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第691回 バッカーナ株式会社 代表取締役 佐藤尚之氏
update 19/03/19
バッカーナ株式会社
佐藤尚之氏
バッカーナ株式会社 代表取締役 佐藤尚之氏
生年月日 1959年10月17日
プロフィール 宮城県仙台市出身。東北大学卒。大洋漁業(現マルハニチロ)に就職。札幌支社の営業部に配属される。全国トップの売上の伸び率を記録し、東京の販売促進・マーケティングの営業部に異動。子会社に移り、伝説のレストラン「マンボウズ」にもかかわり、のちに日本初のシュラスコレストラン「バッカーナ」にもかかわり、30歳で、子会社の代表を務める。35歳、同社を退職し、中国にシュラスコレストランを現地企業と合弁で出店する。2011年、バッカーナ株式会社を設立。現在、シュラスコレストラン3店舗、中華レストラン2店舗を出店している。
主な業態 「シュラスカリア バッカーナ」「青山シャンウェイ」
企業HP https://bacana-ginza.com/

東北大学卒、研究者、希望。

もはや説明するまでもないが、シュラスコはブラジルを代表する料理のスタイルだ。いうならば、ブラジリアン・バーベキューである。今回は、このシュラスコの仕掛け人でもあるバッカーナ株式会社の代表取締役、佐藤尚之氏に話を伺った。
佐藤氏が生まれたのは、1959年。宮城県仙台市、出身である。
10番、50〜100番、260番。失礼だが、小・中・高と成績を並べてみた。「そうですね、小学校ではクラスで10番くらいだったのが、中学になると350人中50〜100番。高校になると、なんというか270人中、260番くらいで/笑」と佐藤氏。
1人っ子というのも影響しているのだろか。子どもの頃から人見知りで、人と関わらない仕事に就きたいと思っていた。「昔はね。松島の種牡蠣の会社に就職するつもりでいました。ま、大洋漁業(現マルハニチロ。以降、本文ではマルハで進める)に就職するのですから、なんとなく共通項がありますが/笑」。
高校では、後ろから数えたほうが圧倒的に早い成績だった佐藤氏だが、1年浪人して「東北大学」に進んでいる。「あの時は、人生でいちばん勉強しましたね。東北大学の水産学科と青学の理工学部に合格。東北大学を選択し、水産を学ぶ道に進みます」。将来は研究員。寡黙な佐藤氏にピッタリの仕事だ。
その道をまっすぐ歩いて、マルハに就職?
「そうですね。マルハとニッスイを受けて、先に内定をいただいたのがマルハだった。それだけの理由です。マルハを選択したのは。私にすれば、研究できればいいわけですから」。
東北大学からマルハへ。希望通りの進路だった。しかし、人生はわからない。

なんで、あの人いるの?

「いうまでもなく、研究所、希望です。でも、実際に配属されたのは、北海道支社。ハイ、営業です/笑」。人と関わらないどころか、関わる密度で言えば、いちばんの営業職。
「仕事は缶詰の営業です。函館や小樽の問屋を回るんですが、ぜんぜん相手にされません。やることはないんですが、オフィスには東大出身のとんでもなく、おっかない上司がいて、帰ることもできない。『なんでニッスイじゃなく、マルハを選択してしまったんだろう』ってね」。
むろん、会社の評価もけっして高くはなかった。ところが、あるお客様をきっかけに大逆転劇が始まる。
「ある問屋さんです。さっきも言ったように帰社するのが怖いから、ある問屋さんに伺った時、黙って居座りつづけたんです。相手にされないのに、いつまでも座っているもんだから、だんだん『なんでいるの? あの人』みたいな空気になって、気味悪がられるわけですよ。こっちはもう、ちから尽きているだけなんですが、結果として、それが大逆転のきっかけになりました」。
仕事ができないから無視してもずっといる→だから、プレッシャーを感じる→いつもいてかわいそうたからマルハのものを売ってやろう。公式にすれば、こうなる。おなじ戦法で、いくつもの問屋と取引がスタートする。
「それから、前年比全国1位になるまで、爆走です。同エリアの売上高は前年比で400%くらいアップしました」。4倍。とんでもない数字だ。そうなると社内の評価も、うなぎのぼり。4年後には、東京の本社管理部門を経由し販売促進・マーケティングの営業部に異動することになる。むろん、栄転だ。

