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第607回 株式会社imprise 代表取締役社長 大野博司氏
update 17/09/19
株式会社imprise
大野博司氏
株式会社imprise 代表取締役社長 大野博司氏
生年月日 1980年8月31日
プロフィール 東京都足立区出身。中学2年生の時、1軒のクラブに出かけ、人生が大きく動き出す。高校には進学せず、クラブで働き、のちにイベントのプロデュースを単独で行うまでになる。19歳、結婚を機に、いったんサラリーマンとなり落ち着くが、たちまち頭角を現し、全国でもトップ営業マンに。その職を捨て、海外に飛び出したのは21歳の時。ニューヨークに単身渡り、2ヵ月を過ごす。それ以来、スペインやブラジルなど海外を遍歴。帰国後、イベントプロデュース事業を再開。2014年「神田バル横丁」を仕掛け、2017年、「バル横丁」を次々オープン。10月の烏丸バル横丁など、年内5ヵ所、海外進出も視野に入れている。
主な業態 「蒲田バル横丁」「赤坂バル横丁」「CHOP SHOP」
企業HP http://imprise.co.jp/

親戚たちが住む、不思議なアパート。

東京都足立区出身。両親が小さな頃に離婚し、その後は、母が女手一つで育ててくれた。兄弟は2つ下の弟と10歳下の妹。ただ、階を降りれば、親戚の子がいたりした。
「祖母が所有しているアパートに、母方の親戚がみんな住んでいたんです。だから、階を降りれば親戚の子がいたりして。今思えば不思議な空間ですね。建替えはしましたが、今も親戚のほとんどはそこで暮らしています。学校は、小・中とも私立です」。

14歳、中学、退学?

「正確にいうと覚えていないんですね。義務教育だから卒業はしているはずなんですが」と前置きしつつ「卒業式の記憶がない」と笑う。
「そうです。1年の時は勉強もしていたんですが、中学2年生の時ですね、地元で通っていたボクシングジムの先輩に誘われて、初めてクラブに連れて行ってもらって。あれで、私の人生が180度かわりました」。
初めてみる風景。音楽と空間に魅了された。
「格好いいなぁって。それからほぼ毎日通います」。
中学2年。大人びた格好をしても、14歳である。からだも小さい。表情にも幼さが残る。
「スタッフの人もみんな可愛がってくれるんです。今はダメだと思いますが(当時もダメですが)そのうちクラブでバイトもするようになって。時給は300円でした」。
14歳。学校生活を送っていた少年が、いきなり大人の世界に迷い込む。しかし、それは森のなかを探検するように楽しかった。
「私が初めて、イベントをプロデュースしたのは94年だから、14歳ですね。一番多くのイベントをプロデュースしていたのは96年、97年です」。その頃になると月に20〜25本のイベントを動かしていたそうだ。
「私のイベント・パーティは、ストーリーを大事にしていました。アーティスト有りきではなく、イベントのコンセプトを練り、ストーリーを組み立て、そのストーリーにあったアーティスト・パフォーマーをブッキングし、照明一つにも気を配り、イベントごとの空気をつくりだす。その短い時間のために何ヶ月も準備して、ということが楽しくて仕方ありませんでした」。
97年でも、まだ17歳。学園祭が精一杯の年頃に、早くも大野氏はプロデューサーとして頭角を現す。生意気だったのだろうか。それとも、純粋だったのだろうか。
「私が、16歳〜17歳といえば、パーティ・ブームの頃です。私も担がれて、いろんな雑誌に掲載されました。ただ、私が大事にしたかったのは、音楽や空気です。そう思っていても、いろんな、たとえばミーハーな気分でパーティを企画する、そういう学生さんたちとひとくくりにされてしまって、だんだん(私がやりたいことと社会が求めることに)方向性の違いを感じるようになっていきます」。

19歳で、足を洗う?

「足を洗うという表現はヘンですが、わりとしっくりくるような気もしますね。ともかく19歳でいったん業界を去ります。結婚もきっかけとなりました」。
19歳で早くも引退。
「大手の中古車買取会社の下請けの会社で洗車のアルバイトをはじめました。何しろ、中卒ですから(笑)」。
元請けの買取店店長に声をかけられて、名古屋に赴く。洗車を毎日やっていた頃、名古屋の店舗が東海の旗艦店でエリアマネージャーもおり、アルバイト(営業)として入社させてもらった。人生初の営業だったのだが、とたんに才能が目覚めたようだ。なんでもアルバイトにもかかわらず、全国トップクラスの営業成績を残したらしい。
「アルバイトでも月収は40〜50万円だったものですから、たぶん、社員にしたほうが、経費が浮くと思われたんでしょうね」。正社員の初任給は20万円。たしかに、経費は、半分で済む。ところがインセンティブがつくようになると、その額は10倍に膨れ上がった。
足を洗って、とたんに高収入なサラリーマンになる。ここが大野氏の凄いところだ。もっとも、才能と書いたが、それだけではない。努力も凄い。先輩のトークをノートに書き写す。それを繰り返し、言葉にし、セールストークをみがきあげた。雀荘から出てくるお客様を雨の中2日間待ったこともあります。その後お買上げいただき、スーツもいただきました。
「もう、寝る間もなくという感じでした。それでも楽しくて仕方なかった。何も知らないから、先輩のセールストークがどんどん自分のものになっていくんです。テクニックに長けてくると、面白いように買い取り、売れました」。
ただ、「いくらでも売れること」が、退職の引き金となる。

