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第650回 株式会社Picnic with Sugar 代表取締役 鶴野太郎氏
update 18/07/31
株式会社Picnic with Sugar
鶴野太郎氏
株式会社Picnic with Sugar 代表取締役 鶴野太郎氏
生年月日 1982年7月3日
プロフィール 岩手県出身。高校時代に映画「未来日記」に主演。中央大学卒後、アサヒビールに入社し、26歳で独立。2018年、飲食店6店舗にネットで食器の販売を行っている。
主な業態 「なっぱ」「二十三夜」「肉のいちのへ」他
企業HP http://nappa-juicy.com/

セネガルで、偏食を治す?

じゃがいもと米が主食でおかずだった。お菓子も、ハンバーグも食べなかった。「とにかく、偏食だったから」と笑うのは、「Picnic with Sugar」の代表取締役、鶴野太郎氏である。
旅行代理店を経営していた父親がベジタリアンで食材や調味料についても注文が煩かったそう。ふつうの砂糖もだめだったらしい。
「だからでしょうか。母の料理はどうも旨くなくって、中学からは弁当なんですが、残す時も多くて。母に申し訳ないので、わからないよう捨てていたこともありました/笑」。
父親の会社は、東京、大阪、ジャマイカに支店があり、父親はジャマイカに行って、数ヵ月、滞在することも少なくなかった。鶴野氏も父親に連れられ、ジャマイカなどを旅したことがある。なかでも、中学2年の時、父親がセネガルを旅するツアーを企画し、鶴野氏も同乗したのだが、その時の印象がいまも鮮明に残っている。
「実は、セネガルで、それまでの偏食と潔癖症がいっぺんに治ったんです」と鶴野氏。「食べざるをえない状況下で、すべてが吹っ切れた」と笑う。ちなみに「セネガル」は、西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制国家である。中央アメリカにある「ジャマイカ」とは大西洋を経て、ほぼおなじ緯度にあるような国だ。太古の習慣が残るこの国で、偏食を治したのは、あとにもさきにも鶴野氏くらいだろう。
ところで、鶴野氏は、小さい頃から合気道とピアノを習っている。合気道は父親のススメ、ピアノは母親のススメである。もっとも、どちらも好きじゃなかった。中学から水泳をはじめ、高校でも、水泳部に所属する。偏食がなくなり、潔癖症も治った鶴野氏に、今度は恋心が動き出す季節が到来する。

映画「未来日記」の主人公に抜擢される。

「中学は公立ですが、高校は中央大学杉並高等学校に進みます。こちらでも水泳部で真面目にはやっていたんですが、ちょうど3年の時かな。『未来日記』っていうドキュメンタリー映画に出演して、一時、時の人になりました/笑」。
鶴野氏が出演した「未来日記」は、テレビで放映されていた「未来日記」の映画版で、3人の高校生の、ひと夏の体験がつづられている半ドキュメンタリー映画。調べてみるとキャストのいちばんうえに、鶴野氏の名があった。
「いちばんびっくりしたのは、私ですね。たまたま、理科の実験で気になる子がいて、その子が『未来日記』のことをいろいろ言っていたもんですから、オーディションにハガキを送って、会話のネタにしようと思ったんです。だから、そもそもオーディションに合格するつもりもなかったんです。でも、あれよ、あれよってうちに」。
「3000人くらいはいた」と鶴野氏。そのなかで、主演の3人、そのうちの1人に抜擢される。
「映画が放映されると、街を歩いていても声をかけられるんです。女の子から、あんなにモテたのは、あとにも、さきにも、あの時だけですね/笑」。
はっきりいって、「勘違いしていた時もあった」そう。

大学時代に、先輩たちと起業し、カフェをオープン。

平穏な生活がもどってきたのは、いつ頃だろう。高校3年から大学1年までもてはやされたそうだ。むろん、未来日記には、そこまでの人生は書かれていない。
「高校3年の時に、インドに友だちと旅行します。デリーから南下し、ゴアのあたりまで。ええ、1ヵ月5万円くらいで生活できますから、安い旅です。大学生になっても、何度かインドを旅しています。向こうにいる時は、もう2度と来ないと思うのに、また、時間が経てば足が向いてしまうんです」。
旅好きは父親の影響もあるのだろう。大学ではユースホステル研究会なるサークルに入っている。そんな大学時代にも、新たな旅を始めている。
「大学の3〜4年の時です。ゼミのテーマであるマーケティングやプロモーションをリアルに体験してみようってわけで、私たち学生だけでカフェをオープンするんです。これが、なかなか儲からなくって。ほかでバイトして補填するみたいな/笑」。
なんでも、花屋さんから夜だけスペースを借りて運営していたそう。「だいたい家庭のキッチンレベルでしたし、ノウハウもない。だから、当初目的としていたマーケティングやプロモーションを実践するまでにも至りませんでした」。
ただし、何も手に入らなかったわけではない。
「飲食業ってたのしい、そう思ったのはこの時です」。

アサヒで、ノウハウを学ぶ。

合計80社くらい受験し、5社から内定をもらう。そのなかでいちばん給料が高かった「アサヒビール」に就職する。500万円貯まったたら、独立。それが、鶴野氏が書いた「未来日記」である。
「そうですね。アサヒも結構、倍率は高かったはずです。うちの大学からも、その年は、私ともう1人だけですから。」。
最初は、量販店などを担当する東京の部署に配属されたが、上司に相談し、2年目には水戸へ異動させてもらう。飲食店を担当するためだ。
「アサヒに入社したのは、ノウハウを学ぶためですから、仕事は真剣にしました。500万円貯めれば独立ですから、ノウハウも早く貯めないと追いつきません。そして、独立したのが26歳の時。たまたま父親の会社がうまくいかず、父親が自己破産したのもこの時でだったものですから、父親のちからは借りられませんでした。だから、私だけで。ただ、勝算は最初からありました」。
商圏を精査したそうだ。そのうえで、ここなら勝てると弾きだしたのが「川崎」だった。「私がしようと思っていた店がなかったからです」。

鶴野氏だから提供できる「わくわく感」。

現在、鶴野氏は飲食店6店舗、食器店をネットで1店舗運営している。「なっぱjuicy」川崎をはじめ、「なっぱsun」蒲田など。料理はもちろんだが、くつろげる空間もポイントなのだろう。平均滞在時間は、3時間40分だそう。むろん、相当、評判もいい。
「川崎に出店して、それがうまくいったものですから、2年後に2号店を出店しました。それから、今で10年ですから、少しずつ店を増やしていった感じですね。食器店のほうは、私の趣味もかねて、海外で買い付けてきたものや、私自身が古物商の資格を持っていますから、市場で買ってきたものを、こちらでご紹介し、販売させていただいている、といったイメージです」。
名前は「ラクダ印食器店」。かわいい名がついている。鶴野氏のセンスの表れだろう。専用サイトもみてみたが、いい食器が並んでいる。しかも、そう高くない。これは、いい店をみつけた、と思う人も少なくないだろう。
さて、「Picnic with Sugar」の理念は、「わくわくする価値を提供しつづける」である。
小さな時からジャマイカなどを旅するなど、「わくわく」を何度もリアルに体験してきた鶴野氏だから創造できる「わくわく感」を、これからも提供してもらいたいと思った。

思い出のアルバム
 

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