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第651回 株式会社ビープラウド 代表取締役 大山 淳氏
update 18/08/07
株式会社ビープラウド
大山 淳氏
株式会社ビープラウド 代表取締役 大山 淳氏
生年月日 1978年1月13日
プロフィール 大阪の吹田市出身 豊中市育ち。関西大卒。ベンチャー・リンクを経て、独立。移動販売からスタートし、震災を機に、本格的に店を構えた事業をスタート。淡路島産、たまねぎを丸ごと一個、使った「淡路島カレー」を開発。昼・夜の顔をわけた二毛作業態も生みだし、マスコミにも注目されている。
主な業態 「淡路島カレー」
企業HP http://www.beproud.co.jp/

スポーツも、勉学も、よくできる少年、大山。

インド人と日本人のハーフなんだそう。「私がこどもの頃はまだハーフっていうのが珍しくって、イジメに遭ったこともある」と笑う。今回ご登場いただいたのは、「淡路島カレー」で有名な株式会社ビープラウドの代表取締役 大山 淳氏である。
「私は大阪の吹田市で生まれました。育ったのは豊中市です。父親がインド人で、母親が日本人。5つ離れた姉がいます。大山家のはじまりは、父方の祖父が貿易の仕事で来日したのがきっかけです。父親も貿易の仕事をしていましたので、その関係で私もよくアメリカに行っていました」。
もっともそれは、小学6年生までの話。小学6年生の時に父親が亡くなってしまう。「小学生の頃からサッカーをはじめ、中学に上がってからも、サッカーをつづけます。高校は、自宅からそうかからない家チカをキーワードにして選択しました」。「家チカ」。そうはいっても、校名を聞いてわかったのだが、大山氏が進んだのは、関西でも有名な超進学校だった。

アルバイトは、ヨーロッパをめぐるブランドもの、買い付けの旅。

「大学は、『関西大学工学部応用化学学科』に進みました」。なにやらむずかしそうな学科名だ。「進んだのはいいんですが、もっぱらバイトです。工学部ですから、勉強しなくっちゃいけないんですが/笑」。
なんでも、経験したバイト数は、50以上に及ぶそう。なかでも、「ブランド品の買い付けのバイトがいちばん面白かった」と語っている。
話を聞いていると、たしかにわくわくする。
「当時は、今以上にブランドものが高く評価されていて、私の仕事は、そのブランドもののバッグなどの買い付けです」。
およそ2週間、北欧からスタートし、イタリアまで南下。そのなかで、ブランド品を次々、購入していく。「ブランド品は、同じモノを何個も買えないんです。怪しまれるんですね。だから、いろんな方法を考えて」と大山氏。
旅費はもちろん食費もただ。収入はというと「2週間で40万円くらいになった」というからうらやましい。
「ところで、その当時から、起業すると思っていましたか?」。そんな質問を直截にぶつけてみると大山氏は、首を縦に振り、ちから強く答える。「たぶん、父親の背中をみていたからでしょう。それも、大きかったはずです。その一方で、人に使われるサラリーマンにはなりたくなかった。だから、答えは一つです」。
バイトもただ、バイト代確保のためだけではない。目的がある人はつよい。ただ、バイトに精を出しすぎて、卒業まで6年かかっている。

「企業」の二文字にも惹かれ、ベンチャー・リンク入社。

起業という目標を高いレベルで実現するために、就職時に選択したのがコンサルタント会社の「ベンチャー・リンク」。「ベンチャー・リンク」については、改めて言うまでもないが、「サンマルク」や「牛角」などを大企業に育てた会社である。
 「ユニークなビジネスを探し出し、全国的なフランチャイズブランドに育成するのが、ベンチャー・リンクのビジネスモデルです。私は、赤字を抱えたフランチャイズ店をバックアップする部署にいました。勤務期間は、合計7年です」。
様々な経験ができた。聡明な大山氏のことである。フランチャイズビジネスを体験することで、本質を咀嚼し、強みも、弱みもすべて理解したのではないか。少し先走るが、それが今に生きている。
「今だから言えますが、月に480〜500時間はたらいていました。勤務時間だけではありません。担当するのは、50代、60代の経営者です。生活がかかっています。若造の意見なんて、聞いてもくれない人もたしかにいました。だから、なにより結果にこだわりました。信じてもらわないと、サポートもできませんから」。
大山氏は大学卒業するまで6年かかっているから、7年で、30歳。
「そうなんです。30歳までに起業しようと思っていました。もちろん、そう簡単じゃないことはわかっていました。だから、初期投資は少なく。失敗しても大丈夫な額だと。そういう意味では腹をくくっていました」。
独立するにあたって、つい背伸びをして、大金を投じてしまう経営者は少なくない。ただ、リスクはそのぶん、大きくなる。そもそも、起業はギャンブルではあってはならないと思う。そういう意味でいえば、日本はまだそのあたりのセーフティネットが整備されていない。
「ともかく、お金をかけたくないので、スタートしたのは移動販売です」。リスクが少ないため、失敗しても、次のチャンスが残る。「ところで、移動販売って、目立つように車に商品名をバーンと描くでしょ。あれ、なんでかな、って思っていたこともあって、うちのは車体には手を加えず、看板に商品名をドーンと載せました。すると、看板をかえるだけで、いろんな商品を販売できます。今日は暑いからクレープ、今日は寒いからから揚げといった具合です」。
いいアイデアだった。だが、そううまくいかなかったのも事実である。
「私が起業したのが2009年です。この仕事の一方で、ベンチャー・リンク時代からの流れで、コンサルタントをしていました。こちらのフィーで、なんとかトントンといった感じでした」。

