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第635回 株式会社テアトルダイニング 代表取締役社長 石見 淳氏
update 18/04/10
株式会社テアトルダイニング
石見 淳氏
株式会社テアトルダイニング 代表取締役社長 石見 淳氏
生年月日 1968年3月27日
プロフィール 京都府京都市東山区出身。関西大学卒。東京テアトル株式会社に入社。入社数年後、飲食事業部に移り、要職を担い、2017年、株式会社テアトルダイニング誕生時に、現職の社長に就任する。
主な業態 「LIVING:BAR」「Mar Mare」「九州酒場ほまれ」「KURARA」「北海道ながまれ」「大衆ビストロ酒場 肉マレ」
企業HP https://theatres-dining.co.jp/

少年、石見。

京都はいうまでもなく、日本を代表する観光都市である。今では鮎も遡上するという鴨川が街の真ん中を流れ、歴史的な建造物も数知れずある。石見氏が生まれた東山区は鴨川の東側に位置し、「音羽山 清水寺」もこの東区にある。生まれは1968年。東京オリンピックが開催されたのが1964年で、当時は高度成長期の真っただ中と言っていいだろう。
兄弟は3人で、弟と妹がいる。小学校で野球をはじめ、中学ではいったん断念。高校から再デビューを果たしている。その理由を伺うと「風呂上り、鏡に映るやせっぽちなからだを観て、これはやばいと思って」とこちらを笑わせる。身長が高かったから余計にそう映ったのだろう。
長髪を丸め、入部した野球部は土日の休みもなし。そもそも中学時代、スポーツをやっていなかったから体力もない。ついてくだけで最初はふらふらになったそう。それでも粘り強く3年間つづけている。それが自信になったことはいうまでもないだろう。「でも、野球漬けでしょ。ガタイは、デカクなりましたが、勉強のほうが/笑」。就職する友人も少なくなかったが、石見氏は大学進学を志す。もっとも勉強していなかったぶん「初挑戦の年は受かる気がしなかった」らしい。
浪人1年目、予備校に入る。「でも、入って満足しちゃうんですね。当時、その予備校に入れば四流大学なら合格したようなもんだという噂があって、それを鵜呑みにしてしまったんですね」。その結果、浪人2年目に突入。「おふくろの暗い表情をみて、さすがにまずいと。もう浪人2年目だから、それなりの大学にも進まないとシャレにならないと、はじめて受験勉強っていうのを始めます」。
いやいや今まではなんだったのか?
「それで、どこに進学されたんですか?」「関西大学です。入学が決まってさっそく1年早く進学している友人に、楽勝で、単位が取れるのはどの授業だって聞きまくって」。進学が決まれば、あとは無事4年で卒業するだけ。要領よく、楽勝に。
「最初はテニスのサークルに入るんですが、2年浪人しているでしょ。みんなに気を遣われて。それがイヤになって。そこからですね。スキーにハマったのは」。大学生活を一文で表現するなら、バイトに、スキー。そしてもう一つ、毎年夏に行った北海道めぐり。授業に向かうスタンスは「卒業できればそれでいい」だった。関西大学を入学し4年後、とりあえず手にしたのは、「関西大学卒」という肩書き。

映画小僧の就職。

「つぎは就職です。実は、これもぜんぜんやる気がなくって。ノウハウ本を買って、ステレオタイプの志望動機を言うわけです。そりゃ、わかりますよね、向こうも。こっちだって、受かる気がしなかったですもん」。
ある大手での面接。「ぶっちゃけ、やる気がない」といった。面接官も「だろうね」と。その会話で開き直った。「そうなんですよね。それで、改めてどうするかとジブンに問いかけた時に、はじめてジブンをみつめなおして、何が好きか思い出してみたんです」「それが、映画ですか?」「そうです。小学生の頃から映画を観るのが大好きで。だから、映画の会社を受験してみようと思ったんです」。
実は石見氏、根っからの映画好き。映画小僧でもあった
。 そして、東京テアトル。「ふつうなら、あかんかったと思うんですが、ちょうど関西で事業を拡大しようとしていた時期だったもんですから、その枠で採用してもらいました」。
好きな映画。映画通という自負もあった。だが、入社したら、好きのレベルがぜんぜん違った。

