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第646回 株式会社ブランニュー 代表取締役 織野敏一氏
update 18/07/03
株式会社ブランニュー
織野敏一氏
株式会社ブランニュー 代表取締役 織野敏一氏
生年月日 1960年2月3日
プロフィール 品川出身 横浜育ち。日本大学経済学部卒。ヘアケア商品で有名な「ウエラジャパン」に就職。入社して、8年連続目標を達成。ヘッドハンティングでペットフードメーカー、美容チェーンなどを経験し、45歳の時、知人と2人で美容室を開業。10年で63店舗まで拡大し、55歳になった時に経営を離れ、2度目の起業を行う。興したのは、畑違いの飲食店。起業から3年。2018年現在で姉妹店を含め14店舗を展開する。
主な業態 「鶏唐揚専賣店」
企業HP http://www.brannew.jp/

国民食で勝負。

日本でもおなじみのカーネル・サンダース氏がケンタッキー・フライド・チキンを創業したのは65歳の時だそうだ。今回、ご登場いただいた織野氏は、カーネル氏より10歳若い55歳で「鶏唐揚専賣店」を創業した。
「おしながき」をご紹介すると、定番のしょうゆ、塩、にんにく入りのスパイシー、カレー、チーズ、甘だれ…、すべて100グラム、210円。お弁当もあり、こちらは税別で500円。毎日でも足が向く種類の数と値段だ。
ある調査によれば、「鶏の唐揚げ」は、人気ナンバー1の定番おかず。スーパーに行っても数十種類の「唐揚げ粉」が置いてある。それだけ、人気が高いということだ。
織野氏も「唐揚げは国民食でしょ。だから、勝負できると思ったんです」と語っている。
とはいえ、競争相手は少なくない。織野氏の経営手腕が問われる点だ。
では、その話に移る前に、いつも通り織野氏の足跡を追いかけてみよう。

テニス、スキー、飲み会、バイト、時々、勉強。

織野氏が生まれたのは1960年2月。品川で生まれ、横浜で育っている。2人兄弟の長男。
少年の織野氏は、当時は誰もがそうだったように野球が大好きだった。特定の球団はなく、とにかく強いチームが好きだったそうである。中学に進んでからはテニスを始め、高校時代には関東大会にも出場している。学業のほうも優秀で、高校は県内でもトップクラスの進学校に進んでいる。ところが、学業のほうは、高校入学後、徐々に順位を落としていったらしい。
「進学校ですから、ランク分けされるんです。AからEまで。このすべてにランクされた生徒はそういないんですが、私はAからEまで、すべて経験しました。学年トップクラスから、その逆まで。高校に進学してから、ぜんぜん勉強しなかったものですから/笑」。
高校時代はとにかくテニスと遊びに没頭した。学業はそっちのけ。
「大学は日本大学です。専攻は経済。こちらでも勉強より、テニスやスキーに飲み会やバイトっていう生活です。この時のバイトがきっかけで、大学卒業後、『ウエラジャパン』に就職します」。
どういうことだろう。
「バイト先の貸衣装店の社長が紹介してくれたんです。『君にピッタリのいい会社がある』と」。
織野氏が就職したのは、氏が22歳の時だから、1982年。「ウエラジャパン」が設立したのが、1972年だから設立から10年経過している。(ちなみに、2010年P&Gジャパンに統合され、現在、コンシューマー向けのウエラ製品は、コティ・プレステージ・ジャパンから発売されているそうだ)。
ともかく、バイト先の社長が、織野氏を紹介したのは、当然、織野氏を見込み、織野氏の性格も知ってのことだろう。
外資というのも、織野氏にとっては幸いしたのではないか。
こののち、織野氏はヘッドハンティングなどで転職を繰り返すが、当時の日本流の「はたらきかた」を知る者からすれば、枠にはまらない生き方自体が新しい。
ともかく、織野氏は、この「ウエラジャパン」で、織野氏はめざましい活躍をつづける。

