有限会社ウェルバランス 代表取締役 黒田将嗣氏 | |
生年月日 | 1970年12月20日 |
プロフィール | 千葉県銚子市出身。美容専門学校卒。卒後、芸能人にも人気があった美容室で5年勤務する。いったん業界を離れADの仕事も経験したが、そののちに、現在もつづく美容室を出店。こちらが起業1号店となる。飲食事業に進んだのは、その5年後の2002年。銚子漁港で仲買人をする幼なじみとタッグを組み、銚子漁港で獲れる新鮮な魚をメインにした「魚屋さんじゅうまる」を開店。それ以降も、鮮度が自慢の魚をメインにしたブランドを展開している。 |
主な業態 | 「魚屋さんじゅうまる」「魚屋おらい」「海街丼」「おらい食堂」「サンフィッシュマーケット」 |
企業HP | http://w-bala.com/ |
銚子という地名は知っているが、「千葉のどこにある?」と質問されて、すぐに回答できる人は案外、少ないのではないか。銚子市は関東平野の最東端に位置し、利根川を越えれば茨城県となり、太平洋に突き出した格好をしている。その銚子は醤油でも有名だが、漁業も盛んで、銚子漁港は現在、水揚げ高、日本一だそうだ。実は、今回、お話を伺ったウェルバランスの代表、黒田氏は、この銚子市の出身。この銚子の漁港で仲買を行っている幼なじみとタッグを組んで飲食事業をスタートしたという。黒田氏は、1970年生まれ。2018年現在。もっとも脂がのりきっている年代でもある。
黒田氏は、中学1年生の時から魚屋で仕事をしている。寿司屋を経営する両親は貧しくもなかったので、その理由を聞いてみると、「一度やると仕事が楽しくなって」とのこと。なんでも客受けも良く、店の業績アップにも貢献したそうだ。
「観光客が来て、魚を選んで買って帰ることもできるし、2階の食堂で調理してもらうこともできるお店ってあるでしょ。私がバイトをしていたのは、そんなお店です」。
春休み。夏休み、冬休み。黒田氏が店頭に立つことで、店はいつもより繁盛した。中学生ながら「月給10万円くらいあった」と笑う。
中学1年からスタートしたこのアルバイトを、黒田氏は高校を卒業するまでつづけているから、かなり気に入っていたのだろう。いまの原点をつくったのも、この時期に違いない。
「東京に出たかった」のは、美容専門学校に進んだ理由の一つである。もう一つは、単純に「姉がその道に進んでいたからだ」という。「親も『美容専門学校に進むならお金をだす』と言ってくれていたんで」。お金をだしてもらうぶん「テクニックはマスターしようと思っていた」と律儀なことをいう。
目的は、そう明確ではなかったが、東京への旅立ちで「起業」に向けて走り出したと表現してもいいだろう。もっとも、この時、銚子とふたたび縁ある仕事をしようとは思っていなかったはずだが。
「美容学校は1年です。卒業して、当時人気の美容室に就職しました。芸能人やTV関連の方なども良くいらっしゃるようなお店です。そちらに5年ほどいて、それから一時、TV局の方に誘っていただいて、ADの仕事をします。はい、どちらもかなりきつかったですね/笑」。
5年というから、美容師を辞めたのは24歳の時だろう。その理由を聞くと「お客さんがついたんです。それを一つの区切りにしようと思って」とのこと。普通なら、逆のように思えるが、それまでの苦労話を聞くと納得できる点もある。「月給は7万円くらいで、いろいろさっぴかれて手取りは3万円くらい。それで仕方なく、アルバイトも掛け持ちです。ただ、親に授業料をだしてもらっているぶんの元はとらないといけないと思って」。
客がつくことで、一人前。そこまでくれば、元は取れたという理屈である。だから、美容師を辞めた。いくらなんでも、月3万円はきつい。「それからADの仕事を、そうですね、1年くらいやって。もう一度、美容師をはじめます。もっともこの時は、アルバイトです。私にとって時給のいいアルバイトが美容師だった、理由はそれだけ」。
