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第608回 株式会社FOOTOP 代表取締役 山本優輔氏
update 17/09/26
株式会社FOOTOP
山本優輔氏
株式会社FOOTOP 代表取締役 山本優輔氏
生年月日 1974年5月22日
プロフィール 埼玉県久喜市出身。東北福祉大学卒。大学時代、突然、スノーボードに魅了され、プロをめざし、活動する。27歳でプロの道を断念し、飲食の道に進むため、レインズインターナショナルに入社。所沢店の店長を経て、業態開発に異動。以来、次々に新業態をリリース。37歳で独立し、北海道の食材をメインにした「北の国バル」を出店。
主な業態 「北の国バル」「北の国酒場」
企業HP http://footop.jp/

北海道からの贈り物。

「北海道」という響きから想像するのは、雄大な自然と豊かな恵み。どこまでもつづく道。何ヘクタールもある農園。トウモロコシ、じゃがいもなどの農産物。厳冬の海から次々と陸揚げされる毛ガニなどの海産物。とにかく「北海道」は旨い。
その北海道から送られてくる数々の食材を用いた料理と旨いワインを楽しめるのが、直産酒場「北の国バル」。今回、ご登場いただいた山本優輔氏が経営する株式会社FOOTOPのメインブランドだ。北海道出身かと思って、そう伺ったが、「埼玉出身だ」と笑う。
「知り合いが、北海道で大学の先生をしていて、ある町の町おこしにもかかわっているんです。以前から、そちらの食材を使って『東京で何かできないか』って相談されていたんです」。
もともとは話をふられても、はぐらかしていたそうだが、起業しようとした時に「北海道」がオリジナル業態のキーワードに躍り出たという。
「北海道フェスタとか、どこもかしこも北海道っていえば盛り上がるじゃないですか。にもかかわらず、北海道の食材メインに謳った飲食店が少ない。前職では300店舗の出店を前提にブランドを開発していたもんですから、食材の量の確保とかが難しくて、相談されてもできなかったんですが、独立すれば、そこは自由です。これしかないな、と。その知り合いともう一度、話をして」。
産地直送の食材は、とにかく旨い。北海道となれば、尚更だ。シーズンを感じながら食すと、その美味しさは一段と増すだろう。
では、もう一度、北海道からの贈り物を想像しながら、「飲食の戦士たち」らしく、山本氏の足跡を追いかけてみることにする。

福祉の道を進むため、東北福祉大学へ。

山本氏は、1974年5月22日、埼玉県久喜市に生まれる。子供どもの頃から運動神経がよく、スポーツでは目立った少年だった。小・中・高とバスケットボールをつづけ、高校の時にはベスト8まで勝ち進んだ経験もある。
大学は野球やゴルフでも有名な「東北福祉大学」へ。もっともスポーツではなく、純粋に福祉を勉強するためだったそう。
「子どもの頃、特別学級の子どもと仲がよかったんです。でも、高校の時、偶然、町で出会ったんですが、彼はぜんぜん覚えてくれていなくって。それが、福祉を学んでみようと思ったきっかけです。福祉の大学は、名古屋と東京と仙台しかなくって。東京の大学がだめだったもんですから、名古屋と仙台どっちにするかってことで、仙台を選んで東北福祉大学に進みます。名古屋のほうを選択していたら、どうなっていたんでしょう」。
仙台。アパートは大学から自転車で20分くらいの距離。車を駆れば、同じくらい時間で雪山に到着した。

