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第66回 有限会社ノン ピウ ファーメ(現株式会社ノンピ) 代表取締役 柿沼寛之氏
update 09/10/06(11/01/20社名変更により改訂)
有限会社ノン ピウ ファーメ
柿沼寛之氏
有限会社ノン ピウ ファーメ(現株式会社ノンピ) 代表取締役 柿沼寛之氏
生年月日 1974年1月24日生まれ。
プロフィール 水瓶座のA型。埼玉県大利根町出身。
役人の祖父を持ち、両親は県庁勤務といった行政一家に生まれる。将来は、政治家と期待されるなかで、レールをひかれることを嫌い、スキーにのめり込む。
大学3年生のときに長女が生まれる。22歳、家族3人でカナダに渡る。
波乱といえば波乱の人生。その波乱と苦労が、柿沼を成長させる。感性も、感覚も超えた商売魂が、彼の一番奥深いところで燃えている。
企業HP http://www.nonpi.com/

「bERGAMO」をプロデュースした、腹ペコ、嫌い

NYスタイルの新しいコンセプトの元に誕生した、パスタとワイン、ビュッフェスタイルでデリが楽しめる、「bERGAMO」をはじめ、カテゴライズされないユニークで斬新な店舗を次々に誕生させてきたのが、(有)ノン ピウ ファーメ、社長の柿沼寛之氏である。2009年7月現在で、9業態、9店舗。それぞれの店舗が、独自の個性に溢れている。
「bERGAMO」のデザインは、「ユナイテッド・アローズ 新丸ビル店」や「クラチカ」などを手掛けたBazik代表の滝沢雄樹氏が担当。レジデンスDJの松浦俊夫氏とのコラボレーションも実現。先進的なイメージと本格的な料理が自由に溶け合う空間を作り出している。
こういう風にいうと、いかにも業界人ぽく、クリエイティブでクールな人間をイメージしがちだが、柿沼社長の場合はちょっと違う。人情家であり、チャーミングな発想ができる遊び心があり、一言でいえば、とっつきやすい人物である。
社名にも柿沼氏の人間性が反映している。
「ノン ピウ ファーメとは、イタリア語で、もう腹ペコにならない!って意味。腹ペコ時代の初心を忘れず進んでいくために、この社名にしたんです」と柿沼社長。
では、その腹ペコ時代も含め、社長のこれまでの軌跡をご紹介しよう。

スキーに明け暮れた日々が一転、1ドル1セントを追いかける日々に

祖父が役人、両親は県庁勤務。行政一家の長男として生まれ、何不自由なく、幼少期を過ごす。小学生から俄然、スキーにはまるなど活発な少年だった。
中学から高校、大学までそのスキーに熱中。大学2年生のときにはプロスキーヤーの資格を取得し、講師ができるまでになっていた。
大学3年、スキーを通して知り合ったいまの奥様との間に、長女が生まれる。
スキーばかりに明け暮れていた青年に、にわかに次のステージが姿を現しはじめたのはこの頃である。
大学卒業後、アパレル副資材を扱うTENTACに入社。評価され、深い感謝をしながらも8カ月で退職。家族でカナダに渡る。
カキ氷の店を開いた。夏までは良かったが冬に失速。生活も急に苦しくなる。「娘に毎日99セントのピザしか食べさせられないほど苦しかった」と振り返る。
ただこのときのひもじさが、それからの糧に。飲食を志したのも「食べるには困らないだろう」という発想から。
帰国後、建築現場の防水工を経て、お台場クロスビートのバーにアルバイト入社。
24歳。気に入った物件のオーナーと共同経営で、初の出店を経験。しかし、オープン初日に、バイクの事故を起こすなどで、結局、単月1200万円の売上を達成するまで相当な時間がかかったようだ。しかし、軌道に乗ると順風満帆。2号店の話もでるようになる。
共同経営者と意見がわかれ、身を引いたときには、1号店は立派な人気店になっていた。

西麻布が出発点。オリジナル業態の始まり

独立。柿沼社長は自身がプロデュースする初の店舗を出店する。28歳。
西麻布。おしゃれなカフェが並ぶエリア。そのなかで、柿沼社長の新店は路地をひとつ入ったところにあった。なかなか客が集まらない。柿沼社長はA型看板を路地の入り口に立てる。 
「西麻布ということもあって、看板を出すお店はなかった。スタッフにも反対された。でも、格好をつけている場合じゃない。このままじゃ食えないんだから」と押し切った。 
一組のご夫婦が来店。犬を連れて来てはだめかとリクエスト。「どうぞ、どうぞ」と。それから看板にもペットOKと書き足す。ペットを抱えた人たちが、次々、来店されるようになる。
「お客様のことをちゃんと見ないといけない」と柿沼社長はいう。
この初代の店舗がさらにブレイクするときにも、お客様を見て、思いついたアイデアがきっかけとなった。
そのアイデアとは、最初からパスタを大盛りにすること。なぜか。女性客といってもちゃんと食べたいときがある。でも、なかなか大盛りとはいえない。
「だから標準サイズを大盛りにしたんです。少し少なくして、これはいいやすいから」、と柿沼社長は女性客の気持ちを代弁する。
「それ以外にも、ジュアルなカフェなのに料理は本格派、このアンバランスというか意外性もウケた」という。多いときには女性客が90%。それに吸い寄せられるように男性客も押し寄せてきた。

柿沼と共に、次の一手を考える人、募集

この店舗の成功が柿沼社長を一躍ヒーローにした。
たしかな自信にもつながった。
「半年はかかる、それまでの運転資金を確保できるかどうか」。出店時の柿沼社長のモノサシはそこ。言い方を替えれば、半年あれば必ず成功させられるという自信の裏返しである。
その後、柿沼は次々に有名店をプロデュースし、前述の通り2009年7月現在で、9業態、9店舗を展開するに至っている。
アイデアや感性、工夫や、発想といった上辺のものだけが柿沼社長の力の源でないことはもうお分かりいただけただろう。言い方を選ばなければ、もっと泥臭い、たとえば絶対に勝つというような、そういう人間臭いパワーが彼の本来の力である。
振り返ると、いつのまにかすべての店舗が有名店と言われるようになる。しかし、これで満足したわけではない。
腹ペコの時代の思いはまだ彼を先へと押し出す。この展開の次はなにか。そろそろ柿沼社長の片腕として、柿沼とともに「(有)ノン ピウ ファーメ」の次の一手を考える人がでてきてもいい頃だ。「(有)ノン ピウ ファーメ」が設立後、初めて、大々的な人材募集を開始する。

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