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第671回 株式会社てりとりー 代表取締役 福本浩幸氏
update 18/12/18
株式会社てりとりー
福本浩幸氏
株式会社てりとりー 代表取締役 福本浩幸氏
生年月日 1981年12月4日
プロフィール 大阪府堺市出身。神戸大学卒。宝酒造に就職。5年後、退職。2010年10月10日。ゴロがいい、とこの日を開業日と定め、逆算し、1年半、飲食店で修業。晴れて、大阪市北区堂山にオープンした1号店は、7ヵ月後から損益分岐点を超え、その勢いで、2号店も出店。国内3号店を出店する前に、早くもシンガポールにも合弁会社を立ち上げ出店するなど、大胆な戦略を打つ。現在は国内に注力し、沖縄料理のほか、日本酒ブームを先駆けなるなど、斬新な店舗を含め、8店舗を展開している。
主な業態 「てりとりー」「エビス」「沖縄食堂ハイサイ」「梅田チューハイ35」
企業HP http://territory.okinawa/

負けるが、勝ち。

祖父は「雀荘」を経営していた。祖父の背中をみて、育った。今回、ご登場いただいた株式会社てりとりーの代表取締役、福本浩幸氏の話である。
「両親は公務員ですから、どちらかというと、私は祖父に影響されているかもしれませんね。何しろ80歳まで仕事をしていましたから。そういう意味でも尊敬します」。
だからと言って、子どもの頃は、起業なんてことは考えなかった。
もっぱら、人生は野球。
「小学生の頃から野球です。正確には9歳から、27歳の社会人野球まで」。小・中の時には、チームは、大会で好成績を収めた。
「じつは、中学で私は補欠です。それが、ある意味、すべての始まりというか」と福本氏。とんでもなく、悔しかった。27歳まで野球をつづけた理由だともいう。
いや、それだけではない。どうすれば、いいか。ゴールから逆算して、プロセスを組み立てるという、戦略的な思考と手法を、この時、編み出している。
「そうですね。抜け道が好きで、抜け道を探すのも好きなタイプなんです。いまあるものじゃなく、潜在的なものを掘り起こすような」。
抜け道ではないが、大学進学もオリジナルの戦略で、見事、突破している。進学先は神戸大学。こっそり、その方法を聞いてみた。「秘策でもなんでもないんですが」と笑いながら教えてくれる。
「野球部の受験勉強は、3年の夏以降です。そこからが本番。進学するなら野球部があって強い、筑波か、横浜国立か、神戸か、だったんですが、神戸がちかいでしょ。だから、神戸だと。でも、そう簡単ではないですよね。で、計画を立て、後期試験に絞り込んですべてを賭けるんです。後期は、倍率は高いですが、センター試験の成績と実技だけなんです。私の場合は野球と小論文。こいつに賭けて、勝負です」。
なるほど。取捨選択とでもいうのだろうか。それにしても、この一連の話が、中学時代の補欠の話から始まっているのが凄い。ともかく、「負けるが、勝ち」。一度の負けから、福本氏は多くのことを学んでいる。

起業をめざし、酒造メーカーへ。

大学でも野球をつづけた。プロに進みたかったが、ドラフトのハードルはさすがに高い。ともかく、就職。起業をめざし、「某ビールメーカー」に就職する、そんなプランだった。
ところが、「某ビールメーカー」は最終面接で、まさかの不合格。「最終面接のために東京まで行って。大阪での面接で偉い人とビアガーデンで固く握手したはずなのに。なんでなんですかね/笑」。
それで、「宝酒造」?
「そうです。こちらで5年ですね。体育会系だし、背も声もでかいし、同期のなかではけっこう数字もいいほうだったと思います」。
担当していたのは、業務用酒販店。もちろん、その先の飲食店もフォローしていたそう。独立志向が刺激されないわけがない。
「ですね。私は、宝酒造を退職してから、1年半修業するんですが、うち1年修業させていただいたのは、当時、担当していたお客様です」。
「じつは、いまうちは沖縄料理がメインなんですが、その源流も、このお店なんです。夏だけですが、沖縄フェアみたいなことをされていたんですね。それをみて、『オレも沖縄だ』って」。
なんでも、福本氏は、沖縄出身でもなんでもないらしい。
ところで、仕事の一方で、福本氏は、社会人野球もマジメに取り組んでいる。しかも、23〜27歳まではチームのキャプテンだった。その話も少し。

