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第642回 株式会社かたむすび 代表取締役社長 原 数馬氏
update 18/06/05
株式会社かたむすび
原 数馬氏
株式会社かたむすび 代表取締役社長 原 数馬氏
生年月日 1978年12月13日
プロフィール 大学を卒業し、大和実業(現ダイワエクシード)に就職。5年後の27歳の時に、グローバルダイニングに転職。メインブランドの一つである「権八」のブランドマネージャーを経て、34歳で独立。海が大好き、サーフィン大好きな経営者である。
主な業態 「臥薪」「gatakigi」「臥遊」
企業HP http://katamusubi.co.jp/

甲子園に現れたもう1人のヒーロー。

甲子園球場は広い。スタンドには大量のイスが円形を描くように並び、立体的なすり鉢状の曲線をつくりあげている。野球の開催日には、この広いスタンドが観客で埋め尽くされ、1球ごとに歓声があがる。そのなかを重いビールを背にして動き回るスタッフたちがいる。「ビールの売り子」と呼ばれるプレイヤーたちだ。今回、ご登場いただいた「かたむすび」の代表取締役社長 原氏も、高校生時代、夏の2週間だけ、この「売り子」のバイトをしたことがあるそうだ。たちまち原氏の才能が目をさました。
「最初の2週間で250万円を売り上げました。はい、当時の記録です。同時にこのアルバイトが、いまの私の、一つの原点です」と原氏。
ともかく、選手たちがグラウンドで汗を流すなか、原氏はひたむきに客を探し、ビールを注ぎつづけた。2018年現在から逆算すると20年以上も前の話である。突然、甲子園に現れた売り子のヒーローは、いまどんな大人になっているのだろう。いつも通り、原氏の人生を、生い立ちから追いかけてみよう。
出身は、大阪府。生まれたのは1978年。生まれは、正確には兵庫県の尼崎だが、そう住んではいない。まだまだ野球人気が高かった頃だが、原氏はサッカーに傾倒する。
「小学2年生からサッカーを始めます。小さい頃はサッカー選手をめざしていました。サッカーを辞めたのは、高校2年の時、バイクで事故って大腿骨を骨折してしまったのが原因です」。

サーフィン。波乗りがやめられない。

飲食には、サーフィン好きな経営者がたくさんいる。なかにはプロをめざし、海外に渡った経営者もいる。素人からすれば「たいへん」の一言なのだが、サーファーたちは厳冬下でも、沖に向かって漕ぎ出す。それはもう「習性」と表現するしかない。
さて、原氏がサーフィンを始めたのは、大学に進学してから。そのおかげで、大学時代は「バイトとサーフィン漬け」と笑う。
大学2年時は、長い夏季休暇を利用して、まるまる3ヵ月、四国のとあるペンションで住み込み、バイトとサーフィンに明け暮れた。目をつぶれば、波が打ち寄せた。波乗りがやめられない。
「実は、そういう生活だったもんですから、就活もほどほどで、当時、バイトをさせてもらっていたBarのオーナーとの縁で、一般でいえば内定式も終わった頃にようやく『大和実業』を受け、合格をいただいたので、そちらに進みました」。
つまり、原氏もまた、何が何でも「飲食」というわけではなかったようだ。「ビールの売り子」が楽しかったのは、いっても高校時代の話である。
しかし、そうは言っても何かしらの影響があったのは事実だろう。始まりは、やはり、あのすり鉢状のスタンドだった、そんな気がしてならない。
ところで、大和実業株式会社は日本の飲食業界の草分け的な存在である。現在は、株式会社ダイワエクシードが正式社名。「やぐら茶屋」や「エスカイヤクラブ」といえば、ご存じの方も多いだろう。この大和実業で、原氏はおよそ5年間、勤務している。
むろん、こちらでも抜群の成績を残し、誰もが原氏の実力を認めていた。ただ、原氏にとっては物足りない点もあったようだ。さらに実力を試すことができるステージを求め、転職。それが、27歳のことである。