打ち立てた金字塔。

入社しておよそ10年間、「社内の表彰を総なめにした」と織野氏は語る。入社、以来8年、つまり96ヵ月、連続で目標を達成しつづけたそうである。唯一、達成しなかったのは、入社1ヵ月目のみ。いまでも、そうそう破られることのない金字塔に違いない。
その活躍が、スカウトの目にとまる。
「ヘッドハンティングされて、ペットフードのメーカーに転職しました。そちらでも目標は常にクリア。1年後には東京支店の支店長に抜擢されました」。
独立採算制だったそうである。
「だから、そちらで経営全般を学ぶことができました。とくに流通や物流を学んだことが、そのあとの人生に役立ちます」。
やがて、二度目の転機を迎える。「また、ヘッドハンティングです/笑。今度は、美容室のチェーン店の本部です。そちらで110店舗の統括部長になります」。入社3年で31店舗のFC店をオープンし、敏腕ぶりを発揮する。
「こちらには8年いて、そこからまた引き抜かれて、大手の美容ディーラーに移ります」。
なんともはや。引っ張りだことは、こういうことを言うのだろう。

独立と2度目の起業。

しかし、次の転機は、今までとは違う風景を織野氏にみせる。「今度は、知人と2人で事業を興します。美容室です。なんだかんだいって、10年。ゼロからスタートして63店舗まで展開することができました。そして、気づけば55歳だったんです」。
55歳。冒頭に書いたように、織野氏はこの歳で株式会社ブランニューを法人登記し、起業する。「4月に前の会社を退職し、6月の頭に法人登記を済ませました。その間に、ヘルニアで一度、救急車で運ばれているんです/笑」。
ヘルニアは、前職時代からの持病だった。足を引きずりながら、物件を探していた時もあったそう。
「5月の末になってようやく物件が決まって。法人登記も済ませて、スタートです。6.5坪で、家賃は22万円。業態はすでにお話したように、鶏の唐揚げ。テイクアウトの店です」。
ところでどうして飲食店だったのだろう。美容とはまたずいぶん異なっている。
「美容のことは、もう、何でも知っています。美容室のいいところも、悪いところも。ただ、ある時ですね。飲食店の収支をみて、ぜんぜん違うのにびっくりするんです。ええ、収支だけでいえば飲食店に軍配が上がります。それで、リスクがあるのは承知でやってみようと思ったんです。55歳ですから、最後のチャレンジですね。それが、想定以上にあたりました」。
現在、14ある店舗は、2店舗を除けばすべてテイクアウトのみ。「知人と起業したものを入れれば、人生2度目の起業です。おかげさまで、この3年、順調に業績も伸びています」。
1度目は成功した。2度目は謙虚に、お客様、協力してくださる方々、従業員に感謝をし、常に長いこと培ってきた経験という羅針盤を駆使し舵取りをしていきたいそうだ。
今後の展開も聞いてみた。
「飲食業というのは、社員にとって、なかなか先がみえない業種です。一生、この業界で生きていけるような安心感ですね。それを社員たちに感じて欲しいと思っています。その一つが独立です。ただ、『のれんわけ』っていうのは少しハードルが高いと私は思うんですね。だから、まず『0円』でお店を任します」。
0円。たしかに、これなら誰もがスタートできる。
「そして、何年後か、お金が貯まった段階で、営業権も、所有権も買って貰うというスタイルです。法外な額を取ろうとは思っていない。我々のビジネスが広がればそれでいい。何より、社員たちの目標になれば、それがいちばんです」。
実は、株式会社ブランニューでは、離職者がほとんどいない。半面、ハローワークに求人をだせば、それだけで、ものすごい数の応募者が来るそうだ。
みえないオーラがあるのかもしれない。そのオーラは、織野氏の人としての魅力と言い換えてもいいかもしれない。
現在、株式会社ブランニューは、積極的にFC店の募集も行っている。こちらも、低コストで起業できるのが、魅力である。

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