株式会社創業新幹線 代表取締役 陳 建(Chin Ken)氏 | |
生年月日 | 1976年12月21日 |
プロフィール | 中国、福建省生まれ。24歳で来日。流通科学大学卒。ソフトブレーン株式会社に就職し、創業者、宋氏からも薫風を受ける。入社から2年半で独立し、起業支援事業をスタートする。後に外食事業へも参入。多角化を果たした現在では、「起業支援事業」、「海外展開戦略支援事業」、「飲食店コンサルティング事業」、「外食事業」の四本柱での事業構成に至っている。 |
主な業態 | 「春樹」「希家」「夏樹」「黄金の華」「春菜」「九龍・Deli」「道頓堀九丁目」 |
企業HP | http://www.sougyoushinkansen.com/ |
子供の頃、裕福な家庭だったそうだ。中国、福建省。今回、ご登場いただいた株式会社創業新幹線の陳 建(Chin Ken)氏は1976年12月21日、この福建省に生まれている。陳氏によれば、福建省は事業家が多く、海外に渡る人も多いエリアらしい。たしかに陳氏の父親も事業家だし、陳氏もまた日本に渡り、事業を興している。
「父親が経営していたのは食用油の会社で、事業が傾き始めたのは1997年くらいからでしょうか。東南アジアから密輸入した安価な油が大量に出回りはじめたのです」。
同時に政府による金融の引き締めもスタートした。父親が手がけるファンドの運用がうまくいかなくなる。陳氏は、高校を卒業し、いったん父の会社に入社するのだが、2年後には事業が立ち行かなくなったと言っている。
「たしかに外的な問題もありました。それは事実です。ただ、父親の経営にも問題があった。厳しくいえば『ザル経営』だったのです」。
当時の中国はどんな時代だったのだろう。香港返還と世紀のイベントがつづき、自由経済が促進され、世界の工場から消費大国になりはじめた頃だろうか。しかし、日本もかつては、そうだったように、どんぶり勘定の経営がまかり通っていたようだ。それでも、利益が確保できていた幸せな時代だったとも言える。
しかし、状況はいっぺんし、「経営専門知識」なきものは、淘汰される時代となる。
「父親の会社が倒産し、私がいろんなものを背負って来日したのは24歳の時です。法的な意味での借金は完済できたのですが、道義的な意味での借金が残っている。私はすでに結婚し、子どもいたのですが、妻子を残し、1人、最新の経営を学ぶために日本に向かいました。当然、借金の返済も目的です。長男ですから、妹や2人の弟の学費や留学の面倒もみなければなりません」。
当時、購入していたマンションを売って、渡航費用を捻出した。
「日本に来て、まず日本語学校に入学します。それからダイエーの中内さんが創立された『流通科学大学』に進みます。学費はほとんど奨学金でまかないました」。
アルバイトで得た収入はほとんど仕送り、借金の返済に充てた。借金返済まで、来日してから丸々6年かかったいう。その額を聞いてびっくりした。
奥様もやがて来日されるが、それまでは「1年に1度しか会うこともできなかった」という。どれほど苦労されたことだろう。「どうでした? たいへんでしたか?」そう尋ねると、陳氏は笑いながら首をふった。
「小さな頃の性格ですか? 一言でいえば負けず嫌い、それは間違いないですね。実家も当時は裕福でしたから、長じてからも、なかなか人に頭を下げられなかったですね。姉のご主人が裁判官だったこともあって、もともと私は弁護士を目指したかったが、父に家業を継ぐようにと言われ断念しました。だから、向こうでは大学にも進んでいないんです」。
アルバイトに精をだす一方で、授業で学んだことをバイトで実践する。そこで得た成果を今度は、授業にフィードバックする。経営学が陳氏のなかで色彩を濃くする。まさに覚悟のたまものだろう。今どきの日本人の学生と比較することすら、申し訳なくてできない。
「日本に来てからも、たいへんだったのはたしかですね。でも、私はそう思ったこともないんです。だって、毎日、眠ることができたし、何より希望がありましたから。中国にいた頃、そう最後の3年間くらいは、もう夢を持つこともできませんでした。『これからどうなるんだろう』。そう考えると夜も眠れない。それから考えれば、夢を持つことができるだけで、人間は幸せになれるんです。それを知ることができたのですから、向こうにいた苦しかったあの3年間にも意味があったような気がします」。
