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第605回 株式会社神戸らんぷ亭 取締役社長 井上陵太氏
update 17/09/05
株式会社神戸らんぷ亭
井上陵太氏
株式会社神戸らんぷ亭 取締役社長 井上陵太氏
※株式会社ガーデン 取締役兼営業本部長兼務
生年月日 1986年5月10日
プロフィール 埼玉県秩父市で生まれる。兄の背中を追いかけ、サッカーを始めると、とたんに才能を現し、小学生時代には「得点王」として新聞にも掲載される。小・中学時代にはJリーガーとなり、日本一の舞台に立つことを疑うことなく受け入れていたのだが。大学を1年で中退。カラオケ店を経営する株式会社マックに入社(のちのガーデングループ)。もう一度、日本一を追いかける旅がスタートする。
主な業態 「壱角家」「元祖博多中洲屋台ラーメン 一竜」「てらッちょ。」「東京トンテキ」「肉寿司」他(回転寿司、和食、ハワイアン、バル、カフェ、丼、ステーキなど)
企業HP http://kobelamptei.jp/
http://gardengroup.co.jp/

サッカー少年。

「にいちゃんにくっついていた」と、今回ご登場いただいた井上氏は語る。井上氏が生まれたのは、埼玉県秩父市。「山の中」と井上氏がいうので調べてみると、たしかに山に囲まれている。
ウィキペディアによれば「秩父盆地の中央にあることから古くから物資の集散地として、また秩父神社の門前町として栄えた」らしい。この秩父で、井上氏は18歳になるまで暮らしている。
「小学校の頃は、時々、警報が出るんです。『熊がでたぞ』って。そのたびに学校で待機です」。たしかに熊も出そうな山間である。秩父市のホームページを観てみたが、いまも「クマに注意!!(クマ目撃最新情報)」というコンテンツがトップページにあった。その街で、兄の背中を追いかけていたのが子どもの頃の井上氏像である。
「私が、兄のあとを追いかけなくなったのは小学3年生頃からです。サッカーに取りつかれてしまったんです」。
足も速く、ボールさばきにも天性のものがあった。井上氏が6年になると、秩父エリアでは向かうところ敵なし。地方新聞には得点王として井上氏の名が何度も掲載された。
「監督のおかげですね。でも、むちゃくちゃな指導です」。試合に勝っても、2時間かけて試合が行われたグラウンドから走って帰らされた。「この相手に、なんだ、この点数は。少なすぎると怒鳴るんです(笑)」。
監督は怖かったが、それでもサッカーは楽しくてしようがない。監督がいう通りやれば、試合に負けることもなかった。「大好きでしたね。代わりに勉強はまったくしなかった。家に帰ってからも、勉強せずに、泣きながらサッカーの練習をしていました」。
いつかプロに行くと思っていた。「それは、目標じゃなく、私にとっては既定路線でした」。

大学にいても、しょうがない。

車で1時間かかったそうだ。学校からクラブチームの練習が行われるグラウンドまでの距離である。中学になった井上氏は「上里ナポレオン」という秩父から少し離れたのクラブチームに所属する。「トレセンという、選抜チームにも選ばれ、試合にもでていました。土日は遠征です。父母が車で遠征先まで送ってくれました」。
「いくつかの高校からスカウトされました。そのなかで私は『正智深谷高等学校』に進みます。いまからちからを入れていくという段階だったものですから、私にとっては、それ自体、興味深かったんです」。
高校時代もトレセンに選ばれた。むろん、選ばれるのはごく少数のエリートたちである。「大学も推薦で埼工大深谷大学に進みました。だけど、1年で中退してしまいます」。
どうしてしまったんだろう。プロはどこに行ってしまったのか。
「高校時代ですね。プロは無理かもしれないと思いはじめたのは。私自身は背丈もそうあるほうでもないですし、ユースの選手たちと比較すると明らかにちからが劣った。いままでサッカーで飯を食っていくのが当然だと思っていたわけですよ。だから、あれ? どうした、みたいな」。
明確な理由もわからぬまま、大学に進んだ。しかし、大学でも霧は晴れなかった。1年で退部届をだし、ならばと授業に出てみたいが、まったく会話の意味すらわからなかった。「そりゃぁ、そうですね。サッカーしかしてこなかったんだから。だから、大学にいてもしょうがないと思って」。

