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第652回 株式会社一期一会 代表取締役社長 本間儀彦氏
update 18/08/14
株式会社一期一会
本間儀彦氏
株式会社一期一会 代表取締役社長 本間儀彦氏
生年月日 1965年2月22日
プロフィール 大学卒後、大手商社に入社。海外赴任などを経験し、退職。様々なオファーを受け、アパレル×Eコマースなどの新たな事業分野を切り開く。やがて、イタリアのバールに惹かれ、日本の文化である「立ち飲み」を世界にも発信すべく、飲食事業を開始。本間氏が仕掛ける「立ち飲み」スタイル×「天麩羅」が、新たな文化を生み出そうとしている。
主な業態 「喜久や」
企業HP http://kikuyajp.com/

就職先は、父親も勤めた「大手商社」。

本間氏が生まれたのは、1965年。前年には東京オリンピックが開催され新幹線も開通している。日本経済が再起動し、ちから強く歩み始めた頃だ。大手商社に勤めていた本間氏の父は、経済の発展の一翼を最前線で担っておられたことだろう。
「私は東京の世田谷に生まれるのですが、小学6年の時に神戸に移り住みます。ええ、父親の転勤です。一時、父親とともにニーヨークで暮らしたこともあるのですが、半年ほどで母と我々、子ども達は帰国しました」。
本間氏は、小学3年からリトルリーグに入団し、野球を始めている。荒木大輔と同い年。もっとも向こうは雲の上の存在である。神戸に引っ越ししてからは、中学でもシニアリーグに入るが、2年の時に退団。中学から私立大学の付属中学に進み、大学までストレートに進学している。ちなみに、私立に進んだ理由は、当時、公立高校はすべて坊主頭だったから。小学6年生にとっては、ヘアスタイルが一大事だったのだろう。
中・高一貫。高校時代には、大学生となった先輩の車に乗り、波乗りやスキーに明け暮れたそうだ。そのまま、大学に進学し、父親も勤めた大手商社に就職する。その一方、父親は本間氏が高校3年の時に独立し、大手商社から離れておられるから、同時に在籍とはいかなかったようだ。

大手商社を退職し、カフェでアルバイトを開始。

「今思えば、アホな理由なんですが」と本間氏。「合コンするとするでしょ。大手商社っていえば、かっこういいじゃないですか」と、就職時の話をして笑う。
中学進学では、「ヘアスタイル」、就職では「合コン」が選択のキーワードとなっている。他人事であれば、何とも馬鹿らしく映るが、実は、時代の先端で仕事をする人には、その手の人が多い。
「そういう狙いもあって、大手商社に入社するのですが、3年目で、海外赴任することになって…。ぜんぜん合コンなんてできなかった。いっしょに酒を飲むのは、商売相手ばかりです/笑」。
毎晩、円卓を囲んで飲む。人と人のつながりが商社にとっては大きな価値なのだろう。美酒と美食を媒介として、話が進み、心がつながる。人を見抜くことに長けた商売相手に、本間氏は試されていったのだろう。たぶん、商売の胆力も鍛えられたはずだ。
「スポーツ・ファッションをメインにする子会社に異動したのは、このままだと何十年も中国にいることになると思ったからです。ええ、それで子会社です。しかし、転籍といっても会社を辞めることが前提でした」。
父親が会社を興していたのも、大胆になれた理由だという。精鋭がそろった父親の会社は、世界中の国にネットワークを張り巡らせていたらしい。
「もっとも、父の会社に就職するつもりはありませんでした。いざとなったら、くらいです」。
実際、本間氏は、退職後、先輩が経営するカフェでアルバイトを始めている。

アパレル×Eコマース。新たな事業を切り開く。

そのカフェにふらりと1人のオーストラリア人がやってきた。大手商社時代の知人である。カフェではたらく本間氏をみて、ゲラゲラ笑ったそう。似合っていなかったのだろうか。
「そのオーストラリア人にスカウトされ、日本法人の立ち上げに参加します。30歳の頃です。当時は、セレクトショップが勃興する頃で、私たちは主にヨーロッパからアパレルや雑貨を輸入し、卸していました。ただ、5年くらいです、つづけたのは。業績は良く、利益も上がっていたんですが解散することになりました」。
「今度は、証券会社の知人に相談され、ある会社の社長になります。ええ、いろんな経験をさせてもらいました。「資金をどう手にするのか」もその一つですし、Eコマースなど、今までとは異なった領域も経験します。ただ、なかなか利益がでなかったのも事実です。同業で、頭一つ抜けたのが『ZOZOTOWN』ですね」。
本間氏の話を聞いて、しくみのすべてを理解できたわけではないが、当時、ファッション・アパレルではSPAが主流となる。昔からの習慣だった委託販売の形式が崩れていった時代でもあったのだろう。
Eコマースは、そのなかで重要な役割を担っていたはずだ。運営会社がディベロッパーとなり、場を提供することでメーカーと消費者がダイレクトにつながる。これによって製造小売業、つまりSAPが成立する。
実は、本間氏は今も残るある百貨店のEコマース事業にも関与している。今考えれば、飲食とはまるで異なる世界で活躍されていたことになるが、本間氏にすれば案外、同じなのかもしれない。

立ち飲みという日本文化の継承と進化と。

「イタリアにいった時、向こうのバールに興味をもって、いつか日本の立ち飲み、ジャパニーズ・スタンディング・バーを開いてもいいかな、なんて思っていたことがあります。あれが、いまの原点といえば原点です」。
とはいえ、すぐに今の飲食事業を興したわけではない。やがて、マーケティングやプロデュース事業を手がけ、様々な事業会社をサポート。芸能プロダクションにも、本間氏のネットワークは広がっている。
ともかく、時代というのをつくりだす人というイメージ。しかし、そんな本間氏がなぜ、立ち飲みなのだろう。バールという言葉に翻訳すればファッショナブルではあるが、やはり、立ち飲みというと「昭和のおやじ」がすぐに頭に浮かんでしまう。
「イタリアにバールがあるように、日本の立ち飲みも日本の文化なんです。ただ、みていただければわかりますが、うちの主要なお客様は女性で、しかも感度が非常に高い女性たちです。彼女たちを惹きつけているのは、カジュアルなスタンディングというスタイルです」。
たしかに、店内は、いわゆる立ち飲みとはまるで違う。スペースこそ、そう広くないが、おしゃれなカフェやレストランといっても違和感はない。提供される「天麩羅」も、むろん立ち飲みや的な、油でベトベトしたものではなく、高級な日本料理店のそれに近い。
<立ち飲みも、本間氏が手がければこうなる>という表現が、本間氏を知っている人にはいちばんわかりやすいのかもしれない。立ち飲みと天麩羅という日本の文化を、従来とは異なるアプローチで見事に融和させている。そういう意味では、斬新かつ、挑戦的な試みだ。
やがて、時代を超え、国境を越え、この新たな日本文化は広がっていくに違いない。

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