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第669回 株式会社サニーワークス 代表取締役 横須賀 健氏
update 18/12/11
株式会社サニーワークス
横須賀 健氏
株式会社サニーワークス 代表取締役 横須賀 健氏
生年月日 1970年3月22日
プロフィール 辻調理師専門学校、日本校・フランス校卒。有名なフレンチレストランを渡り歩く。ホールに異動し、マネージャーにも昇格。横田基地内のレストラン5店舗の統括マネージャーを経て、33歳で独立する。
主な業態 「くにたち桜花」「ごじんか」「TRENO NOTTE」「Cafe Treno Notte」「Cantallo」他
企業HP https://sunny-works.jp/

1970年、生まれ。

ホームページをみると「養蜂」という二文字が現れる。つまり、蜜蜂を飼っているということ。蜜蜂を飼う「さくらんぼ農園」は、南アルプスの櫛形山の麓にあるそうだ。
もうひとつ「自然農」という話も登場する。<当社が運営している飲食店では、「自然農」という農法を採り入れている「NPO法人ここかまど」が作るお野菜を積極的に使用している>とある。「自然農」の説明もあって、こちらは、有機栽培や、無農薬とはまったくことなり、「農薬不使用」というそうだ。育てているのは、障がい者たち。しかし、その野菜はちから強く、旨い。
さて、今回、ご登場いただいた横須賀氏は、このホームページの主、サニーワークスの代表取締役であり、むろん創業者である。生年月日は1970年。何度も取り上げたが、飲食の近代化という意味でキーとなるのが、この1970年だ。出身は、東京都国分寺。父親はサラリーマンで、母親は小学校の先生。
「小学校の頃は遊んでばかりで」と横須賀氏。5年生の時に、神奈川県に引っ越している。
「不良ばかりだった」というのは、中学校の話。1年生の時はサッカーを。2年になってふたたび国分寺に移るのだが、こちらでは陸上を始めている。

バイク、大破。

高校に進学して、ふたたびサッカーに復帰するが、熱心な選手ではなかったようだ。進学先、東村山の高校。「禁止されていたんですが、バイク通学をしていました」。
バイク通学?
「ええ、当時は、峠を攻めるのが大好きでした」。
400CCの中型バイクを駆って、峠を攻める。
風といっしょに、景色が流れる。ブレーキをかけず、シフトダウンで減速し、コーナーに突入する。車体を限界まで倒すから、道路にキスするかのようにちかづく。
「チラっと車が視界に入って」と横須賀氏。
単騎で攻めていた時だそう。軽く踏んだつもりのブレーキで、車体がすべりだす。幸い、怪我はなかったが、学校にはすっかりバレた。
「もう、バカですよね。幸い、停学でもなく、謹慎で済んだのに、謹慎中に、今度はたばこがバレて/笑」。ちなみに、たばこの刑が加算され、謹慎は4ヵ月にも及んだそうだ。
「昔から、群れるというより1人ですね。単車は、大破するんですが、3年生の頃にまた欲しくなって、それで、資金のためにアルバイトを始めます。バイトが禁止だったのか、どうか。いまになっちゃわかんないですね/笑」。

進学先は、辻調理師専門学校。

大学進学も計画した。だが、受験しても通りそうにない。しかも、バイトがある。
「はじめて飲食店でバイトをするんですが、けっこう楽しかったんです。いま思えば、飲食の道に入ったきっかけですね。とくに先輩の料理する姿を観て、恰好いいな、と」。
それで、調理師学校?
「そうですね。進学したのは、大阪・あべのにある『辻調理師専門学校』です。でも、こういっちゃ怒られますが、ぜんぜん勉強しません。だいたい動機が不純というか。う〜ん。それより、『鶴橋』っていう焼肉の町でバイトをしたほうが、断然、楽しく、勉強にもなりました」。
5階建ての焼肉店だったそう。スタッフは全員、韓国人。ちなみに、鶴橋は駅を降りると、焼肉の匂いがする。焼肉の名店が背中合わせでズラリと並ぶ、焼肉好きには、たまらない町である。
「実は、フランス学校にも留学するんです。ええ、フランスです。半年ですが。でも、向こうでもぜんぜん、勉強はしなかったですね/笑」。
ぜんぜん優等生じゃなかったそう。とはいえ、卒業すれば、免許は取れる。ただ、免許があるからと言って仕事ができるわけではない。性根からたたき直さないといけない生徒もいたはずだ。横須賀氏がそうだとは言わないが。

