年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
第680回 松葉屋株式会社 代表取締役 宮南 譲氏
update 19/02/05
松葉屋株式会社
宮南 譲氏
松葉屋株式会社 代表取締役 宮南 譲氏
生年月日 1971年12月21日
プロフィール 東京都世田谷生まれ。慶應義塾大学法学部卒。老舗企業「松葉屋」の長女と結婚。跡取り息子として「松葉屋」に入社。会社がのちに民事再生を受けるなど、辛酸を舐めつつも、「松葉屋」のDNAを継承。平成26年、現職に就任。
主な業態 「松葉屋」
企業HP http://www.matsubaya.co.jp/

東大へ行け。

父の指令はまんざら無理難題ではなかった。「父は、教育熱心な人で、私は小学生の頃から塾通いを始めます。中学の時は、めざせ、東大です」。
そう言って笑うのは、料亭「松葉屋 赤坂本店」などを運営する老舗企業、松葉屋株式会社の代表取締役、宮南譲氏だ。
「小学校の頃はスポーツ中心で、野球やサッカーをしていたのですが、事故で足を骨折してしまってサッカーができなくなり、勉強の虫になりました。中学では、足が治り、サッカーを再開。東大をめざしつつ、スポーツでも手を抜きませんでした」。
文武両道?
「そうですね。才能があるというより、努力家だったと思います」。
高校は、慶應義塾大学の付属に進む。
「父に、『大学は医学部に入れ』とハッパをかけられ、高校1年の時は、かなり猛勉強するんですが…、さすがに、レベルが高く、白旗を上げるんです」。
「どうしても無理と父に伝え、あきらめてもらった」と笑う。
医学部に行くには、10段階評価で8.5以上が必要だったが、どうしても、とどかなかったらしい。2年から方向転換し、文系へ転じる。

あと2日休んだら…。

「1年からラクロス部に入っていたんですが、1年の時は勉強中心でした。でも、文系に移った2年からは、だんだんウエイトがラクロスよりになって/笑」。
授業にも顔をださなくなり、「あと2日休んだら、会議にかける」と通達までされている。それもあって、3年に進学する時にはラクロス部を辞め、改めて勉強中心の日々を送った。
「成績は、悪くはなかったですね。大学進学時には、高校の成績でどの学部に行くか決まるんですが、私は文系であれば、どこでも行けるような成績でしたから」。
もちろん、内部進学での話である。ここでも実は、父の助言を無視している。
「父からは経済学部へと言われていたんですが、進んだのは法学部でした。最初は弁護士をめざしたんですが、難しすぎて断念です」。
案外、結論を早く出すタイプだ。
ただ、次の目標はなかなか諦められなかった。
その目標は、パイロット。

セスナからジャンボへ。ただ、結局、セスナにも乗れず。

「大学2年の頃ですね。先輩に影響されて、パイロットをめざします。でも、JALやANAなどを受けるんですが、全敗。普通なら、もう断念しちゃうわけですが、父に相談して2年間アメリカの航空専門学校に進むことになります。セスナからジャンボへ。そういう段取りでした」。
なるほど。それで、アメリカへ?
「そうです。でも、進んだのは、ビジネススクールです」。
「多少わけがあった」と宮南氏。
要約すると、こうだ。当時付き合っていた彼女が反対する。アメリカに行くなら「籍だけ」でもとなる。それまでは、彼女の父親が何をしているか知らなかった。むろん、松葉屋の娘だとも知らない。
「むこうは娘3人です。彼女は長女。つまり、私は、跡取り婿の候補だったわけです。だから、アメリカくんだりまで行くのなら、『その前に籍を』ということでした」。
跡取り、つまり養子という話である。宮南氏は、両親と相談し、籍を入れた。アメリカの2年間は許されたが、「松葉屋」の跡取りに、パイロットの免許はいらない。だから、ビジネススクールに進んだ。彼女、つまり、奥様といっしょに渡米する。
その2年後、帰国した宮南氏は、次代の店主候補として、義理の父母が待つ「松葉屋」に就職。結局、セスナには乗れず仕舞いである。

転職と民事再生。

「最盛期には、23店舗あり、売上高は22億円ありました。松葉屋は、もともと大阪で味噌をつくっていた会社なんです。戦後、松茸の佃煮をつくるようになります。これが、いまの原型ですね。昭和51年に東京に来て、赤坂に料亭である『松葉屋』を出店しました。その一方で、主要な百貨店に進出していきます。ただ、平成15年にうちの会社は、民事再生を申請しているんです」。
驚く話が、突然、飛び出す。民事再生ですか?
「そうなんです。たしかに、社内にもギスギスした感じがなかったわけじゃないんですが。民事再生を申請するとは、思ってもいなかったですね」。
大阪に所有していた土地にビルを建てた時の借り入れが、引き金になったそう。
「最終的には、銀行の貸しはがしでした。目黒にあった豪邸も取られ、私たちは、両親と離れ、家族5人、7.5畳のアパートに引っ越しました。テレビも2〜3年なかった。ええ、長女なんかは、もう大きかったもんですから、あの時は、あの時で楽しかったね、なんていまになって偉そうにいうんです」。
このアパートでの暮らしは、8年間つづいたそう。
「ただ、民事再生を申請したものの、本業は悪くなかった。それが、あったので、なんとか乗り切れたんだと思います」。
そして、平成24年。すべてを、完済する。
「じつは、民事再生を申請する少し前、私は会社を離れているんです。跡取りでしょ。周りも、甘いわけです。だから、一度、外に出て厳しさを体験しなければと思って。ハイ、嫁も、義理の両親も了解してくれました」。
転職したのは、ITのベンチャー企業。
なんと、この会社で宮南氏は役員までになっている。

空を飛ばないパイロット。

「義理の父が亡くなり、義理の母が会社を引き継ぎました。そのタイミングで、私も会社にもどります。それからは、主に工場でものづくりです。それを経験して、平成26年に社長に就任しました」。
売上は下がっている?
「そうですね。いまは最盛期から比べて半分くらいです。地方では、百貨店さんが閉店されるところもでてきていますから、店舗数はまだ減るかもしれません。これは、仕方ないことです。甘んじて受け入れるしかない」。
ただ、じり貧というわけではない。むろん、かわる、いいチャンスだ。
「赤坂本店をはじめ、好調な店は当然、残します。その一方で、じつは、カジュアルな路線もつくれないかと模索しているんです」。
カジュアル?
「そうです。いままで松葉屋の商品といったら、高級品です。お値段もそれなりです。でも、それだけじゃ、いまからは難しい。それで、始めるのがコンビニエンスストアで販売する商品の監修です」。
これは、うれしい。
コンビニで、「松葉屋」が監修した商品を購入できる。いうならば、コンビニが小さな料亭になるわけだ。「そう、おっしゃっていただくと嬉しいですね。いまは監修ですが、もう少し先には、監修ではなく、直接、私たちの商品を卸していこうかと計画しています」。
大胆な発想の転換である。果たして、どうなるか。「松葉屋」という老舗企業を操縦する、パイロット、宮南氏の腕が試されるところでもある。

思い出のアルバム
 
ご登録はこちら

この企業にご興味のある方は、下記フォームよりご登録下さい。
求人情報が出次第、お知らせします。

ご登録はこちら