好きのレベルがまったく違い、映画小僧の名を返上する。

「私だって年間100本くらいは観ていたんです。でも、上司とかは年間365本。それも、すべて映画館です。話にならないと思いました。私は言ってもTVやビデオで、観るくらいでしたからね」。
好きの尺度が違った。もっとも、最初に配属されたのは六甲にあった遊園地。阪神淡路大震災でクローズされるまで、こちらで勤務する。
「それから、宇都宮にある、宇都宮最大の映画館勤務です。希望を聞かれたんですが、宇都宮ってあんなに遠いなんて思ってもなかったもので。関西の私からすれば首都圏みたいなイメージだったんです」。東京から東北新幹線で1時間。宇都宮最大の映画館を観て、あ然とした。
「宇都宮にはオリオン通りっていうメインストリートがあるんですが、そこが半ばシャッター通り化されていて、その向こうにデンと古ぼけた映画館があって、娯楽の伝統なんて書いてある。映画が好きで入社したんだからと、気持ちを落ち着けるのがたいへんでした/笑」。
昔々、映画事業はドル箱事業だったらしい。ドラム缶に札束を投げ込み、あふれる札束を押し込んでいたような時もあったそうだ。しかし、石見氏が入社した当時、映画事業はすでに斜陽産業の仲間入りを果たしていたらしい。配属された宇都宮の映画館でも、各席に備え付けられた自慢のスーパーウーハーが、ところどころで潰れてしまっていた。「直す資金もなった」と笑う。
「2年程度つづけるんですが、映画館のスタッフって、当時はやることもなくって。毎日、おなじルーティンで飽きてきちゃったんですね。それで、本社に異動願いをして、一時は経営企画に入り、予算の編成などもしていました。そして、もう20年になりますが、飲食事業に進みます」。

飲食業へ。そして、未来へ。

東京テアトルは創業してもう70年になるそうだ。戦後、人々を元気づけようと始めたのが、映画事業であり、キャバレーだったという。「当時のキャバレーは、健全な社交場だったんです。生バンドが入って、踊ったりして」。その話は、ある有名な「うどん」の会社の社長にも伺っていた。そのキャバレーが転じて、飲食事業となる。当時の店舗数は3店舗だったそうだ。
それから20年。2017年には別会社化され、現在の株式会社テアトルダイニングが誕生する。社長の席に座ったのは、事業責任者でもあった石見氏だった。
「現在、うちの店舗は、8店舗です。年間少なくとも3店舗ずつ拡大し、3年で15店舗にはしていきたいな、と考えています」。できれば20店だそうだが、物件取得も困難な時代だから、控えめにそう語る。
「カギを握るのはいうまでもなくスタッフですね。現在、社員は20名いるんですが、彼らの成長にかかっていると思います」。
待遇はいい。休日も月10日。年間120日の計算だから、飲食のなかでは突出している。むろん、定着率は極めて高い。「私はもともと飲食を志していたわけでもないので、最初に配属された時は苦労しました。レッドアイをオーダーされて赤ワインをお持ちしたくらい何も知らなかったんです。正直言うと、飲食が楽しいと思ったのも、ここ数年です。ただ、そんな私ですが、経営の観点からいえば、今、飲食でやりたいことは多いですね。店舗数だけではなく、目標の店舗数を達成した時の、その後をどうするか、とか」。
いずれ社長の座は、飲食を志して入社してきた若手に譲るつもりでいる。ところで、そもそもの話だが、映画好きな石見氏の目に飲食はどう映っているのだろう。ただ、答えを聞く時は、今ではないような気もする。何故なら3年後の目標が実現した時、石見氏率いる株式会社テアトルダイニングは、映画事業顔負けのアグレッシブな時代・領域に突入しているような気がするから。ぜひ、その時にもう一度、石見氏に会い、先ほどの答えを聞いてみたい。

思い出のアルバム
 
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