実は、当時、黒田氏は脚本家の勉強をしていたそうだ。そちらで食べていくのが黒田氏の、当時の野望だった。先生にもついて学びもした。しかし、そう甘くない。
「もともと起業も視野にありました。それで、もう17年前になるんですが、中目黒で、起業します。ええ、最初は美容室です。知人を誘いオープンし、美容師の道を先に進んでいた姉も合流してくれます。ちっちゃなスペースの美容室ですが、芸能人もいらっしゃるようになり、今も、たくさんのお客様がいらしてくださっています」。
なんでも、今現在も「週に2回は店にでる」という。美容師でありながら、飲食店の経営までする。タレント顔負けの凄腕である。
現在、黒田氏は、美容室のほか、飲食事業として「魚屋さんじゅうまる」など5店舗を経営している。なかには数坪の店もある。小さいからこちらは「丼」のお店。いずれもメインは、魚。「鮮度が違う」というのは、某グルメサイトに載っている評価の一つ。
「会社を設立したのが、12年前で、1号店を出店したのは11年前です。銚子で仲買人をしている幼なじみといっしょにスタートしました」。
「仲買人」といっしょということは、中間業者を通さず市場から直接、仕入れ、販売するころができる。これが黒田氏が始めたビジネスモデルである。今でいう「6次産業」の走りともいえるだろう。根っこにあるのは、やはり中学の頃からはじめた魚屋のアルバイトである。
「そうですね。その頃、漠然としていたものが一つのかたちになったような気がします」。鮮度の違いを知り、鮮度のいい魚がどれだけお客様に喜ばれるかを知っていたから進んだ道でもあるのだろう。
鮮度のいい魚はたしかに旨い。しかし、そうそう気軽に食べることはできない。わざわざお客さまが、三軒茶屋の「さんじゅうまる」までやってくるのも頷ける。
そうやって、特段の修業もすることなく、スタートした飲食事業だが、美容室同様、こちらも人気になり、TVの取材なども受けている。理由はやはり鮮度のいい魚の旨さだろう。
ただ、口コミをみるとそれだけではなく、サービスのポイントも高い。ここにも、実は、黒田氏という人間の本質が表れている気がしてならない。
それで思い出すのは、やはり中学1年生で大人たち顔負けの売り上げをたたき出した黒田氏の過去である。
今後の話も最後に伺った。
「美容室も1店舗で、クオリティの高いサービスを展開しているのと同じように、飲食というカテゴリーでも、いたずらに出店していくつもりはありません。ただ、こちらはいいご縁があれば、と。実はいま海外にもライセンス契約ですが、お店を出店しています。国内でもFCを進めています。そうすることで、私たちはますます『魚』という商材を活用できると思うんです」。
本業は「飲食店ではなく、魚屋だ」と黒田氏はいう。その一方で、プロデューサーという一端も、伺わせる。「魚をどう売るか。将来的には、銚子の魚を海外に輸出することも計画しています。魚では、それが一つのゴールかもしれません。ただ、もう一つ、私たちが魚で実現してきたこと、たとえば肉や野菜、お米といった食材でも実現できないか、と考えています。私たちの強みは、一つの業態に縛られないこと。具体的には、食材や立地、スペースによって最適化したブランドをプロデュースできることだと思っているんです。魚以外でいえば、当然、生産者の方をサポートして、出店し、オペレーションなどを私たちが行うというイメージです」。
高級路線には、進まない、ともいう。大衆の胃袋の大きさを知っているからだろう。ランチなら1000円以下、夜なら3500円以下というある程度の基準も設けている。こういう人が、実は、いちばんつよい。
ともあれ、その日に水揚げされた新鮮で、時には量が少なく市場に出回らないような珍しい魚も楽しめるのは、消費者である我々からすればありがたい。
ともかく黒田氏の話を聞いて、脂がのり、鮮度がいい魚を食べてみたくなった。これもまた黒田氏のパワーかもしれない。
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