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第611回 株式会社FS.shake 代表取締役 遠藤勇太氏
update 17/10/17
株式会社FS.shake
遠藤勇太氏
株式会社FS.shake 代表取締役 遠藤勇太氏
生年月日 1983年5月17日
プロフィール 島根県安来市生まれ。松江工業高等専門学校卒。いったん大手飲食チェーンに就職するも、1年半で退職。改めて、料理を勉強するため上京し、「服部栄養専門学校」に入学。卒業後、日本を代表する料理店に就職するも、1年で退職。職を転々とし始める。
主な業態 「とりいちず」
企業HP http://www.fs-shake.com/

ロボットから飲食。

島根県の安来市は県の東端に位置し、鳥取県との県境にある。遠藤氏が、この安来市に生まれたのは1983年。3人兄弟の長男。
「親戚も含め、みんなお堅い仕事をしています。祖父が国鉄、父も普通のサラリーマン。叔父さんの1人が飲食をやったそうですが、失敗して店をたたむことになって。だから、私が飲食の道に進むのは、みんな反対。とくに祖父が大反対していました」。
子どもの頃は、優秀な生徒だった。父の勧めで剣道をする。中学時代のスポーツは、テニス。理数系が好きで、ロボットに興味津々。高校は、松江工業高等専門学校に進んだ。5年制のいわゆる高専である。
「そこを4年で辞めちゃったんです。ロボットより、興味がわくものができてしまったから」。
それが飲食だった。
「3年時にモンテローザさんの白木屋で調理のアルバイトを始めました。その時のエリアマネージャーに憧れるんです」。
もともと料理好きだったこともあってか仕事も楽しくなってくる。「こりゃ、飲食がいいや」。それで、モンテローザに就職。とたんに、大反対を受ける。しかし、反対を押し切った。

彼女の怒り。

「入社したとたん転勤です。岡山とか、いくつか回りました」。
店長にもなる。ハタチの時には給料も30万円を超える。
「そうなっても、祖父とかからは反対されていました。『いまからでも遅くはない。消防士になれ』って(笑)」。結局、アルバイト時代を含め3年。退職のきっかけは、その時のエリアマネージャーと合わなかったからだそうだ。
「それからいったん島根に帰ります。その時、母から『それだけ料理が好きなら本格的にやってみたら』と言われて、『服部栄養専門学校』へ進みます。ただ、『服部栄養専門学校』を選択したのは『東京に行きたい』という下心があったからなんです」。
島根から東京。距離で言えば1000キロくらいは離れているだろうか。
「東京ではむろん、独り暮らしです。1年間、『服部栄養専門学校』で勉強して、有名な割烹に就職しました。ただ、心が定まってなかったんでしょうね。1年で、逃げ出してしまいました」。
それから、転々とする日々がスタートする。入社しては、数日で辞める。そのたびに、なにか言い訳を探した。
「そういうのをみかねて、今のカミさんで、当時、付き合っていた彼女に真剣に怒らるんです(笑)」。
彼女の怒りで、お尻に火がついた。

師匠は、本の中にいる。

「ちゃんと怒られたことで、奮起して『外食計画株式会社』へ就職します。こういっては外食計画さんに申し訳ないんですが、当時、気づいたのはどこでもいっしょだってことでした。つまり、私自身の問題ってことに気づいたんですね。それで、逃げずにちゃんとやっているうちに、5年半が経ちます」。
もともと飲食で独立とは思ってもいなかった。しかし、いつしか30歳で独立と思うようになっていたそうだ。「外食計画さんには感謝しています。飲食の面白さはもちろんですが、何もできなかった私にいろいろなチャンスをくれた会社だったからです」。
最初は、魚もちゃんと下せなかったらしい。それでも、料理長にしてくれた。「とにかく『やってみろ』っていうタイプの会社だったんです。ま、バックに総料理長がいましたから、そういうこともできたんでしょうが」。
有名な割烹で勤務したと書いたが、仕事といえば「野菜を洗う」ことと、「煮物をタッパーに詰める」ことだけだった。それで1年で辞めた。だから、正直、何もできない。
「でも、なんとかしないといけないと思って。ええ、総料理長にも助けていただきましたが、独学です。実は、スッポンの下し方まで、私は本から学んでいるんです」。
独学は、ある意味つよい。試行錯誤しながら、独自の「水炊き」も開発する。これが、独立後のメイン料理となる。

コラーゲンたっぷり。自信の水炊きで勝負。

29歳。すでに結婚もし、子どももいた。だから独立というリスクを取りたがる人は少ない。それでも、いったん決めたからには、そのまままっすぐ。それが、遠藤氏の進んだ道である。
「1号店は、西新宿です」。資金は、国民金融公庫から600万円借り入れて、合計1000万円。「居抜きです。20坪、40席でした」。店名は「とりいちず」。
水炊きと焼き鳥をメインにした鶏料理の専門店である。「水炊きは私が考案した独自のもので、評判は悪くなかったんです。でも」。
オープンは3月。気温が上がると、鍋料理は厳しくなる。「だいたい450〜500はいくだろうと想定していたんです。でも、ふたを開ければ200です」。
それから、240万円、270万円ときて、6月にようやく300万円にのる。「まだ、少しずつ上がっているでしょ。だから精神的にも持ちこたえられたんですが、7月、8月、9月と300万円がつづき、モチベーションも最悪です」。

気温が下がるとアクセス数が爆発。

「もうどうにもならない」と思った時に、気温が下がった。
「10月に入って、アクセス数が急増するんです。『鍋』というワードでサーチする人が増えたんでしょうね。いきなりはねて400万円。翌11月は480万円。12月には600万円までのびました」。
鶏ガラと水を大鍋で8時間以上じっくり炊いた完全無添加の水炊き。ホームページなどで写真をご覧になればわかるが、白濁スープはいかにもコラーゲンたっぷりで滋養もあり、旨そうだ。焼き鳥もでかい。「通常の1.5倍〜2倍」という。 「結局、初年度からギリギリ黒字になりました。いっても長く、給料も取らなかったというのも、黒字の理由なんですが(笑)」。
1年半後、正確には翌年9月に横浜市の関内に2号店を出店した。こちらは、76坪で120席ある大箱。「立ち上げから一緒にやってくれた今の専務に新宿のほうは任せて、私はこちらの立ち上げに専念しました。彼は、小学校の時の同級生です」。
それから現在の2017年7月までで、19店舗(FC1店含む)を出店している。8月にはさらに2つの店がオープンする。
1号店出店時、遠藤氏は29歳である。ということは、2012年、設立。まだわずか5年。この5年で合計20店以上をオープンさせてきたことになる。
「凄い」の一言だが、遠藤氏自身はけっして威張らない。どちらかといえば飄々としている。「最初は客単価4500円の店だったんです。でも、2号店をだす時にちょっと高すぎるかなと改めたんです。もともとは地鶏だけをつかっていたんですが、銘柄鶏も利用するようにさせていただいて」。
この変わり身がいい。
アンテナを広げている証でもある。
経営理念は「生きるための食事を楽しむものにする」である。

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