大学を卒業した陳氏は、ソフトブレーン株式会社に入社する。アルバイト先で仕入れた話が、そのきっかけ。「当時は、いつか中国に帰って父の事業を再興したいと思っていました。でも、大学で学んだだけでは実践がともなっていませんから、いったん日本の会社に就職しようと考えていたんです。その時に知ったのが『宋文洲さん』です。みなさんもよくご存じだと思います。TVにもよく取り上げられていますし、『やっぱり変だよ日本の営業』などの本も出版されていますからね。私も、そのアルバイト先で宋さんの話を聞き『やっぱり変だよ日本の営業』という本があるのを知りました。せっかく日本に学びにきたのに、『日本の営業がおかしい?』ってどういうことだろうって。宋さんに興味を持って、彼が創業したソフトブレーンに入社しようと決意したんです」。
ソフトブレーン株式会社は、営業支援システム(CRM/SFA)やコンサルティング、教育などのサービスを行う、いまや東証一部上場企業である。ちなみに、その創業者、宋文洲氏は、成人後に来日した外国人として初めて日本の証券市場(東証マザーズ)に上場を果たした人物でもある。
エントリーした学生は2400人。うち採用されるのはわずか40名足らず。しかも、新卒者と言っても、陳氏は年齢も高い。しかし、そういったハンディをもろともせずに、見事、狭き門をくぐり抜け、陳氏は実力で未来の糸を手繰り寄せた。
「私が独立したのは、それから2年半後です。当時、あるコンビニエンスストアを担当させていただいていたんですが、その時にアイデアがひらめいて。実は、中国から来日し、私のように日本で起業したい人はたくさんいるんです。そのなかには資金はあるのだが、どうすれば起業できるかわからない人も少なくありません。その一方でフランチャイズを募集されているFC本部が日本にはたくさんある。両者をつなげる仕事すれば、私自身もそうですが、みんなのためになり、絶対うまくいくと」。
思い立ったら、行動ははやい。「あと1ヵ月在籍していれば、3ヵ月分の給料が入ったんですが、その時間も惜しくて、創業します。ええ、最初は私1人です」。
コンビニエンスストアや飲食店で片言の日本語を使うスタッフが目立つようになったのは、いつ頃からだろうか。ネームプレートをみると中国人らしい名前の人も少なくない。その一方、今回、陳氏から「スタッフではなく、オーナーにも中国人が多い」という話を聞いて「なるほどな」と納得する。
そうした外国人のオーナーは、FC本部から日本のオーナーよりも高く評価されているケースが多いそうだ。むろん、これらの中国人オーナーの裏には、陳氏の仕事が隠されている。
「FCからすれば、FC加盟店の募集代行ですね。また、オーナーからみれば我々は経営支援会社です。ええ、飲食店のFCにも数多くかかわりました。弁当さんにも、多数のオーナー希望者を紹介しました。それはそれで、経営的にも問題がなかったのですが、代行と支援という仲介的な役割をしていると、本部、オーナー両者の問題点もみえてくるんです。そして『もっとこうすればいいのに』という思いがふくらんで。えぇ、それで私も、ある中華料理店のFCを開始します。それが日本橋に出店した<健康中華庵「青蓮」日本橋店>です。
「利益は4ヵ月目からでました。そして、2号店、3号店と出店を重ねます。とくに3号店目の『春樹』は、自社ブランドです。そう、このブランドがヒットしたことで、私たち自身が本部となり、私が思っていた『もっとこうすればいい』を実現できるようになったんです」。
陳氏は、ある意味、運のいい経営者ということができる。
しかし、理由なく運が陳氏に振り向いたわけではないだろう。抱えた数千万円の借金を返済する。しかも、それは道義的にすぎない借金である。それでも陳氏は父親に代わり、すべてを返済する。それが、どれだけの「信頼」をつくったか。それが「運」を引き寄せたはずだ。
