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第665回 株式会社NATOMICS 取締役社長 関 斉寛氏
update 18/11/13
株式会社NATOMICS
関 斉寛氏
株式会社NATOMICS 取締役社長 関 斉寛氏
生年月日 1984年1月7日
プロフィール 調理師専門学校卒。青山の和食店からスタートし、紹介でプリンスホテルの和食レストランに。ある有名俳優がオーナーを務める料理店で料理長を務める。起業は28歳の時。1号店は世田谷区等々力に出店した「うおいちばん」。2018年現在、個性的な和食店を6店舗展開している。その一方、バングラデシュ大使館で、日本料理の素晴らしさを伝えるなど、「和食文化」の広がりにも貢献している。
主な業態 「せき亭」「魚斉(うおなり)」「うおいちばん」「魚光」「和食や ちそう」「鮨 りんか」
企業HP http://www.natomics2010.com/

チャンネル登録数、1万人オーバー/2018年8月現在

インタビューさせていただいてから、この記事を書くまで1ヵ月程度、空白があった。その間、関氏の動画のチャンネル登録数は1000以上アップし、9月現在、1万人をオーバーしている。
「動画を作成し、アップしたのは2018年からです。実は、昨年、中国の蘇州にある調理師学校にお招きいただいて、その時、動画という手もあるなと思ったのがきっかけ。動画なら何万人もの人を相手にお料理を教えて差し上げられる。その一方で、実は私も楽しんでいるんです。和食の料理人がつくるイタリアンとかね。お店とは違ったアイデアを盛り込んだりして。リクエストも楽しみの一つなんです」。
たしかに、画面に登場する関氏は、楽しくてしかたがないように観えるし、関氏の人間性も、よく表現されている。
「ただ、これでは利益がでないでは?」と貧乏性のこちらは心配になるのだが、「利益じゃないんです。お料理の楽しさをたくさんの人に伝えていきたいんです」と、キラキラした目でいう。たいしたものだ。
今回は、そんなユーチューバー?でもある関氏に話をうかがった。

小学2年、まぐろの漬け丼をふるまう。

父親は、工学博士。人口雪の研究をされていたそうで、現在も大学で教鞭をとられているという。母親は、大手重工メーカーで事務をされていたが、調理師の免許もお持ちだったそうで、関氏も少なからず影響を受けている。
関氏が生まれたのは1984年。小学1年生の時に、厚木から千葉県佐倉市に引っ越している。小学1年生から母の料理の手伝いをし、小学2年生には『まぐろの漬け丼』をつくっていたそう。ともだちが来ると、得意の料理をふるまったというから、筋金入りだ。
スポーツはサッカーにのめり込んだ。スポーツ推薦で高校にも進んでいる。
「でも、高校生になってからは、ぜんぜんサッカーはしなくって。ちょっと悪ぶっていた時代ですね。そっちのほうがもてるかなって/笑」。
軽い気持ちだったのだろうが、一度、悪い方向に進むと、なかなかもとにもどれない。「実は、高校3年になった時には、卒業まで怪しくなって/笑。さすがに焦ります。とにかく『高校だけはでてくれ』と母親に泣かれたこともあって…」。
なんとかしなくっちゃ。ただ選択肢は、そう多くない。
「そのままでは、卒業もできそうになかったもんですから、通信制の『翔洋学園高等学校』に転校しました」。通信制といっても、校舎があった。そちらにも通いつつ、この頃から料理と真剣に向き合いはじめる。

「おいしかったよ」「ごちそうさま」に、魅了されて。

関氏の歩みを伺っていると、まさに「ザ・飲食の戦士」である。
とにかく、料理をはじめた年齢も若く、キャリアも長い。しかも、何より料理が大好き。
料理の前では「無垢」になれる人なのだろう。今日は、どんなふうにお客様が喜んでくださるだろうか。料理をしている間、関氏の頭にあるのは、ただ、それだけのような気がする。
関氏が小学校の頃から友人に料理をふるまっていることはすでに書いた。母親の影響が大きい。
高校1年。サッカーの推薦で高校に進学した関氏だったが、サッカーはそっちのけで、悪ぶるなどしたことも、すでにお話した。ただ、まだお話していないことが一つある。
高校1年からはじめた飲食の仕事である。
「高校1年から、ガソリンスタンドでバイトをはじめるんですが、やっぱりその頃からお料理が好きだったんでしょうね。中華料理店にチェンジして。ハイ、最初はホールでしたが、まかないでチャーハンをつくらせてもらって、それで『キッチンにはいってもいいよ』と。高校3年から通信制の学校に転校したこともあって、べつのお店で仕事をしていたんですが、こちらのお店の店長がお休みの時には、私が臨時で、店長をしていました」。
「おいしかったよ」「ごちそうさま」。料理をつくらせてもらって、そのうえ、感謝も、お金もいただける。こんないい仕事ほかにない。この仕事でやっていこう。
バイトだったが、心は、料理人へ、まっすぐに動きだす。

