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第688回 アイエムエムフードサービス株式会社 代表取締役社長 河村征治氏
update 19/03/05
アイエムエムフードサービス株式会社
河村征治氏
アイエムエムフードサービス株式会社 代表取締役社長 河村征治氏
生年月日 1977年
プロフィール 石川県金沢市出身。高校卒。進学校だったが、大学には進まず、料理人になるべく、フランスに渡る。帰国後、東京・四ツ谷のフレンチレストラン「北島亭」で、本格的に修業を開始。その後渡仏、フランスでの修業を経て、都内でアイスクリーム製造卸事業を開業する。縁あって大手商社でコンサルティング開始するとともに、グローバルダイニングに就職。のちに副社長に就任する。スピンアウトしたのは、2011年。金沢市にハンバーガーショップをオープンする。当初は苦戦の連続だったが、新業態を開発し、事業を軌道に乗せる。
主な業態 「YAUMAY 丘如春」「LEMONADE by Lemonica」「金沢回転寿司 輝らり」「オー!マイステーキ」「オリーブオイルキッチン」他
企業HP http://immfoodservice.com/

高校1年生、ロスに渡る。

「高校の時から、飲食店をしたいと思っていた」と、今回ご登場いただいた河村征治氏は語る。「実をいうと、『起業する』ことがまず先にあって、業種については『これだ』というものがなかったんです。いくつもある選択肢のなかから飲食業を選んだのは、店内に1-2時間滞在してもらえるレストランであれば差別化できると思ったからです」。
高校生で、この発想。できるもんじゃない。できたとしても「手っ取り早いから」となるのではないか。
高校1年の冬休み。ともだちと2人で出かけたアメリカ・ロサンゼルスの1週間の旅が、何かしらの化学反応を起こしたのだろうか。
「そうですね。なんとなくですがサラリーマンになりたくないと思ったのは事実ですね」。
河村氏は、1977年、石川県金沢市に生まれる。3人きょうだいの長男である。父親はNTT、母親は銀行に勤めておられた。「子どもの頃から要領がいいほうでした。下に弟と妹がいたこともあって/笑。家族で、登山やスキーにでかけました。学校の成績は中の上って奴ですね」。
河村氏の実家は、金沢駅から10分の立地。中学は8クラスあり、ともだちに影響を受けてバスケットボール部に入部している。
「高校も10クラス。こちらは、進学校です。バスケットボールはつづけるんですが、2年の時に退部します。だんだん音楽に惹かれ、バンドを組み、私は主にギター担当していました」。
「ただ」と河村氏、実は演奏よりも、ライブを企画運営するほうが楽しかったそう。当時から、経営者的なことに興味があったのかもしれない。

じゃ、フランスに行くか。

「高校3年生の夏休み、もう1回、アメリカに渡ります。今度は1ヵ月の短期留学です。高校は進学校だったんですが、進学は考えず、卒業後もまたアメリカに向かいました/笑」。
3週間に亘り、カリフォルニアやマイアミを旅したそうだ。アメリカは、河村氏に何を教えてくれたのだろう。
「日本とアメリカ、意外に近いと感じはじめていました。高校卒業後は先ずフランスに渡るんですが、料理でナンバー1はフランス料理と思っていたので、じゃぁ、フランスに行くかと」。
3ヵ月、語学学校に通い食べ歩き。「そうです。その時に、まだ修業中の下村浩司さん(現・「エディション・コウジシモムラ」オーナーシェフ)にお会いし、アドバイスをいただきます。『東京なら、このレストランがいいよ』と6店舗挙げてくださって、私自身も帰国後に食べ歩き、四ツ谷にある北島亭の門を叩きます」。
叩くというのは、文字通り、4回門を叩いて、最後に開いたという意味。つまり、3回、面接で落ちた。「やっぱり、北島亭がいちばんだったんです。だから、落ちても、ほかで、という選択肢はなかったんです」。
「北島亭」については、いうまでもないだろう。「当時からナンバー1でしたね」と河村氏。それだけ著名なフレンチレストランだ。その後「当時、2番手だった先輩が、知り合いの店を立ち上げるというので、ついていきました。」。