飲食を超えて行け

「社会人チームでキャプテンになりました。大学でも副キャプテンだったんですが、社会人チームとなると、やっぱりぜんぜん違います。年齢だってバラバラだし、バックグラウンドが異なります。しかも、上手下手もある/笑」。
大学では右向け、右でよかった。でも、そうならない。だから目標を設定した。
「京セラドームで行われる日本選手権出場」。
目標を立てればいい、と思っていたが、メンバーは動かない。どうすればいい。ゴールは設定したし、プロセスも立てたが、メンバーが動かない。
「そりゃそうですよね。じぶんじゃない人を動かすのに、いくら戦略を立てたって無駄だったんです。だから、みんなを試合が行われる、『京セラドーム』に連れていったりしてね。『ここで、プレーしたない?』『プロといっしょのグラウンドやで』。そういいながら、みんなにゴールをイメージしてもらったんですね。『京セラでプレーしたい』⇒『だから、勝ちたい』。心を動かすことはこういうことだったんですね。このクラブチームで、キャプテンを務めたことで、その意味を知りました。ハイ、今でも生きています」。
「飲食を超えて行け」。
話は飛ぶが、いま、福本氏は、スタッフにそう語っているそうだ。
「それも、一つのゴールだと思うんです。飲食ではたらいているのは、だいたい中卒や高卒の人たちです。それがいけないというのではないですが、中卒や高卒だからって、限界を決めてしまって欲しくないんです。給料だってそうです。飲食だから、いい給料をもらえへんと…。だから、いま私は『飲食を超えて行け』ってみんなに言っているんです」。
その先になにがあるか。いくつかの指標はあるが、福本氏もすべてを知るわけではない。

南の島酒場 てりとりー、オープン。

1年半の修業を終えた福本氏は、大阪梅田に「南の島酒場 てりとりー<沖縄にある海辺の酒場>」を出店する。それが2010年10月10日のこと。
翌年8月には早くも2号店を出店。そして、2012年から2年間はシンガポールで暮らす。合弁で、シンガポールに出店したからだ。
現地では、日本の有名な飲食店の経営者と酒を酌み交わした。「シンガポールはちっちゃいですからね。びっくりするような、人ともお会いしました」。
それも財産になっているが、なかでも、投資銀行に勤めておられた投資家との出合いは、鮮烈だったし、もっとも大きな財産になったと言える。
「その方も野球が好きで、慶應大学の野球部出身です。ある日、向こうの原っぱで、2人でキャッチボールをしていたんですね。そしたら、キミいい球投げるなぁ。金かしてやるよ』って/笑」。
「ほんとに、ありがたかったですね。資金は何より欲しかったですから、ありがたかったし、じつは、それ以上に、様々な経営指南をしてくださったんです。そりゃ、世界最高峰の投資銀行にいらした方です」。
その投資家からも1200万円の融資をうけ、2013年に3号店を出店。こちらが、一つの起爆剤となって、基礎が固まっていく。
「3号店は、まだ私はシンガポールで暮らしている時に出店します。一時帰国した時に、いい物件があったので。ハイ、それが大阪駅前第一ビルの『沖縄キッチン てりとりー』です。もっとも、こちらもいきなりではなく、少しずつ売り上げがアップしていくんですが…」。
ちなみに、いまや大阪駅前ビルは、様々な飲食店が入り、のんべぇの聖地にも数え上げられるようになっている。「そうですね。タイミング的にもよかったですね。うちの店も、どんどん売り上げがアップしていきます」。
それからも出店を重ね、現在は8店舗となっている。

飲食の価値とは。その価値を高めるためには。

経営で大事にしていることも伺った。
「そうですね。私の場合、従業員がお客さんという考え方です。ESがあって、CSだって発想です。だから、月1回、みんなで飲み会を開催したり、3ヵ月に一度イベント開いたり、アルバイトさんともできるだけ心を開いて接してもらえるような工夫をしています。そして、何より、みんなには『飲食を超えて行け』っていう難しいボールを投げ、それをいっしょにキャッチしようとしています」。
そのうえで「いま、いろんなことを計画している」という。
「ともかく、生産性を上げていかなくっちゃいけない。これが課題だと思っています」。
その手段と方法は、どうやら、「沖縄」がキーワードになるようだ。「Eコマースや、沖縄の情報発信ですね」と福本氏。実は、昨年も年10回。今年もすでに8回、沖縄に飛んでいる。構想をかたちにするためだろう。
「飲食を超えること」をゴールに設定したことで、手段の模索が始まる。そこから、どうやって超えればいいかという方法と手段が生まれる。
さて、今度の福本流の戦略は、どんな結果を見せてくれるだろか。ひょっとしたら、私たちが思いもつかない方法と手段で、いまの飲食の価値をずっと、もっと高めてくれるかもしれない。
それが、楽しみだ。

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