プリンスホテルにいたスーパーマン。

「通信制の高校に転校してからは、和食居酒屋で、バイトです。客単価6000円くらいですから、それなりにアッパーなお店です。こちらでも、調理をさせてもらって。高校を卒業したあとですか? 就職はまだで、調理師学校に進みます。華調理製菓専門学校です」。
調理師免許と横のつながりが欲しかったそうだ。免許はもちろん、大事なパートナーも手にしている。現、役員とも、その学校で知り合った。
「2年制の学校です。卒業してから青山のお店で修業です。このお店で仕事をはじめたことで、もう一つの私の人生が幕開けます」。
どういうことだろう?
「いままでとはちがう、料理の世界ですね。新たなドアを開いてくれたのは、いまもアニキと慕う先輩です。とにかく、かっこよくって。そのアニキから、『もっと大舞台で勝負しろ』って言われて、紹介してもらったのがプリンスホテルの和食レストランでした。そして、このレストランで、もう一人の恩師に出会うんです」。
関氏、曰く。スーパーマンだった、そう。
「お料理もそうですが、私に、人的な意味で奥行きをもたせてくれた、人間性も最高の人でした。もちろん、きびしいんですが、それだけじゃない。もう、その方、一筋でした/笑」。
矢野さんというらしい。「矢野さんのために尽くした」と関氏はいう。むろん、盲目的ではなかった。ほかの先輩にもいいたいことは、ストレートに言い放った。「ぼくのほうが巧いんで」。
「そりゃ、生意気ですから、殴られもしました。でも、ヤンチャしていた時に、殴られるのは慣れていますからね。1発や2発じゃ、ぜんぜんビビリません/笑」。

カウンター越しのキャッチボール。

「心底、この人だ」と思った人には、心を開き、従う。むろん、吠えるだけの奴は、相手もしない。「プリンスホテルで仕事をしているうちに、もう一度、青山のお店にいた時の先輩から声がかかるんです」。
誘われたのは、ある有名俳優がオーナーを務めるお店だった。
「カウンター越しにお客様と向き合って料理をつくるもんですから、いままでとはぜんぜん風景が違います。黙々と、というわけにもいきません。ただ、そういう世界で学んでみたかったのも、事実です。でもね。最初は緊張しちゃって。お客さんを前にすると言葉が出てこないんです/笑」。
いまの関氏からは想像できない。「それで、しゃべりが巧い人の、そうですね。話し方から、何から、ぜんぶ真似て。そうしたら、お客さんの反応が、悪くなくって」。
元々、話好きなほうだ。麻布十番という立地もあって、芸能人もたくさんいらした。あるシンガーソングライターとは、歳がちかいこともあって仲良くなった。彼女が「おいしい」というたびに、心踊ったことだろう。そうやって、さらに料理人、関氏は、世界を広め、ますます料理が好きになっていく。

28歳、1号店オープン。

「そのあと、二子玉川で、和食のお店を任せていただくお話をいただき、それがきっかけで、その会社で割と長く勤め、最終的には事業部長になりました。ハイ、独立したのは、そのあとです」。
28歳の時だったそう。
若いオーナーシェフが、きさくに話かけてくる。料理もとびきり旨い。そんな店だ。
「1号店は<等々力「うおいちばん」>です。ご家族で楽しんでいただけるような、お店です。2号店は、29歳の時にオープンした<自由が丘「魚斉(うおなり)」>。それ以降、およそ1年に1店舗ずつ出店してきました。31歳の時に二子玉川に「せき亭」。32歳の時は、上野毛の「魚光」です。そして」。
そういって取材時に訪れた店の店内を見渡し、「自由が丘にオープンしたこの『和食や ちそう』です」。
それぞれの店が異なるコンセプトで運営されている。すべて関氏が考え、内装デザインまで、関氏が主導しているというから、かなりマルチでクリエイティブな人でもある。
「この店は、本格和食をカジュアルに楽しむことができるのがコンセプトです。単価が1万2000円〜2万円なので、少し年配の方や、サラリーマンの接待などにも利用いただいています」とのこと。
とにかく、「だし」にこだわっているそうである。「だし」が、店のいのち。その潔い発想が、たのしい。
更に、取材が終わり、このインタビューが掲載されるまでにも、新店がオープンしている。8月8日に自由が丘にオープンした≪鮨 「りんか」≫である。
コンセプトは、≪鮨と日本酒。〜ひとつまみの幸せ〜≫である。

ビジネスを広げれば、もっと料理は楽しくなる。

「10坪9席。スタッフは2.5人。鮨と日本酒のお店です。インスタ映えもします。丼だって、世界に一つしかない器で行きますから」。
すでにオープンしているので、今更だが、ホームページでも確認して欲しい。
「感度の高い女子の心もくすぐる」と関氏はいうが、その通りだろう。
「ぜったい『写真撮っていいですか?』って聞いてくださると思うんです/笑」。
なるほど。オープン後の写真を観ていると、その言葉につい頷いてしまう。
「『いいですか?』って、もちろんOKです。で、撮影が終わって、一口、口にすると…『めちゃめちゃ旨いやん!』ってなって」。
そう言いながら、黄色い歓声を聴いたかのように目を細める。ちなみに、いちばん高い夜のコースでも7000円とリーズナブルである。しかも、お昼なら1000円でもいただける。
「一口、口にしたあとの、めちゃめちゃ旨いやん! ええ、これが、ひとつまみの幸せなんです」。
そういう時の関氏には、料理人が好きでたまらないと表情が浮かぶ。言い換えれば、料理で勝負する、料理人の矜持がそういう表情をつくらせるのかもしれない。
しかし、その一方で、名経営者の一面も覗かせるから、関氏という人は、とことん奥が深い。
「実は、ハワイのホノルルにも出店計画があるんです。ある方がいっしょに『やろう』とおっしゃっていただいて」。まさに、いろんな切り口をもつ経営者だ。
料理人であり、クリエイターであり、経営者でもある。
ただ、新たなことをする、と言って笑う表情にも、「やはり、飲食が好き」と書いてある。そこがいい。

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