料理人、河村。経営者を目指す。

河村氏の人生において、「北島亭」に就職した意味合いは大きい。仕事のベースは、いまも、すべて「北島亭流」だからだ。高校を卒業してから25歳まで、24時間、365日、頭を占めるのは「料理」の二文字だった。
日本での修業を終え、ふたたびヨーロッパへ。フランスで修業し、帰国。グローバルダイニング等レストランで働く一方で、アイスクリーム製造卸事業を開業している。
「アイスクリーム事業は、仲間4人とはじめます。アイスクリームが評価されて、都内のカフェに卸したりイベントを行ったり。ただ、経営者としての、私のちからがなく解散することになりました。あの時、職人ではだめだ。経営者にならなければ仲間を守れないとそう思ったんです」。
その後、河村氏は、縁あって、大手商社にて商品開発のコンサルタントをはじめる。
「数社のコンサルを勤めた後、グローバルダイニングに正社員として入社しました」。このグローバルダイニングで、副社長にまで上り詰めている。この一つの事実からも河村氏の力量がわかるというものだ。
そこを辞めて、金沢ですか?
「ええ、33歳のときに独立します。『東京で』とは考えなかったですね。あの頃、頭にあったのは地方発でブランドをつくるということでした、それで、故郷の金沢をスタートの場所に選びました」。

2011年、ハンバーガーショップ5店舗出店。全店閉店。

まさか、苦戦するとは思ってもいなかっただろう。
「金沢で最初にオープンしたのはハンバーガーショップです。2011年です。当時はデフレ真っ最中だったこともあって、日常的に利用できる、ハンバーガーショップを開いたんです」。
カジュアルな価格帯でのターゲット設定をおこなった。「100店舗くらいはと、そろばんを弾いていました。それが、間違いだったかもしれません」。セントラルキッチンをコアに、周辺にまず10店舗という構想だったらしい。
「5店舗出店するんですが…」と河村氏。「お客様は、たくさんいらしてくださったんです。当初は1日600〜700人です。しかし、出店を重ねると、自社で食い合いが起こるんです」。
2年で、2億ちかい累損。3年目に、全店クローズを決断。今度は、店舗数が減っていく。「3年目にすべて切り替えました。守りに入らずに、東京にも進出して、金沢には新たに地中海レストランを出店して。それで、だんだん。ハイ、4年目、5年目の2年で内部留保できるまでに」。
挫折?
「挫折とは思っていなかったですね。ピンチも楽しめるタイプなんだと知りました。とはいえ、正直、やばかったのは事実ですね。支払いも、毎月数百万円。お金は一切ない/笑」。
改めて何がいけなかったんだろう。
「戦略が間違っていたのは、事実ですね。そもそも、金沢って、人口45万人の町ですから。あれ以来、それぞれの街にフィットしたブランドをオープンすることを心がけています」。
ピンチを脱した河村氏は、徐々に攻勢をかける。
2015年に初の和業態「七十二」を富山、金沢、幕張と連続オープン。続いて「金沢回転寿司 輝らり」を金沢、高崎そして八王子に大型店として三店舗。本格ミクソロジーのバー業態「THE STATION BAR MIXOLOGY」、そして2018年には、東京・丸の内に点心専門店「YAUMAY」をハイエンドディナーレストランとして118席の大型オープン。スピンアウト業態レモネードbyレモニカはFCで一気に20店舗まで拡大(2019年2月見込) 同時にECネット販売の「森山ナポリ」は自社ドメインサイトとして異例の会員数4万人を突破している。累損、2億円弱からの大逆転。食を中心に今度は世界を舞台に新たな挑戦が始まっている。

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