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第613回 株式会社ドラムカンパニー 代表取締役 竹下大介氏
update 17/10/31
株式会社ドラムカンパニー
竹下大介氏
株式会社ドラムカンパニー 代表取締役 竹下大介氏
生年月日 1978年7月12日
プロフィール 千葉県市川市行徳に生まれる。32歳で「バンブーカフェ」開業。行徳をはじめ、ドミナント形式で20店舗を出店するも、舵を切り、2016年、のんべぇに取って天国ともいえる「ドラム缶」を開業する。
主な業態 「ドラム缶」「ヤッホー」
企業HP http://drum-company.net/

竹下ブラザー。めざすはメジャーデビュー。

ドリンク150円。ビールは250円。つまみは100円から、高くても300円まで。センベロと言われる店は、おしなべてコスパが高いが、群を抜いている。まさに、のんべぇの天国である。
今回は、この、のんべぇの天国、立ち飲み居酒屋「ドラム缶」で、いま注目の敏腕経営者、竹下 大介氏にご登場いただいた。
「私は、1978年7月生まれです。出身は千葉の行徳。父親は不動産業に勤務していまして、母親は、不動産会社に勤めていました。2つ下に弟がいます」。
なんでも小学生の頃から両親のレコードをひっぱりだし、耳を傾けていたらしい。好きだったのは、ドラマの影響もあって「長渕剛」。中学生時代からはギターをはじめ、かなり真剣にパンク・ロックに酔っていたそうだ。
「2つ下の弟も私に刺激されて、パンクにハマって」
兄弟2人でメジャーデビューをめざすようになる。ちなみに兄がギター、弟がボーカル担当だった。

高校進学。ただし夏服、知らず。

「当時はロン毛だった」と竹下氏。音楽はファッションであり、生き様でもあったのだろう。
パンク的、生き様?
「そういうわけでもないんですが、ちょっとは突っ張っていました(笑)」。
話を聞くと、「ちょっと」どころではない。
なんでも、校内で起こった千葉VS横浜のバトルに竹下氏も参戦し、「合計30〜40人の無期停学者のなかの1人になった」という。しかも、「停学中に関わらず、学校にいた」ことがバレて、竹下氏は退学になる。
「けっこう、怒られましたね。両親から」。
そりゃ、そうだろう。
「それまで好き放題でしょ。仲間もヤンチャな奴ばかりです。高校は茅場町の商業高校だったんですが、志望動機は東京にでたい。それだけ。で、私のように千葉から通っている生徒と、逆に横浜から通っている生徒が、それぞれ派閥をつくり、結局、バトルして、みんな仲良く無期停学になってしまったんです」。
それが、入学そうそうの話らしい。だから、夏服には一度も袖を通したことがない。
それもあって、この時ばかりは、さすがに反省した。そもそもバイクを駆って、ケンカに明け暮れるタイプではない。何より音楽。音楽さえあれば生きていけるタイプだった。
「それまでのヤンチャな仲間と別れ、まっとうに生きようと、『東京ディズニーランド』でアルバイトをはじめました」。「春に面接で落ち、夏にもう一度受け、拾ってもらった」そう。
「春と同じ面接官だったんですが、二度目だったにかかわらず『じゃ、今度はやってもらおうかな』って」。
「いい人だった」と竹下氏は当時の面接官を思いだし、目を細める。
恩は忘れない。
「結局、アルバイトのまま7年間、勤務しました。そう22歳まで。この間に、実は音楽のほうでも、いろんな出来事があったんです」。