もちろん、経営者として実力も、陳氏は兼ね備える。
「運」と「実力」。
それは、現在の店舗数にも表れている。飲食事業をスタートして8年。店舗数は、現在「春樹」を中心に100店舗ちかくにもなるそうだ。
今後は、中国はもちろん、マーケットの大きなアメリカにも出店するという。中国では100店舗が目標だ。その一方で「日本人の中国進出のサポートもしたい」と言っている。たしかに、陳氏のサポートを得ることができれば、心強い。何より、陳氏は逃げ出す人ではないからだ。
実は、「春樹」1号店はオープン当初、苦戦する。ある飲食店の役員と資金を折半し、出店。オペレーションはすべて任せたが思うように売り上げがのびず、その役員は3ヵ月で撤退を決断したそうだ。
「ぜんぜん、うまくいかなくて。でも、私たちは起業も経営も支援する会社でしょ。その私たちが失敗するわけにはいきません。何より、スタッフです。3ヵ月まえ、彼らを採用した時は、『こうしよう』『ああしよう』と、夢を語りかけたわけです。それをちょっと業績がだめだからといって、反故にするわけにもいかない。だから、私は、彼が持つ株の半分を言い値で買い取って、再スタートするんです」。
だめでも、簡単にあきらめない。夢があるだけで、人は幸せになれる。その夢を彼らからも奪いたくなかったから。
すべての人に夢のかけらを。そして、そのちからを。
かつて自らが得た夢のちからを人々に配る。
これが陳氏の仕事の本質かもしれない。
最後にホームページから創業から「春樹」のFC展開までを沿革を拝借し、説明する。
2009 年 05 月/在日華僑・華人向けの起業支援ポータルサイト『創業新幹線』を開設
2009 年 09 月/株式会社創業新幹線設立
2010 年 01 月/30数社のFC本部と業務提携し、加盟オーナー募集代行サービス開始
2010 年 02 月/華人企業向けのFC本部構築サービスコンサルティング開始
2010 年 03 月/健康中華庵『青蓮』日本橋FC加盟店出店
2010 年 07 月/海外進出コンサルティング開始
2010 年 12 月/自社ブランド「ラーメン春樹」第一号店出店
2011 年 03 月/「ラーメン春樹」FC全国展開開始
2014年07月/「ラーメン春樹」チェーン40店舗達成
2015 年 02 月/医療事業「霓虹医療直通車」開始
2016 年 06 月/自社関連ブランド日本国内100店舗達成
2016 年 06 月/新業態中華ダイニング春菜・イオンモール浦和美園1号店出店
2017 年 03 月/新業態中華惣菜・九龍Deli・イオンモール北戸田店出店
2017 年 03 月/自社関連ブランド日本国内120店舗達成
2017 年 09 月 /中国1号店・上海春樹らーめん长宁来福士店出店
2017 年 10 月/ 新ブランド「道頓堀九丁目」・中国広州正佳広場出店
陳氏が率いる創業新幹線。同社の事業展開には一つの特徴があると言えよう。それは、蓄積したノウハウを最大限に活用している、という特徴だ。2010年12月の自社ブランド「ラーメン春樹」第一号店出店から「ラーメン春樹」チェーンが40店舗を達成するまで、わずか3年間。それを支えるのは、それまで行っていた加盟代行事業やFC本部構築サービスコンサルティング事業で蓄積したノウハウにほかならない。これらのノウハウと出店実績をテコに、その後の2年間で60店舗を増やし、100店舗を達成した。
特筆すべきことは、多ブランド・多業態の水平展開で得たナレッジと海外進出コンサルティング事業との相乗効果で、2017年10月より、中国広州の正佳広場において新ブランド「道頓堀九丁目」をフードホールという形で展開していること。
「華人ネットワークを通じて、日本の食文化・おもてなし精神・きめ細かいマネジメント手法を世界中に広げる」というビジョンを掲げる創業新幹線。今後はこれまでのノウハウのみならず、「道頓堀九丁目」での経験をも活かし、ビジョンの実現に向けて、日本の飲食企業が海外展開を果たす際の立役者になるに違いない。
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