マルハ、退職。すでに、飲食の戦士。

のちに佐藤氏は、マルハの関連会社の代表になる。レストラン「マンボウズ」や「バッカーナ」をオープンした会社だ。「これも縁ですね。マンボウズは伝説的なレストランの一つで、当時は芸能人もたくさんいらっしゃいました。ただ、私が引き継いだ時にはブームが過ぎ、経営を管理する人がおらず、クローズすることになります。そのあとに開店直後に引き受ける事になったのが、シュラスコのレストラン『バッカーナ』です。私が飲食に引きずり込まれたレストランです/笑。私は、こちらで代表に就任しています」。
研究職が希望だった佐藤氏がいつのまにかレストラン事業の代表になっている。人の人生はわからないと言ったのは、そのためだ。そのうえ、佐藤氏は、35歳の時に同社を退社。独自に中国でもシュラスコを流行らせようと奔走する。いったん向かった先は、未知なる飲食の世界でもあった。
「でも、時間がかかりすぎて、合弁のパートナーに売却します。今も、その時のパートナーとは付き合いをしていますが、3年後くらいからだんだんと人気になり、今や中国に6店舗以上出店する人気店だそうです。最初に出店したのは上海だったんですが、当時は、上海でもまだ牛肉文化がなかったんでしょうね。だから、流行るのに時間がかかった。中国では多くの人にまねされ、一時中国全土で100店舗を超えたそうです」。
「それで、私自身はやることもないから、日本にもどってフードライターなどをして糊口をしのぎます。ええ、この頃にはフードは私の一つのアイデンティティになっていました。ポルトガル料理、スペイン料理、イタリア料理店を経営する傍ら外部コンサルを2年間務めたのも、その証でしょう。このあと、とある会社の社長に声をかけていただいて『シュラスコ』のブランドをいっしょに手がけます」。
いよいよ独立にちかづく。
「そして、2011年、こちらもある方と縁をいただき、バッカーナを設立し、銀座に『バッカーナ』をスタートします」。むろん、日本のシュラスコの、パイオニアのレストランである。
「そうですね。私たちがシュラスコ料理をはじめたのは、1991年です。Jリーグが、スタートするなりして、タイミングもばっちりですね。ブラジル出身のJリーガーもいらしてくださいましたし。え、いまは? ですか?」
今、シュラスコ料理はどうなんだろう?

バッカーナを継ぐ、人材。

今やすっかり定着したイメージのシュラスコ料理である。
「差別化で大事なのは、やはりクオリティですね。ありがたいことにうちの3店舗は、3店舗とも高い評価いただいています。うち1店舗は東京ではなく、福岡なんですが、こちらも絶好調です。そういう意味では、まだまだ先があるブランドではないでしょうか。ただ、今はスタッフなどの、人的の問題で頭を悩ませています」。
人気店だからの悩みだろう。高いクオリティを維持するには、質のたかい人材がいる。
「人材という意味では、新ブランドである鉄板中華『青山シャンウェイ』も同様です。こちらも、お客様に高く評価いただいき、業績はいいんですが、そのぶん、料理人が不足がちなんです」。
休日も月8日〜10日ある。むろん、給料ほかの条件も悪くない。それでも、人不足は顕著だ。
「待遇などは悪くないはずなんですが、それでも採用は難しいですね。ただ、うちだけじゃないんでしょうし…」。口調はあくまで、穏やかだ。人柄が声のトーンにも表れている。ただ、そうはいっても、飲食の戦士である。熱い思いがあるに違いない。
「そうですね。まだまだかもしれませんね。もっとビジネスとして広がってもいい。言いかえるなら進化したシュラスコを開発する』『シュラスコ以外の業態も拡げていく』ということ。青山シャンウェイはその第1弾…」。「未知なる業態を開発する」。そんな人材が待たれているのだろう。
むろん、「バッカーナ」という会社を継ぐ人材に違いない。

思い出のアルバム
 
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