散々なデビューとプロへの道。

「飲食でバイトを始めるのは、大学時代。同じように大学でスノボーデビューをするんですが、散々なデビュー戦でした」。なんでも、怪我までして担架で運ばれたそうだ。「それが悔しくって」。
もともと運動神経はいいほうだった。だから、許せなかったのかもしれない。「その年のお年玉で、用具一式をそろえて。そこからですね。本格化したのは」。
プロになる。いつしか、そう思うようにまでなった。実際、スチール撮影のモデルになったり、レポートを書いたりして、それなりの報酬も受け取った。
「大学を卒業しても、もうスノーボードです」。
夏は、南半球の「ニュージーランド」に渡った。渡航費など最低限の費用はスノーボードのメーカーからでたそうだ。「1〜2年目ですね。最初は言葉もしゃべられなかったですが、少しは意思疎通もできるようになって」。
「当時は英語も普通にできた」と笑う。ただ、いつまでもスノボーの世界に浸っているわけにはいかない。報酬があるといっても生活はカツカツである。
「27歳になった時点で、貯金ができるようになっていなかったなら、あきらめようと思っていました」。
実際は、26歳のシーズンで骨折し、プロの道は断念した。山本氏はかなりあっさりとそう言ったが、苦渋の決断だったにちがいない。
雪山を滑走する、翼を折った。

飲食へ。そこにいた巨星たち。

「つぎに浮かんだのが、飲食だったんですね。大学時代もバイトをしていましたから。安直な発想です」。それで、レインズですか? と伺うと、笑いながら動機を語ってくれた。
「牛角って24時で終了。17時から24時です。こりゃいいやって。不純な動機です(笑)」。
もっとも、山本氏は「牛角」ではなく「土間土間」に配属される。「土間土間」は、残念ながら深夜営業も普通に行っていた。
「あの頃はすごかったですね。出店に次ぐ出店で、私たちからすれば、上のポストもどんどん開けていく。私も3ヵ月経たずに、所沢店の店長に昇格しました」。
この時の独自の取り組みが面白いと評価され、1年も経たず今度は業態開発に配置転換される。
「スタンプカードをつくったんです。実費で。それが、土間土間をつくった松宮秀丈さんの目に留まって。『お前、何してんだ』って」。
松宮氏は、面白い奴と思ったのだろう。入社1年で業態開発へ異動。いうまでもなく、大抜擢である。「社長の西山知義さん、西山さんをサポートする松宮秀丈さん、四方田豊さん。そんな優れた人たちといっしょに仕事をさせていただくようになって。そりゃぁ、大抜擢といえばそうなんですが、プレッシャーがハンパなかったのも事実です」。
なんどもプレッシャーに押しつぶされそうになり、血便まででたそうである。およそ10年。いくつものブランドを開発した。「カレキチ」「魚角」「てっぱちや」「ぶっちぎり酒場」等々、挙げればきりがない。
「300店舗を出店できるブランドづくりが、私たちのミッションでした。それだけの『立地があるか』『食材があるか』『ニーズがあるか』。1店舗目からそれを想定して動くんです」。
まず3店舗を出店して様子をみる。立地を変え、客層も異なる場所で出店して、事業が成立するかどうかを判断する。ふるいにかけられたブランドもあったし、ゴーとなっても、だめになったブランドもある。「3店舗を出店したあとは、私たちの手から離れるんです。だから、そのあとだめになったブランドもあって」。
どれくらいのブランドを立ち上げたのだろう。
「考えも、深くなった」という。
「ある時、台湾の業態で小籠包をやろうとしたんです。でも、向こうの食材は、そう簡単に輸入できないんです。醤油も入らない。それで、いくつかの日本の醤油で試して、そのうちの一つでいこうとしたんですか、西山さんに一喝されたんです。『日本中の醤油で試したのか』って。経営者の気迫っていうか、まだまだ私自身の甘さを痛感させられた瞬間でした」。
西山氏をはじめ、巨星たちの下にいたのは、およそ10年。ともかく、濃い、10年である。