キッチンからホールへ。

ともかく、半年の留学を終了し、無事、卒業した横須賀氏は、三笠会館」に就職し、フレンチの料理人として、華々しいスタートを切る。「ミュージアム 1999 ロアラブッシュ」「レストランサバス青山」と渡り歩く。こう書くと恰好いいが、実は、つづかなかっただけ。
「たいへんだし、殴られるし/笑」。
「国立の『ル・ヴァン・ド・ヴェール』に転職してからですね」と横須賀氏。
「渋谷や青山の有名店にいたもんですから、みんなが『すげぇな』ってもちあげてくれて。そりゃ、悪い気分はしないですよね。ええ、こちらは10年です」。
心境の変化があったのだろうか?
「ええ、最初は料理で入ったんですが、社長から、ホールをやってみないかって言われたんですね。最初は、『なんだよ、それ』って思っていたんですが、ホールのほうが、ぜんぜん楽しくて/笑」。
なんだか、やる気がでる。「食材」より、「人」に向き合うほうが性に合っていたのかもしれない。たしかに、キッチンからスタートし、ホールで仕事にのめり込んだ、という経営者は少なくない。
ただ、もう一つ、10年の間にわかったことがある。

目から鱗。異なる世界を観たものは何か。

「その会社の社長から、お話をいただいたのは2年くらいした時ですね。福生の横田基地に店があって、そちらの店にマネージャーとして行かないかというお話でした。私のターニングポイントを挙げるなら、間違いなく、この時ですね」。
横田は、むろん、米軍が駐留する基地だ。はたらく日本人も少なくないが、暮らしているのは米国人である。「もう、目から鱗っていうのでしょうか。人生が、ぜんぶかわったっていってもいいと思う」。
人種も様々。言葉も入り乱れる。それでも、星条旗の下に一つになっている。「こちらで、5店舗を出店するんですが、その統括マネージャーです」。
勉強もしたが、チャレンジもした。基地内を移動するコーヒーショップをつくった。黄色いバス停が、目印。「これが、バカうけ」と横須賀氏。毎年開催される「フレンドシップデー」には20万人が参加する。横須賀氏が統括する店は、2日で1000万円をたたきだした。
「もう、世界がちがいます」。
ただ、独立という思いも、くすぶりつづける。
「部下が先に独立して、それで、ふんぎりがついたっていうか/笑」。
社長に話すと、国立にあった店を200万円で譲渡してくれた。それが「くにたち桜花」。独立時は、久々に横須賀氏がキッチンに立ち、奥様と妹さんが、参加してくれたそう。横須賀氏、33歳。2004年がスタートライン。

一次産業へ。新たな始まり。

2018年、現在、創業して14年が経つ。一つひとつの店のコンセプトが異なり、それぞれが魅力的だ。現在、9店舗あるが、うち4店舗は公共施設に入っている。なかなか黒字化しにくいと言われるなかで、4店舗とも高い売り上げを叩き出し、モデル店にもなっているそうだ。 これが、横須賀氏のちからだろう。
その一方で、冒頭でも触れたが一次産業にも手を広げている。
なんでも横須賀氏自身、狩猟もするそうだ。ほかにも11月、12月には、伊豆大島に渡り、焼酎造りもする。焼酎蔵「御神火(ごじんか)」の谷口酒造は、伊豆大島唯一の焼酎造である。こちらを手伝っている。
「飲食は、人に任せて、私自身はいま一次産業のほうに注力しています。そうですね。こちらも、飲食とおなじように楽しいですが、楽しいばかりじゃいけない。ちゃんと利益もだすようにしていかないといけませんから」。
そう言って笑う横須賀氏の表情は、晴れ晴れとしている。
単騎で峠を攻めてから、もうすぐ30年。
まだ、横須賀氏は、好きなことを追いかけている。

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