1年もかからずつくった、300万円の借金。

「ここから先は、いままでのすべての反動ですね(笑)。勉強もしなかったですが、サッカー以外は、遊ぶこともしなかったわけで。ご想像におまかせしますが、今思えば、アホです」。
気づくと、300万円の借金を抱えていたそうだ。19歳の少年には莫大な金額である。「大学を辞め、ぷらぷらして、それで300万円です。何をやってもいいという親父が久々に怒ったのもこの時です。昔から『真剣にやるなら日本一をめざせ』という親父だったのですが、この時は、こういいました。『喧嘩をやりたければ、ボクシングで日本一になればいい。悪いことをしたけりゃ、その道で日本一になるか。中途半端なことはするな』って」。
300万円に膨れた借金と父親の一言で、流れに竿差し、新たな道を模索した。ともかく、借金を返さなくっちゃ。「だからうちの会社に入社したのも、借金返済が何よりの目的だったんです。当時は、まだ10店舗くらいで、閉店もつづいていた頃でした。最初はバイトだったんですが、『正社員になれば月24万円ある。そのなかから計画的に返済すればいい』という店長のアドバイスを聞いて、社員になり、それが正確にいうと今日までつづくんです」。
ちなみに、この300万円について、井上氏は「そりゃ、なかったほうがよかったですが、ある意味、あの借金があったことで、いまがある。そういう意味では、あってよかったとなるのかもしれませんね」と言って、笑った。

カラオケ日本一をめざし、チョコレートフォンデュ導入?

「店長が、うちの親父同様、日本一と言っていたのも、正社員になる引き金になりました。そんな大きな目標があるなら、俺もいっしょにやってみたいと。そう、思わせるような熱い店長でもあったんです。それに、大きくなったものを維持するより、ちっこいものをでっかくする、私の性分にもぴったり合致したのです」。
「店長は、日々『いままでにないものをつくろう』と言いました。本部からはほぼ干渉されないんで、何もしなくてもいいんですが、でも、うちの店の店長は違っていた。毎日、トライアンドエラーです。むろん、スタッフの私たちも、加担します(笑)。失敗もありましたが、たとえば、チョコレートフォンデュやアイスクリームを食べ放題にしたのは、うちの店長が日本で最初です」。
日々、仕事が楽しくなっていく一方で、借金は少なくなる。「最初の頃は頭が痛かったですね。どうすればいいんだって。でも、計画を立て、4年で返済するのを結局、2年で完済しました。でも、完済した時のことはあんまり覚えていないんです。もう、仕事に夢中だったからでしょうね。いつ完済できたのか、それも忘れてしまいました」。
借金は消え日本一の目標が残った。
しかし、こいつは借金返済以上に、きびしい目標である。

日本一を追いかける旅は、まだ終わらない。

「社会人経験は、うちの会社だけなんです」と、井上氏は笑う。「入社した当時は、社員全員が集まっても20名ほどで、大きめの部屋であれば、カラオケルームでも充分でした。それから、いろいろあり35店舗くらいになった時には、営業部長、執行役員となっていました。『神戸らんぷ亭』の社長になったのは、スタッフに『カラオケで日本一になろう』とメールで檄を飛ばした翌日です(笑)」。
ところで、井上氏の現在の所属は、「株式会社イーダイニング」「株式会社神戸らんぷ亭」など合計10社をグループに持つ純粋持株会社「株式会社ガーデン」となっており、こちらでの位置づけは、取締役兼営業本部長である。
ガーデンは、飲食店を次々、買収する。提携も少なくない。「神戸らんぷ亭」も、その一つ。そして、ガーデンが有名になったのは、「東京チカラめし」68店の継承である。
「三光マーケティングフーズさんの、『東京チカラめし』です。全68店を譲り受けました。うちが欲しかったのは、店舗です。思うように店が取得できない。ならば、という発想でした。だから、『神戸らんぷ亭』もそうですが、全店、ラーメン店に生まれかわっています」。
ホームページをみると、実に様々なブランドが載っている。「壱角家」「一竜」「横浜道」「情熱のすためしどんどん」「だるまのめ」「てらッちょ。」「鉄板王国」「ツナミエビストウキョウ」「ザ ベランダ」「ダブルレインボー」「アンドダブルレインボー」「回転寿司プレミアム海王」「ステーキの王様」「東京トンテキ」「なみの上」「Cafe RASHIKU」「MARZAC・MARZAC7」。
ただこれらも、2017年7月現在の話である。今日にも新しい店がオープンし、新たなブランドのお披露目会が行われているかもしれない。
井上氏も間違いなく、会社の舵を握る1人だ。
「ほかの会社は知らないから、いろいろわからないこともある」と井上氏。たしかに、そうだが、だからこそ、根っこがしっかりはっている気がする。ピッチという舞台からは降りたが、「日本一」を追いかける、その旅はまだ終わらない。

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思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
幼少時代(下段左から三番目) 高校サッカー選手権掲載(写真 右) 社員総会
 
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