グローバルダイニングに現れた台風の目。

グローバルダイニングといえばいうまでもなく、「モンスーンカフェ」や「権八」で一世風靡したレストランチェーンである。徹底した実力主義という評判も立っていた。
「転職したのは、27歳の時です。ちょうど大阪市北区の茶屋町にモンスーンカフェがオープンした時です。すぐにアシスタントマネージャーになり、店長となります。そして、東京です」。
実力が認められた証だろう。店長になってからは全店のなかでトップの成績を残し、「1回のボーナスが200万円を超えた」というから驚き。まさに、水を得た魚のように原氏は活躍する。それが、上層部の目に留まり、本社のある東京への異動の辞令が下りた。
「最初は、大阪から離れるのがいやだったんですが、上司に説得され、東京へ向かいます。結婚していて、子どももいましたから、ちょっとした決断でした」。
そして、東京に行って、エリアマネージャーに昇進。約2年半で、なんと「権八」のブランドマネージャーとなり、執行役員ともなっている。あのグローバルダイニングの執行役員である。社長の長谷川耕造氏からも直接指導を受けている。
まさに、原氏もグローバルダイニングに現れた、1つの台風の目だ。ちなみに、原氏のグローバルダイニング評は、「店舗の運営やスタッフのホスピタリティは群を抜いていた」とのこと。その一方で、「大和実業のロジカルな会議運営には及ばなかった」そうである。

ラブホテル前に1号店オープン。

さて、34歳。脂が乗り切った時に、原氏は起業する。ただ、グローバルダイニングを退職してから、約1年の空白期間があった。「1年間、ニートをしていました」と原氏は笑う。ともに起業しようと誓い合っていた権八の総料理長が退職するまで、1年のブランクがあったから。それに「いい物件がなかったから」と原氏。
「当初は、『都内で』と思っていたのですが、1年間、何もせず暮らしていたので、税金やら、何やらで資金も枯渇して。それで、大船です。もっとも海に近いでしょ。食材もいいものが手に入りそうだし、私にとってはサーフィンにはもってこいですし/笑」。
3年間、借り手がつかなかったほどのうらぶれた物件だったらしい。駅からも離れ、目の前はラブホテル。たしかに敬遠する気もわからなくもない。「ただ、私たちはそういうのをプラスに考えました。そして、いつか、この辺りを人気のスポットにしよう、と。そういう目標を立ててスタートするんです」。
それがいまの「臥薪 大船店」である。
グローバルダイニングから独立した先輩たちに習って、原氏も盛大なレセプションを開いた。ただ、特に宣伝らしきものはせず、口コミに頼る戦略を取った。無駄なお金は使いたくなかったからである。

両社のいいとこどり。

「で、どうでしたか?」と水を向けると、「10月にオープンして、12月には480万円くらいにはなりました」。2階建ての古民家で、22坪。席数45席。悪くない数字である。「2ヵ月ほど、同じ数字だったんですが、3月には月商が850万円となり、事業が本格的に立ち上がっていきます」。
5年前というから、2013年のことだろう。HPを観れば、設立が2013年10月とある。ちなみに、前述の現専務と同様、権八の店長、料理長も創業メンバーである。「いい人材が最初から参加してくれたわけですが、そのぶん給料もちゃんとださないといけないし、そういう意味のプレッシャーはありました」と原氏。
本音だろう。
しかし、天才的なビールの売り子は、ここでもまた簡単に目標をクリアする。そして、2018年現在、大船、藤沢、茅ヶ崎に、和ビストロ、炉端、鉄板という3業態を運営。2016年に浜辺で楽しめるBBQ事業部を立ち上げている。海が好きな、いかにも原氏らしい事業だ。
「今何か問題はないか?」と伺うと、「事業の広がりとともに、我々のDNAが薄れていくのではないかという心配があります。そういう意味では教育ですね。この教育は大和実業で学んだこと。そして、実力主義。これはグローバルダイニングで、です。たとえば、100万円の原資があれば半分を利益還元にあて、もう半分を教育に使うといったことをイメージしています。つまり、両社のいいとこ取りです」。
なるほど、原氏ならではのプランだ。
ともかく、元「権八」のブランドマネージャーがつくりだす「飲食の世界」がどれだけ多くの人を魅了するか。楽しみでならない。

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