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第686回 株式会社修三グループ(卓球酒場ぽん蔵) 代表取締役 中川修三氏
update 19/02/26
株式会社修三グループ
中川修三氏
株式会社修三グループ(卓球酒場ぽん蔵) 代表取締役 中川修三氏
生年月日 1975年4月19日
プロフィール 東京都杉並区西荻窪出身。高校卒業後、大手企業のグループ会社に就職。同時にサッカーのクラブチームに所属し、プレイ。その一方で、少年たちを指導し、指導者としての片りんもうかがわせるようになる。以来、サラリーマンをつづけながら、指導者としても地位を上げていくが、30歳の時に、指導により一層のちからを注ぐため、独立開業の道を選択する。それが、1号店である「卓球酒場」のはじまり。
主な業態 「卓球酒場」
企業HP http://ponzo.jp/

卓球が楽しめる、大人のあそび場。

スポーツBARは聞いたことがあるが、「卓球酒場」というのは、はじめて耳にした。とはいえ、調べてみると、すでに都内に5店舗あり、なかなかの人気ぶり。創業者は、1975年生まれの、中川 修三氏。今回、ご登場いただいた飲食の戦士である。
「30歳の時に、諸事情があって創業しました。私もスポーツ、特にサッカーが大好きだし、当時、スポーツBARが流行っていたんで、最初は、うちも『それでいくか』と思っていたんですが、ふと、『試合のない時はどうすんだよ』ってなって。それで、『じゃ、みんなが楽しめるのがいいじゃん』と卓球に落ち着いたんです」。
ソファーもゆったり。大人のあそび場がコンセプト。卓球だけではなく、ダーツや、TVゲームも楽しめる。もちろん、カウンターでじっくりお酒を楽しむのもありだ。
業態がユニークだからだろう。TVなどマスコミにも取り上げられている。業績も、むろん、悪くない。特に、今はアルバイトの採用も困難な時代だが、「サッカーつながりで、来てくれる」と中川氏はいう。
サッカーつながり?
「ええ、そうなんです」。
そこから今回のインタビューは、はじまった。

巨大なキーパー誕生。

中川氏が生まれたのは、1975年4月19日。出身は、杉並区西荻窪である。母方はもともと東京だが、父方は愛媛県の宇和島市だという。
「修三っていうのは、3人きょうだいの3番目だからです」。
この3人目の息子は、子どもの頃からデカかった。「いま182センチです。小学校の頃から160センチ以上あったんじゃなかったかな。もともと親父の影響で柔道をしていたんですが、小学4年の時、サッカー漫画を観て、サッカーに憧れて。ハイ、からだがデカかったので、キーパーです」。
キーパー。相手チームにとっては、巨大なカベだったことだろう。
「中学校でも、サッカーはつづけますが、ちょっと外れた道にも進んで。正直にいうと高校にも進学せず、就職したかったんです、親父も、大工で、職人でしょ。それにも影響されたのかもしれません」。
勉強がきらい。それも進学したくなかった理由である。
「そうですね。ぜんぜん、勉強しなかったですね。ただ、母に『せめて、高校は』と言われて…」。それで、高校に進学。卒業後は、東京電力のグループ会社に就職する。

社会人と、コーチと。

「そちらの会社には、合計12年、勤務するんですが、いい会社でしたね。高卒にもかかわらず、ずいぶん高く評価もしていただきました。私は、どちらかというと、社会人になってから本格的にサッカーをはじめるんですが、その点にも理解がありました」。
社会人になってから、本格的に?
「そうですね。社会人のチームでプレイするようになって。そこで、中学の教師と知り合いになり、ご縁をいただいて、中学生を指導するようになったんです」。
指導?
「そう、指導です。コーチングですね。このあと私は、都立高校のコーチなどを歴任します」。
実は、中川氏。東京電力のグループ会社に勤めていた時、労務を担当したことがある。そこで、「生涯年収を知り、愕然とした」そうだ。それも、間違いなく退職の引き金の一つ。しかし、インタビューで話を聞いている限り、お金には、あまり関心がないように思うのだが、どうなんだろう? 「お金」より、よっぽど「サッカーの指導」のほうが大事な人のように思える。

昼間はコーチに専念できるように…、卓球酒場オープン?

「在職中も、コーチはつづけていました。最初は言った通り、中学生相手です。当時、私も20歳だったので、歳がちかいからでしょう。私が、練習に顔をだすと、『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って子どもたちが寄ってくるんです。そりゃ、楽しいですよね」。
中学時代、暴れもしたが、デカくても心優しいのが中川氏という人の本性だ。「28歳から32歳まで、都立高校の監督をするんですが、最初の2年間はサラリーマンをしながら。ただ、そうすると土日だけなんですね。だから、だんだんストレスが溜まってきて/笑」。
なんと、それで、退職。独立し、西荻窪に「卓球酒場」1号店をオープンする。
「独立っていう意味では、軽いですよね。父親からも、なんで安定した会社を辞めるんだと、ぶっ叩かれました。でも、そうしないと土日だけしか練習をみてやれない。私にとっては大問題だったんです」。
なるほど、思いはわからなくはない。しかし、独立すれば、それこそ、サッカーどころの話ではなくなる、のではないか。そんな心配はしなかったのだろうか。

サッカーのコーチと、経営者と。

最終的なことをいうと、心配はしなかったし、していても、無駄だった。大人のあそび場として「卓球酒場」は、すぐに認知され、業績もいい具合にアップする。出店もトントン拍子に進んだ。現在も好調で、具体的には言えないが、次の展開も進んでいる。
コーチのほうも評価が高く、2018年11月、現在は杉並高校でコーチしているそう。数年前までは、東京の街クラブユースのトップ『FCトリプレッタ ユース』でもコーチを務めていた。クラブチームでは練習が遅くから始まるので、店の仕事と時間的に重なった。それでも1年半は、つづけたそう。
「さすがに、きつかったですね。平日でも昼間、練習に参加できるように起業したわけですが、クラブチームですから練習時間も長くて、そのぶん、こっちの仕事の時間が減ってしまう。さすがに、あかんだろうと/笑」。
「つづけられなかった」と、悔しそうに笑う。
その表情からも、いかにサッカーの指導が楽しみかわかる。やはり、クラブチームとなれば、指導する方も花形なのだろう。
サッカーのコーチと二足のわらじ。中川氏にとっては、それが、ここちいい。
ところで、最初のほうで、<アルバイトの採用も困難だが、「サッカーつながりで、来てくれる」と中川氏はいう。>と書いたが、これは、教え子のこと。そのつながりも、またいい。中川氏が子どもたちから慕われ、愛されていることもよくわかる。

思い出のアルバム
 
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