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第654回 株式会社アイランズ 代表取締役 塚原和樹氏
update 18/08/28
株式会社アイランズ
塚原和樹氏
株式会社アイランズ 代表取締役 塚原和樹氏
生年月日 1987年4月24日
プロフィール 川崎市生まれ。総合格闘技PRIDEの選手たちに憧れ、高校生になると高田道場に通う。格闘技の本場である北米・南米に憧れ、大学進学後ワーキングホリデービザを取得しカナダ・バンクーバーに渡る。その頃から格闘技熱は、海外熱へと変わり始める。その後大学在籍中に、世界200都市をまわっている。大学卒後は、大手インテリアメーカーに就職したものの、1年半で退職し、自ら貿易会社を設立する。その1年後に飲食事業を開始し、「California Lounge」をオープンしている。
主な業態 「California Lounge」「T8 Steak House」「Beef Bank」
企業HP https://www.islands-jp.com/

格闘技に魅了され。

総合格闘技イベントであるPRIDE(プライド)をみて育ったと、今回ご登場いただいた株式会社アイランズの塚原和樹氏は笑う。高校時代には高田道場に毎日のように通った。高田延彦、桜庭和志といったTVでみたヒーローたちがそこにはいた。 「社会人がたいはん。高校生はわずかでしたが、PRIDEのアマチュア大会にも出場させてもらいました」。格闘技熱が落ち着いた3年後の大学時代。「格闘技は続けるんですが、それ以上に海外というキーワードが私のなかでウエイトが増していったんです」。
きっかけは、ワーキングホリデービザを取得しカナダ・バンクーバーに渡った事だった。格闘技の本場である北米だった事がカナダ・バンクーバーを選択した理由だった。
「向こうでも柔術を学びました。日中は英語を勉強しながら、夜はジムで柔術を学ぶという繰り返しです」。
実は、この時、塚原氏はカナダのテレビやラジオに登場している。「CNNに取材されたんです。有名な詐欺師とたたかう日本人として/笑」。
どういうことだろう。
「何度目かの引っ越しの際に騙されたんですね。それで腹が立って。私自身の被害はわずかだったんですが、相手が、実は有名な詐欺師で。ま、そのおかげでCNNに取り上げられたし、私にとってはラッキーだったかもしれませんね。これで貴重な経験がひとつ増えましたからね/笑」。
バスに揺られ続け、初めてアメリカ大陸を一周したのもこの時期。その後大学3年時に帰国したが、海外熱は加速していく。長期休暇にはバックパッカーとなって、海外を駆けずり回る。「世界200都市は行った」と塚原氏。留学時代に出会った仲間達が、世界中にいたからだ。南米はコロンビア、メキシコ。ヨーロッパならイタリアやフランス、スペインなど世界中を渡り歩いた。
世界は思ったより小さかった。

格闘技と、海外。

塚原氏が生まれたのは1987年。川崎市幸区の出身である。祖父、叔父、父、母と周りの大人は地元に根付いた会社や商店の経営者だったため、自分もいつか起業したいと幼い頃から考えていたという。
「祖父は商店街の会長も務めていました。川崎駅もそうですが、うちの周りもずいぶん変わってしまいました。そんな中で自分を育ててくれた地元に、いつか自分も貢献したい」。
小学生中学生時代は野球。さらに中学では、相撲大会にも出場している。「練習もしないのに、大会でもいい成績を残しました。先生からは、レスリングの強豪校に進めば全国を取れるとさんざん勧められたんですが、結局、都内の私立高校に進みます」。
レスリングじゃなく、総合格闘技に魅了されていたからだろうか。進学したあとは、すでに書いた通りである。

最大手インテリアメーカーに就職、個人売上で全国一位となる。

「幼い頃から起業という思いはあったんです。ただ、革新的で画期的はアイデアがなければ、起業できないと思い込んでいました。今考えれば、現実から逃げていたんだと思います/笑」。
就職先は誰もが知る大企業。「アメリカへの出店などを見据えて、グローバル採用を行っていたんです。海外経験では誰にも負けないと思っていましたが、周りは、海外の大学出身者ばかり。国内組も一流大学出身ばかりです。まさか就職できるとは思っていませんでした」。
塚原氏は国内で奮闘することになる。「最初の配属先は全国2位の売上高を叩き出す大型店。2年目にして家具担当となり個人売上で、その年に全国1位を獲得しました」。
結果で示した。ただし、上司は選べない。「配属時の店長と働いて感じた事。たいしたことない人に、たいしたことないって評価されたのが納得できなかったですね。ダメな上司に自分の人生を左右されるなんて最悪だと思いました。それで、自分の人生これじゃないな、と思って1年半で退職しましたよ」。
思い切ったものだ。
そして、 退職後、さらに思い切った行動にでる。