移動販売のビジネスを丸裸に。案外、儲からない。

大山氏も、手をこまねいていたわけではない。移動販売のビジネスを丸裸にしていく。「1台あたり、2人のスタッフがいて、オペレーションします。お客様1人あたり、注文からフードをお渡しするまで、おおよそ1分40秒。だいたいお昼の時間帯ですから、1時間ではフル回転しても販売数は、そうのびないんです。だから、儲からない。儲けをだすためには、お客様が列をつくること、それも8人くらいです。そのうえで、お客様1人にかけるオペレーションは40秒内という前提があるのだと知りました」。
知ったというより、分析したと言ったほうが正しいだろう。さすが理系脳である。徐々に売り上げはあがり、少しずつ車両をふやし、8台くらいになった。
「その頃にはギネスビールでつくったアイリッシュカレーがメインです。こちらは、大阪でヒットしていた商品で、たまたまそのお店をやっていた友人から、コンサルの依頼を受け、私たちが東京で販売することになったんです」。
とはいえ、売上には限界があった。コンサルとの二足のわらじも、なかなかぬげなかった。
「一つの転機は震災です。あのとき、今までと違ったものが売れるようになったんですね。ペットボトルの水や、おにぎり。いったい俺たちは今まで何をしていたんだろうかって考えさせられました。そして、移動販売をやめ、店舗の販売に切り替えたんです」。
大胆な戦略転換である。社会とどう関わり、貢献するか。その視点が、大山氏に植え付けられた時でもある。実は、大ヒットメニューの「淡路島カレー」が誕生する背景ともなっている。

オリジナルカレーは、淡路島の農家の方との協業で生まれた。

「それまで、友人の会社からアイリッシュカレーを送ってもらっていたんですが、販売量が増えたこともあって、商品が品不足になってきて、そろそろ自社でつくる計画も進めていました。そして、今回の件で、なにかできないだろうか、という発想のなかで、カレーに必須のたまねぎの産地である『淡路島』の農家の方との協業を考えました。それが、NPO法人淡路島活性化推進委員会とタッグを組むことになった始まりです」。
二毛作というスタイルも取り入れた。
「初めて出店したのは、三越前や六本木なんですが、夜はバーなどを経営されていました。ランチタイムだけお借りすることにしたのです。ええ、そうです。二毛作の始まりです」。
実は、大山氏、本格的にカレーをつくろうと決心した時、全国のカレーショップを観て回っている。「全部で200以上は回ったんじゃないでしょうか。その時々にオーナーさんともお話しさせていただいて、二毛作のアイデアと、そして何よりカレーは2段階に味が変化していることが流行るカレーだってことを知ったんです」。
そして、生まれたのがもう一段階、味を変化させた「淡路島カレー」である。
ちなみに、1食に付、淡路島産玉ねぎを丸ごと1個使用。甘さ・コク・辛さと3段階に変化する味に仕上げた大人向けカレーである。

「地方」と「都市」の協業。

ビープラウドは現在、飲食事業、コンサルティング事業、そして、食品メーカーの顔も持っている。FCを希望されるお店もあるし、淡路島カレーを商品として希望されるお店もある。その数は、200店近くになった。
「実は一度、ベンチャー・リンク時代の知り合いに、この会社をバイアウトしているんです。そう、売却です。次のことにチャレンジしたくて。で、いったん売却して、私はそちらの会社の役員にもなったのですが、昨年、買い戻しました。もう一度、ゼロから構築していかないといけないと思ったからです」。
現在あるFCや取引先を縮小し、100少しにして、中身を充実させていくそう。実は、イオンのフードコーナーでも、いい売上が立っているので、そちらへの出店は進めていくそうである。
つまり、全体を最適化していく計画である。
ホームページの事業内容には、「地都協業事業」とある。これは、地方と都市の協業という意味。その観点からいえば、淡路島カレーは、まだその始まりかもしれない。
「カレー」は強力な武器になる。とはいえ、カレー専門で、大きな規模を持つ会社は少ない。候補を挙げれば、大山氏の会社が筆頭に上がるのではないか。地方と都市とのコラボレーションの進化とともに、そちらにも期待したいところである。

思い出のアルバム
 

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