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第679回 株式会社遊ダイニングプロジェクト 代表取締役 和田成司氏
update 19/02/05
株式会社遊ダイニングプロジェクト
和田成司氏
株式会社遊ダイニングプロジェクト 代表取締役 和田成司氏
生年月日 1982年12月13日
プロフィール 千葉県野田市出身。専門学校卒。焼肉屋「鳴尾」で修業し、27歳で独立。4号店目で、現在のスタイルを築く。角ハイボール50円など激安ドリンク・フードが特徴の「居酒屋それゆけ!鶏ヤロー」を展開するセンベロ飲食店の代表選手。経営理念は、「WINWINを注ぐ」。
主な業態 「居酒屋それゆけ!鶏ヤロー」「イタリアン290円酒場」「居酒屋それゆけ!鮭ヤロー」他
企業HP https://www.yuudining.com/

激安、ハイボール。

角ハイボール50円、サワー、カクテル、焼酎99円、生ビール280円。生ビール280円は聞いたことがあるし、飲んだこともあるが、角ハイボール50円は飲んだこともないし、初めて聞いた価格である。
ついでにいえば、同社は加盟店を募集しているが、加盟金50円。誤植ではない。正確に書いて「50円」。ついでに言えば、ロイヤリティも50円。
この型破りな店を展開しているのが、和田成司氏。1982年生まれの敏腕経営者だ。
「高校まではずっと地元で育ちます。高校1年から3年まで焼肉屋でバイトをしていて、その時にバイト仲間だった親友と『いっしょに焼肉屋をやろう』って語り合っていました。でも、その親友は、バイクで遊んでいる時に亡くなってしまうんです」。 数週間はなにもできなかったそう。
「でも、涙が乾いてきた時に、改めて誓うんです。約束だから。そう、約束だから、私1人になっても焼肉屋をしようと。そして、いつも笑っているような、楽しい社長になろうって」。

200万円貯めて、独立。

高校を卒業した和田氏は、調理の専門学校に進む。むろん、焼肉屋を開業するためだ。そちらの学校を卒業してからは、いよいよ実践。有名な焼肉店「鳴尾」に就職する。
「私は21歳で結婚するんですが、その頃から現実的に独立をめざすようになります。同期には、『子どもがいるんだから独立なんて無理』って言われるんですが、社長の佐藤さんからは、逆に『だからこそやれ!おまえみたいなアホが成功したら他の人達の夢になる!』って激励していただきました。ええ、社長は、私にとって師匠の一人です」。
6年間、在籍した。
「鳴尾の佐藤社長は、きびしさのなかにも、やさしさがある人です。そうですね。ずっと、本を読めと言われていました。気づきや学びも、社長から教わったことです」。
日雇いのバイトもして、200万円を貯めた。そして、独立。

全くうまくいかず。

「独立して、もちろん焼肉屋をはじめます。親友との約束をようやく果たすことができたわけですが…」。1店舗目はそこそこ、うまくいったものの、亀有に2号店を出店するが、こちらは全くうまくいかず、3か月で撤退。
「3店舗目に居酒屋業態を立ち上げるのですが、こちらも、あきらかに失敗。さらに同時期に350万円、横領されてしまいます。とにかく、生活もギリギリです。独立してからはうちにもなかなか帰れなかった。でも、奥さんは何一つ文句をいいませんでした。いまあるのは彼女のおかげです。ええ、感謝しています」。
チャンスは、ふいにやってきた。
「知り合いの肉屋が経営していた居酒屋を辞めるから、『どうだ』って話をふってくれたんです。松原団地駅近くにある100席のお店でした。もちろん、新たに出店するといっても資金はカツカツです。だから、ホームセンターで資材を購入し、看板も拡大コピーしてつくりました」。
拡大コピーした用紙を両面テープで貼り付けながら、広いフロアを見渡して、「1度でいいから満席にしてみたい」とつぶやいた。
たしかに、100席が満席になれば、和田氏の人生、初の快挙だ。

満席。笑顔の華が咲く。

角ハイボール50円、サワー、カクテル、焼酎99円。
このインパクトはでかい。ともかく、勝負の4号店だ。コケるわけにはいかなかった。
しかし…。
「オープンは2月4日です。その日は、朝からまさかの雪でした」。
降りつづける雪をみて、「ついていない人生だ」と肩を落とす。ところが、女神は雲の合間から微笑む。なんとオープン前の16時30分には行列ができたのだ。
「でも、今度はそれが問題でした。想定をはるかに超えるお客様がおいでくださったもんですから、容量オーバーです。それで、オペレーションがパンクです」。
なんと、初日に「満席」という願いはかなったが、パンクし、18時30分には店を閉めざるをえなかった。「もう、お代をいただけるような状況でもなかったので、お代も受け取りませんでした。でも、それがよかったのかどうかわかりませんが、客足は衰えず、オープンから3週間経った2月28日に、月次を〆ると、たった3週間で700万円を売り上げていたんです。その頃、会社員時代に一緒に焼肉屋で仕事をしていた邨井さんと、そのお店の隣の車屋さんだった近藤さんが当社に加わっていたのが大きかったです。みるみる内にオペレーションは改善され高利益体質の店舗と変わって行きました。『腹の底から自分一人では何も出来ない。仲間が居るからこそ夢は叶う』と思いました」。
この店が今のスタイルをつくりあげるきっかけとなる。
 ちなみに、社名の「遊ダイニング」は、亡くなった親友の名がつけられている。「『ゆうた』っていうんです。『ゆうた』の『た』を『だ』にして、ゆうダイニング。いっしょに今もやっています」。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム1 思い出のアルバム1
ゆうたさんと 焼肉屋アルバイト時代 焼肉屋会社員時代
思い出のアルバム1
1号店目オープン    
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