CD発売。メジャーに駆け上がれるか。

「私を真似たわけではないと思いますが、弟も、高校をすぐに辞めてしまうんです。それで、私がギターで、弟がボーカル。バンドを組んで、パンク・ロックです」。
しかし、なかなか芽がでない。
スタジオを借り、練習を重ね、ライブにも参加する。
「巧い奴らがいっぱいいて」と竹下氏。
鳴かず飛ばず。それでも、音楽に対する思いは、いっこうに冷めない。
「20歳で、ヒップホップに転向しました。ブームになる前の、絶妙なタイミングだった気がします」。デモテープを送ると必ずオファーがきた。ついには大手レーベルに所属し、CDを発売するまでになる。メンバーは6人。マネージャーといっしょに全国を旅した。
「当時は、ともかく忙しかったですね。沖縄でTVに出て、翌日、千葉に。その翌日には、北海道みたいな。それでも給料は1人15万円です。地方に行くと、食事もぜんぶ会社持ちなんで、なんとか暮らすことができましたが、カツカツです。ハイ、弟と2人、暮らです」。
バンド名は「暴欲団」。検索すると、今も動画がでてくる。ただ、メジャーデビューを果たしたかといえば微妙なところだろう。結局、バンドは解散することになった。
「だんだん、音楽に対する思いが冷めたから。いろんなことがありましたから」。
バンドを解散した竹下氏は、貿易商を経営するようになっていた父親について、東南アジアの国々を回り、竹下氏いわく「ちょっとした商売」も開始する。なんでも、向こうで服を買って、ネットで販売するような事業だったらしい。
生活費くらいはでたそうだ。
「30歳までは、タイやカンボジアをうろうろしたりして(笑)」。
その一方で、28歳の時には、弟と弟の友人2人、計4人でバーもオープンしている。ちなみに、この時が初の飲食デビューだったそうだ。

ドラム缶にそそぐ、熱い思い。

「完全に独立したのは、32歳の時です。母親の不動産を手伝っている時に、居抜きの物件を譲っていただいて、私自身、本格的に飲食をスタートします」。
店名は「バンブーカフェ」。行徳に1号店をオープンしたのち、次々、店舗を開店した。「最盛期には20店舗にまでなりましたが、店を譲っていったので今は、数店舗です」。
「バーって、案外たいへんなんです。何よりスタッフの管理がたいへんでした。それで、スタッフに少しずつ譲っていって」。
そして、「ドラム缶」がスタートする。
今までとは毛色が異なる。
店名からも想像できる通り、昭和的な匂いもする。しかし、これが大ヒットした。
「ドラム缶は立ち飲みのブランドなんですが、私は立ち飲みに1回も行ったことがなかった。でも、新業態を開発するために、いろんなところに飲みに行くなかでバーとは異なる立ち飲み特有の熱気に魅了されて、『やってみよう』と。これが2016年のことです」。
このインタビューが、2017年の夏のことだから、わずか1年で、メジャーにもなったことになる。
「銀座店は10坪で200万円、茅場町の店は7坪で100万円の月商をあげる」そうだ。「のれん加盟店」の募集も開始している。
年表で足跡を追うと、2016年5月「立ち飲み居酒屋ドラム缶」日本橋茅場町店オープン。翌6月には2号店の「銀座数寄屋橋通り本店」オープン。立てつづけに7月にも「小岩地蔵通り裏店」をオープンしている。
そして、その9月に株式会社ドラムカンパニー設立。10月に「のれん加盟店」の募集を開始している。
翌年1月には、神田東口店に「ドラム缶」を、亀戸には「立ち飲み居酒屋ヤッホー」をオープン。7月には、大阪京橋に「ドラム缶」の関西1号店まで開店している。
そのスピードに驚かされる。
10坪程度あれば開業できる。初期投資は、むろん低い。回収にも、そう時間がかからないのが、スピード出店を支えているのだろう。ただし、いきなり大儲けとはいかない。回転率が勝負だ。
「これから注力するのは『のれん加盟店』の募集と、そのサポートです。成功者を生み出す、そういうビジネスを行っていきます」と竹下氏。
客単価は1500円。とはいえ、チョイ飲みなら、500円以下でも楽しめる。毎晩でも、財布はいたまない。ただし、お客様が「ドラム缶」に惹かれるのは、安さだけではないだろう。
歌もない、ダンスもない。格好も、昭和スタイル。
しかし、この店には、やはり、熱気がある。
その熱気に、いざなわれるように、今日も多くのサラリーマンやOLが肩を寄せ合いながら、思い思いに杯を重ねるのだろう。なんともいい店だ。
「暴欲団」の時とは異なる熱いエネルギーをいま、竹下氏はこの「ドラム缶」にそそぐ。

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