海を渡る、選択。

「買い取りはある意味、自分で金額を決めることができます。それが罪悪感に変わっていきました。果たして、いまやっているのは、お客様に寄り添った仕事なんだろうか、という疑問がわいてきたんです」。
もう少し大野氏に物欲というものがあれば、「退職」という選択はなかったはずである。しかし、大野氏は、モノよりコトに貪欲だ。今、大野氏が行っているビジネスをみればそれは明らかである。
当時の話をつづける。
「退職した頃は大阪に転勤していました。退職し、中古車のブローカーのような仕事も考えたんですが、昔から興味のあったニューヨークへと思い立ったんです」。
ニューヨークは、音楽の先端であり、文化の先端だった。「正直に言えば、ミーハーな気分もはたらいて」と大野氏。
「最初は2ヵ月の予定でした。向こうのイベントにも怖々、参加しました」。遠くで鳴る、銃声も聞いた。それでも、異国に魅せられ、ニューヨークから、スペイン、ブラジル、アジアと放浪の旅が始まる。
「海外にいて、海外から日本を観る。それがいちばんの財産になった気がします。この海外の経験から日本の古き良き文化と、海外も含めたトレンドやモダンを融合した自分なりの企画・プロデュースが生まれました。それは設計・デザイン・食・音・映像…と1つのコンセプトに基づいて総合的に創造していくことでもあります」。日本という国の豊かさを知ったのもこの時である。
「これが21〜24歳のことです」。
そして、帰国。
一皮むけた、大野氏は、ふたたびイベントのプロデュース業を開始する。

広がるプロデュースの世界。日本に異国をつくりだす。

大野氏が設立した「株式会社imprise」は現在、プロデュース、飲食、横丁(商業施設)、設計施工、イベント、キャスティングと多彩な事業を行っている。
いつしか「食」も、ビジネスのなかに組み込まれていった。
「日本にもどって、アジアでいちばん大きなクラブを貸し切り、イベントを主催します」。
大野復活の号砲となるイベントである。
「平日に1600人をあつめたイベントです。フロアごとに4つのエリアをつくり、世界一周できるというイベントです。様々なアーティストの方々にもご協力いただき、コンセプチャルな今までにない、私らしいイベントができたと思います」。
もっとも、金をかけすぎ、利益はでなかったそう。
ただし、大野氏の実力を知らしめるには、充分なイベントだった。
「それからですね。もう一度、いろんなイベント手がけるようになり、飲食店のレセプションの企画もお願いされることも増え、そこでデザイナーさんとか、飲食に関わる人たちに出会って。『イベント×飲食』という、もう一つの事業カテゴリーが生まれていくんです」。
有名なレストランから依頼があったのも、その頃。
「人気店なんですが、週末の深夜になるとパタリと客がいなくなる。どうにかならないか? ということでした」。
その依頼に対して、大野氏はこう答える。
「一度切りのイベントでは一過性で終わってしまう。だから、週末のエンターテイメント・バーとして定着させましょうと提案させていただいたんです。業態も変える大胆な提案でした。スタッフは私の周りの外国人を入れ、あえて日本語の通じない“海外のエンターテイメントバーをつくりました」。まさに、日本に本物の異国をつくりだしたことになる。
お客様たちはどんな反応を示したのだろうか。
いずれにしても大野氏の仕掛けはあたり、週末の営業はドル箱営業にかわった。
「イベントっていうのは、短時間や短日なんです。むしろ、そういうのが花火のようで、私自身の美学もそこにありました。しかし、この仕事をすることで、一過性でない、もう一つのイベントというものを知り、次第にそういう仕事にも惹かれていくんです」。

バル横丁は、スペインと日本の文化の融合。

大野氏を一躍有名にするのは、2014年に仕掛けた「神田バル横丁」である。日本の横丁文化とスペインのバル文化を今風にマッチングさせたのが、「神田バル横丁」である。
この「神田バル横丁」を足がかりにして、2017年「蒲田バル横丁(5月)」「赤坂バル横丁(6月)」をオープン。10月には京都烏丸に第三弾のバル横丁がオープンする。「年内5ヵ所オープンする予定」とのこと。
バル横丁は大衆的な横丁とは異なった、おしゃれな世界観を持っている。「表現したいのは、スペインの文化、毎日、朝、昼、晩と同じバルに行き、地域に根ざし、地域のコミュニティとなっているバル。そして名物の一品を求めてハシゴを愛しむという文化と、日本の古き良き横丁文化の融合です」。70坪程度の空間に、業態の違う個性的なお店が9〜10店。2〜3軒はしごをして、1店舗あたり1500〜2500円。毎日でも楽しめる価格である。
2つの横丁はともにオープンして間もないにもかかわらず、連日連夜盛況である。
「私がいちばん大事に思っているのは店舗同士のコミュニティを創造し、協力し合える関係・環境をつくること。これすなわち横丁なんだと思います」。
バル横丁は今までになかったバラエティ豊かな個店が集まり、スタイリッシュな横丁が受け入れられ、多くの人が来店されている。ハシゴを楽しむ人々も多い、そんな今の状況に大野氏は「新しい文化、遊び方を提案し、楽しんで頂いていることが嬉しい」と語る。話題性ももちろん大事だが、あくまで地域に根ざし、地域の人に愛される日本に昔あったような本物の横丁を現代流に体現したいそうだ。
いずれバル横丁で、世界にも打って出るという大野氏。14歳からはじめたイベントという仕掛けは、時を経て、もうすぐ世界という舞台を手にいれそうだ。

思い出のアルバム
 

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