都内だけでも成立する、業態の開発を。

37歳。山本氏は独立を果たす。「こう言ってはなんですが、役員になってしまったら、そう簡単に辞められない。だから勝負にでるなら、その前しかないと思って。目もかけていただいていましたし、引き留めてもいただきました」。退職する前には、最優秀社員賞も受賞する。普段、社員の結婚式には出席しない西山氏が、山本氏の結婚式には足を運んでくれたそうだ。恩もある。
「でも、今までとは違ったことをしたかったんです」。
違ったこと?
「今までは300店舗を出店するのが、前提で業態を開発していたわけです。でも、そういう縛りがなく、もっと少なくても、経営者も、スタッフも、お客様も満足できる業態がある。そんな業態にチャレンジしてみたかったんです」。
起業家という意味では山本氏も、西山氏と同じだ。西山氏もかつて「感動」を提供したいと思って飲食業に参入する。それが「牛角」という一大ブランドをつくりあげた原動力である。起業家1人の強いベクトルが、周りを巻き込み、巨大な感動を創造する組織をつくりだしたともいえる。西山氏の下で、経験を積んだ山本氏は、どんな勝負を始めるのだろうか。
「当初は、コンサルタントをしながら知り合いのお店をサポートしていました。その間に物件を探し、蒲田の西口にいい物件がみつかったので出店します」。
店舗数の縛りはなくても、個店で終わるつもりない。冒頭に書いたように町おこしと連動しているから北海道の食材を広めるというミッションもある。
蒲田駅から徒歩1分。しかし、当時、西口はいまほど栄えていなかったから、家賃は安い。20坪。「居抜きを前提にしています。資金がそれほどなくても1000万円以内で開業できる。1号店は、いわばモデルケースですから、その縛りは設けてスタートします」。
実際、1号店は1000万円を借り入れ、700万円で開業し、残り300万円を運転資金にあてた。いままで何十という業態を開発してきた山本氏だけに、ち密に計算されている。
しかし、当初は、予定の400万円を大きく下回った。波に乗るまで4ヵ月かかったそう。「カウンターをスタンディングにして、禁煙にしたのが足を引っ張ったんですね。まだ、蒲田では早いスタイルでした(笑)」。
「北海道の食材」というキラーコンテンツがある。初期投資も、少なくて済む。オープン当初は山本氏が語るように、売上は伸びなかったが、4ヵ月あたりから快走が始まる。あっという間に、初期投資も回収した。
そして、2号店、3号店と広がっていく。

北の国のちから。

2017年9月現在、「北の国バル」8店舗、「北の国酒場」1店舗という陣容。フランチャイズビジネスもスタートし、すでに2号店目を出店するオーナーもいるそうだ。
「まだまだ、オーナーも私の知り合いが中心です。都内は、だいたい20店舗をめどにして、今は西日本への進出を計画しています」とのこと。
なんといっても、開業資金が低い。物件の取得費も合わせ、1000万円を用意できればいいのだという。借り入れだけでも、十分賄える。ただし、今のところ、飲食経験者に絞っているそうだ。
あるオーナーは、わずか半年で初期投資を回収したそうだが、低投資の一方で、キラーコンテンツである食材が持つちからも見逃せない。近くにできれば、一度は行ってみたくなるだろう。
「北海道浜茹で毛ガニの丸ごと甲羅詰め日高昆布ジュレ」「勝野ポークの藁焼き まるごとガーリックを添えて」「とうもろこしのソテ 鉄板の味 バター醤油風味」などなど、メニューも個性的である。それでいて、リーズナブル。やはり、避けて通れないお店である。
ところで、山本氏が独立したのは、37歳の時だから2011年で、現在で6年経つ。この6年は、ブランドを磨いてきた6年ということもできるだろう。つまり、まだまだ今からである。
気軽に、そう気軽に北海道が味わえる。あの大自然の恵みを、会社帰りにも堪能できる。贅沢な話だ。目を閉じれば広がるのは、北海道の雄大な景色。この店なら、存分にリフレッシュできそうだ。これが北の国のちからかもしれない。いうまでもなく、そのちからを育てるのは、山本氏のミッションであり、ちからでもある。

思い出のアルバム
 
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