東湖株式会社 代表取締役 徐 耀華(ジョ ヨウカ)氏 | |
生年月日 | 1962年3月27日 |
プロフィール | 湖北省 武漢市 出身。高校1年時、飛び級で「武漢大学」に進学。卒業後、日本の文部省にあたる「文化省」に入省。半年後、外交官として、日本に派遣される。29歳、文化省を退任し、経済の世界へ。貿易商として起業したのち、再度、来日し、雲南料理を紹介すべく「御膳房」をオープンする。 |
主な業態 | 「御膳房」「百菜百味」「四川坦坦麺1841」「伊万里」 |
企業HP | http://gozenbo.com/ |
湖北省は、揚子江の中流に位置する。かつては、楚の国でもあった。今回、ご登場いただく東湖株式会社の代表取締役、徐氏が生まれたのは、この湖北省の省都である武漢市。生年月日は1962年3月27日。徐氏は、4人姉弟の長男。姉2人、妹1人。長女は、やがて医師になり、国立病院の院長になられた。
長男の徐氏も、負けてはいない。「勉強に興味を持ったのは、小学生の後半」と徐氏。中学に進むと、いっそう勉強に注力し、なんと高校1年で、大学の受験資格を獲得。中国の重点大学の一つである「武漢大学」に進んでいる。いわゆる飛び級という奴だ。
「高校1年の時に、コンテストがあって上位3位に入りました。3位までに入れば、大学の受験資格が獲得できるんです。えぇ、それで私はおなじ武漢市にある武漢大学に進みます」。
高校1年、日本ならまだ15歳。その15歳の少年がいきなり、大学のキャンパスに現れる。何を専攻することにしたのだろう。「最初は、父親がエンジニアだったこともあって、ドイツ語を勉強したかったんですが、大学の方に日本語を勧められて、『日本の近代文学史』を専攻しました」。
なんでも、卒論は「芥川龍之介の小説の美学」だそう。大学院を卒業しても、まだ23歳。「当時の中国の大学は、授業料は全部国が負担していた。ただ、大学院を卒業すれば、進む道も自由に選択できます。私には南に進んで、今、IT都市としても有名な深センに行くか、北に進んで政府機関に入るかの2つの選択肢があって、それで、北に向かいます。そう、北京です」。
「私が23歳の時、1986年です。中国は様々な改革、開放が進んで、政府機関も人材不足の時代でした。私は文化部、日本でいう文部省に入省し、半年後に日本に派遣されました」。外交官の3等書記官となった徐氏は、元麻布の中国大使館に勤務するようになる。
「大学時代は日本の近代文学を専攻していましたが、日本に来て仕事をするとは思っていませんでした。当時の中国が今とまったく異なっているように、当時の日本は、バブル経済の真っ最中。今も先進国の一つですが、ぜんぜん異なる国のようでした。何しろ、世界を買ってしまうんじゃないかって言われていた時代です」。
文化も、テクノロジーもまったく異なる2つの国。東京で、見上げる摩天楼には、両国の経済力の差が映し出されていたのではないだろうか。
「私が、外交官を辞め、いったん中国にもどり、民間で、中国と日本の橋渡しのような仕事ができないかと、90年に日本に再び来て、貿易やツアーの仕事を始めました。」徐氏、29歳の時である。「政治を離れて何ができるかが、日本での私のチャレンジです。起業した会社で、文化交流企画展や雲南省の有機食材を日本に輸入していたんです。それで、当時、珍しかった『雲南省の料理』を日本に紹介したいと思って、はじめたのが『御膳房』です」。
「雲南省」をネットで検索してみた。雲南省は、南西部にあり、ミャンマーなどにも隣接していることがわかった。漢族が60%くらいで、それ以外に、ペー族、タイ族、イ族、ナシ族などの少数民族が40%くらいを占めていて、これが料理にも影響しているようだ。「雲南料理は、日本で有名な四川料理系の漢族の料理と、ペー族などの少数民族料理からなっています。酸味、甘み、辛みが、混然一体となっている。食材では茸類が有名です」と徐氏。
実際に、雲南料理とはどんなものか、徐氏がオープンした「御膳房」のページをググった。
日本料理の盛り付けは、三角形が基本とされている。「縁側に座って日本庭園を見る感じで」という人もいる。シンプルだが、繊細な盛り付けは、どこかちから強い。今回、「御膳房」で観た料理の数々は、むろん、日本料理とは違うのだが、日本料理同様、そのちから強さに、心をわしづかみにされてしまった。
料理が絵なのである。料理を目にしているだけで、森と緑と、渓谷が頭に浮かんでくる。「当時、日本の職人さんは聞いたことがない料理です。料理人は、すべて中国から招きます。彼らを招いて表現したかったのは、中国の詩の世界です」。
徐氏がいう歌の世界とは、我々が漢文で習う「漢詩」のことだろうか。その昔、「漢詩」に出会って、その言葉の美しさ、音の美しさに魅了された時とおなじように、「御膳房」の料理には、観る者を圧倒する美があると思った。たしかに、美食家が高く評価するだけのことはある。
「お客様のなかには、歴代の首相や、経済界のトップの方々、それにトップアイドルもいらっしゃいます」。むろん、中国から要人が来日される時には、当然のように「御膳房」が利用される。いまでも徐氏のネットワークは、中国の全土を覆っている証でもある。
それは、徐氏のちからによることはいうまでもないが、料理のちからによるところも多いのではないか。それは政治力という世界から離れた、徐氏が駆け抜けた一つのゴールのような気もする。
ともあれ、美しくて、旨い。料理が、これだけ屹立できるものだと、はじめて知った。
今後の話も伺った。すると「年内に3店舗出店する」という。銀座に2店舗、六本木に1店舗。「今回ブランド『珞珈壹號』は、今の『御膳房』と、『百菜百味』の中間くらいの価格設定で出身地湖北省の郷土料理を中心とした美食をチャイナバルの業態で紹介しようと10月に銀座BINOの4階で開店予定と進めいているところです。御膳房六本木店の2階にも『168バル』も7月にオープン予定です。」と徐氏。
「百菜百味」は、日常使いができるチャイナバル。「麻婆豆腐」や「担担麺」、「回鍋肉」や「海老チリ」などの新派四川料理である。そして、今回の新ブランド『珞珈壹號』でめざしているのは、まだ日本に紹介できていない、湖北省料理を紹介するバルである。ブランドイメージは「モダンチャイニーズバル」。ネットワークがある徐氏ならではの、ブランドとなりそうだ。
考えてみれば、中国は広い。中国の文化、料理といっても一つではおさまり切らないのだろう。言い換えれば、それは、消費者の我々にとっては楽しみと映る。
どんな文化があり、料理があるのか。それが、楽しみだ。日本と中国。政治的には離れていたとしても、文化はもう、一つになろうとしている。もと外交官の徐氏の話を聞いて、今回は、そのことを強く思った。
ちなみに、社名の「東湖」とおなじ名前の湖が、「武漢大学」のキャンパスの隣にある。中国の都市部にある湖で最大というから、キャンパスがその湖のほとりにあるといったほうが正しいのだろう。中国でいちばん美しい大学と言われる、「武漢大学」のキャンパス。
そのキャンパスを観ていると、徐氏は料理に映し出す美的なセンスを、この大学で育てたのかもしれないと思った。
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