貿易会社、設立。1年後には飲食事業がスタートする。

なんと、経験もないまま1人で貿易会社を設立したのである。もっとも、海外との距離感は人一倍近い。
「最初に始めたのがスリランカで水揚げされたマグロを電話で買い付けて、2日後には築地でセリにかけて販売できる仕組みを作りました。その後、スリランカから日本では出回らないレベルの高級紅茶を輸入販売を開始しました。アイランズはその時につけた社名です。スリランカ人を雇って現地とのやり取りをしてもらいました」。
飲食事業を開始したのは、設立から1年が経った頃。
「これだけ世界中を周っている中で本場のステーキに出会って、当時は私が現地で感動したようなステーキハウスが日本にほとんど無くて。だからそれを自分でやろうと思っていたんです。さらに家の近くにラウンジがあったらいいな、と。そういう発想で、自分が育った地元に本場のステーキが食べられるラウンジを作りました」。
それが、「California Lounge Grill&Bar」。「鉄板でジュージュー食べるようなモノではなく、肉本来の旨味を味わえる本場のステーキハウス」である。ワインも安くて、旨い。別会社で酒販免許をもっているため、質の高い美味いワインを安く仕入れる事ができるのだという。
それにしても、なんとも大胆な発想である。どこから、その自信はでてくるのだろう。無謀と背中合わせのような気もしなくはないが、なんとも塚原氏らしい。

格闘家がはじめた、新たなたたかい。

2017年に新たに立ち上げた「Beef Bank」。こちらは、塊肉×赤身肉の丼専門店だ。
SNSをみると「肉の絨毯」「肉の花が咲く」といった素敵な表現があった。写真を見ると、なるほどと頷ける。丼を覆い尽くすのは肉肉肉。しかも、巨大な塊肉を長時間かけ低温調理し、肉本来の旨味を閉じ込め、焼き上げたミディアムレアの肉の塊。肉好きにはたまらない店だ。
豪快なビジュアルだけではない。SNSを駆使する戦略も功を奏している。現在、店舗数は7店舗。最新の店舗は、明治通りの路面にオープンした「Beef Bank 渋谷」だ。「Beef Bank 川崎」は4.5坪で月商470万円を叩き出すモンスター店だ。
今後は、「Beef Bank」のFC店を拡大していきたいという。料理自体はシンプルだから、職人いらずである。しかも、10坪前後で出店できるので低投資で、開業できるのがポイントだろう。
塚原氏は、「ガチの料理人はBeef Bankには合わない。仕込みなど作業は極力なくしてしまった」と語っている。提供時は、肉をカットし、丼にならべ、リクエストがあれば炙るだけなので、たしかにオペレーションは極めてシンプル。経験が無い人でも、すぐにオープンできるだろう。
社員やアルバイトの話を聞くと、「いま一番歳上が35歳。19歳が2人いて、残りは30歳前後で、社員は17名。アルバイトは80名です」とのこと。アルバイトは高校生・大学生中心で80名だ。
いつの間にか、彼、彼女たちの未来も背負うことになった。これは経営者にとって重要な、たたかいの一つだ。「一緒に働く社員アルバイトみんなが幸せになれる会社がアイランズです。この仲間たちと共に、今まで通りの勢いで年商10億、20億と増やしていきますよ」。
いろんな意味では、今も塚原氏はたたかっている。目標は高く、守るべきものも年々増えていく。それが尚更、塚原氏を強くしているような気がする。
グローブを置いた、熱いたたかい。今の塚原氏には、ピッタリだ。

思い出のアルバム
思い出のアルバム 思い出のアルバム 思い出のアルバム
貿易会社設立当時
スリランカでの商談
カナダ バンクーバー
スキー場 仕事場
アメリカメキシコを一人旅中に
飛び込みでタコス作りを学ぶ
思い出のアルバム
メキシコのファミリーと送別会    

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