言語であるベーシックを習得し、プログラミングを組み始めた。一人で家にいることが多かったが、その時間がプログラミングで埋め尽くされていくことになる。後に高橋は、「パソコン通信」の大手企業からプロデューサー的な仕事を請け負うほどになるのだが、その実力は、小学生時代から育まれたといっていいだろう。むろん、ロジカルな思考も、プログラミングと戦うことで養われたはずだ。

経理専門学校を卒業し、上場子会社に。その後、パチスロと戦うシビアなプロの世界へ。

中学になるとさらにPC熱は加速する。お年玉を貯め、新たなPCを購入。ゲームを開発するなどして楽しんだ。その頃「福しん」は6店舗になっている。高校生の時の記憶で一番印象に残っているのは「文化祭の委員長を務めたこと」だという。大学祭に匹敵するような、1週間にわたるロングランの文化祭を高橋はきっちり取りまとめた。当時、高橋は「福しん」でアルバイトを始めているが、「将来、事業を引き継ぐ気持ちはなかった」ようだ。その後、経理の専門学校に進み、2年間勉強した後、ある建設会社に入社。上場企業の関連会社だっただけに、厳密な決算を教わり、学べることも少なくなかった。ただ、建設会社につきものの、独自の「商習慣」には、なかなかついていくことができなかった。社会には、表もあれば、たしかに裏もあった。24歳で高橋は退職。その後、1年間、パチンコ店で勤務し、今度は「パチスロ」のプロになった。シビアな世界だ。高橋は、「強い信念で勝てると思い、冷静に打ち続けることを学んだ」といっている。ちなみに「スロットマシン」は、あらかじめ設定が数段階に分かれているそうだ。むろん客は知ることができないのだが、決まった絵柄の出現頻度から、割り出すことができるという。これが勝ち負けのカギを握る。いったん「これだ」と思った台があれば、後は根気と信念の勝負。予測の「精度」を限りなく高め、「信念」で揺れる心を抑えきる。小さなマシンとの戦いだが、それこそ弱い自己との戦いでもあったようだ。高橋に、休みの日は何をしているのかと聞いた。すると「パチスロですかね」という答え。「こちらは趣味でやっているから、楽しめた」という。プロの厳しさがこの一言からも伺えた。ちなみに年収は数百万円にもなったという。そのような生活をしている時、父から「『福しん』に入るように」と頼まれた。社長含みなら断っていたかもしれないが、上場を控え、組織の内部を固めるためと言われ快諾した。だがこれが、とんでもない話だった。

経理などのキャリアを買われ、「福しん」へ。組織体制の再構築に着手する。

「当時の店舗数は25店舗でした。スタッフは200人以上いました。売上も、利益もあがっていましたが、いまでいうコンプライアンスの点ではかなり問題がありました。保険や残業代もなかったのですが、この2例だけでも、やっかいな問題でした。制度を設ければいいという話ではありません。法令通りにすると今度は給料が減るなど、社員にも痛みが伴うものだったのです。それを一人ひとりに理解してもらうこと。これには相当なパワーがかかりました。当時、中途入社で入ってくれた坂之上という人間と2人で、この作業を粘り強く行いました」。まるで改革だった。上場を狙っていた父は、どのようにその様子を見ていたのだろう。「父の考えもいろいろあったと思いますが、とにかく、やらしてみてくれと。それで結果で判断してくれと」。高橋は、ことごとく、父も驚く結果を残していく。父は頷くほかなかった。出資者であったファンドからもやがて株式をすべて買い戻している。いったん上場の話はなくなったといっていい。だが、組織は逆に、上場してもおかしくないまでに、強く生まれかわっていく。エリアマネージャーにも自らなり、いままでおろそかにされていた「重要な職」をつくっていった。2005年、社長に就く頃には、末端にまで高橋の考えが伝わっていたそうだ。だから代替わりも、誰の目にも違和感なく進めることができた。

有言実行で社員たちをひっぱる。
世界の「福しん」へ。巨大な企業組織への道を着実に進んでいる。

「社長の言うことを聞けば上手くいく。それが部下たちをリードするコツ」だという。カリスマ的な経営といえなくもないが、経営者にとっては、一つの間違いも許されないだけにさぞ精神的にきついのではないかと思ったが、「のるかそるかの勝負に耐える精神は、あのパチスロ時代に鍛えられていたから」と、高橋はケロリとしている。2010年5月現在、社長になって5年が経った。高橋が考える組織に徐々に近づいてきた。店長の1ヵ月の就労時間は、飲食店にしては極めて低い220時間。残業は40時間までに抑えている。給与査定には、店長経験が長くなることでアップするユニークな方式も採り入れようと試みている。役職手当が大きなウェイトを占めがちな飲食業では、これもまた珍しいのではないか。「店長をずっとやっていきたいという人の声にも応えていきたいんです」「パートから社員に、そういう進路もつくりたい」と高橋。目はちゃんとスタッフに向いている。それだけではない。採用にも、育成にも、いままで以上に力を入れていきたいという。海外、具体的には中国への進出も、視野に入れている。中国出身の店長がいることから、「彼らが中国に帰り、『福しん』ブランドを向こうで広げていってくれれば」と期待をかけている。教育のために「40〜50名のスタッフで動かす大型店の出店も計画している」そうだ。「株式上場」の代わりに、高橋はいま、多くの大きな目標をスタッフたちに与えている。ところで、最近、PCのほうはどうなのだろうか。「やっている」「いない」に関わらず、子どもの頃からプログラミングを通し鍛えた柔軟でロジカルな発想が、これからの「福しん」をつくりあげていく原動力になることは間違いない。だとしたら、約27年前、サンタが送った3年分の贈り物は、サンタ自身への贈り物にもなったといえるのではないだろうか。

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