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第692回 株式会社アホウプロジェクト 代表取締役 泉川武士氏
update 19/03/19
株式会社アホウプロジェクト
泉川武士氏
株式会社アホウプロジェクト 代表取締役 泉川武士氏
生年月日 1983年12月13日
プロフィール 兵庫県西宮市出身。父は建築業、母は専業主婦、妹が2人いる。京都精華大学卒。卒業後、飲食店に就職。半年で店長になるなど、すぐに頭角を現す。5年勤務したあと、28歳で、焼き鳥一番のFC店として独立。30歳の時にオリジナル1号店「炭火焼鳥アホウどり」を出店。京都の飲食店を中心に、社会貢献活動を行う京都つばす会の会長に2019年4月から就任。京都の飲食業界の次世代をリードしそうな敏腕経営者である。
主な業態 「京都炭火焼鳥 アホウどり」
企業HP https://ahou.co.jp/

アホウの一歩。

アホウである。関西弁でグレードアップさせるとド・アホウとなる。社長の泉川氏も、ホームページのなかで<あつかましい程のドアホウを!>と謳っている。つぎの一文が素敵だ。「悲しい時 嫌なことがあった時 不安になった時 立ち止まりたくなった時 遊びに来て下さい!」。そう、ド・アホウは揺るぎないアホウさでお客様を元気にするちからを持っている。
今回は、その素敵なド・アホウにスポットをあててみた。
アホウ、代表の泉川氏は、1983 年、兵庫県西宮市に生まれる。小学生時代から、明るくて、おちゃめな少年だった。
「きっかけは1年生の時ですね。それまでは内気な少年だったのですがお楽しみ会で相方のコウジくんと漫才をしたのがウケて…。そう、あれからですね。人が楽しんでくれることに喜びを感じる、アホウになったのは/笑」。
学生時代は、ひたすらバレーボールに打ち込んだ。むろん、ムードメーカーという役割は、忘れていなかった。「副キャプテンです。あの頃は『声を出すチームが勝つ』っていう不思議な持論をもっていたんで、オリジナルの掛け声をつくったりしていました」。
ムードメーカー。昔からそうだった。泉川氏がいたチームは、明るくて、げんき。そのチームにいまの源流をみることができる。
「とくに行きたい学校もなかったので、1年間、東京で充電します(新聞配達をしていたそう)。その時、京都精華大学を知って、京都へ向かいます」。京都精華大学。調べてみると、マンガやアニメーションという学科もある、面白い大学だった。
「この時、焼き鳥店でバイトをしたのが、飲食に入るきっかけです。カウンターから見えた景色は今も忘れられない。
みんながとても幸せそうに見えたんです。あー、幸せやなぁって」。
実際、大学を卒業して、やりたいことをやり尽くしたあとに、京都の焼肉店に就職している。泉川氏と、飲食が、共鳴する。
「半年で店長になりました。当時の最速記録です」と胸をはる。
「そうですね。結果的には5年勤めました。当時は『日本一の焼肉屋にしたい』とまっすぐに思っていたんですが、・・・ここで、歴史が動くんです」。

涙のなかで、歴史が、動く。

なにがきっかけになるか、わからない。「歴史が動くのは、28歳の時です」。泉川氏は、言葉を区切る。
「実は、結婚が決まっていたんです。式の日取りも決まり、招待状を送り、それがもどってくる頃です。みんな『喜んで、参加します』みたいなコメントを書いて祝福してくれる、その最中、彼女の浮気を知るんです。それでも最初はもう1ヵ月だし、みんなも喜んでくれているから式だけでもと思ったんですが、両親から『先のほうがもっと長い』って言われて…」。
お母さまは、親戚に頭を下げ、泣いておられたそうである。泉川氏も、ともだちを無くしてしまうかもしれないという恐怖と闘いながら1人1人に事情を話し、頭を下げた。「みんな、口々に『そうか』って。せっかく予定もあけてくれていたのに、文句も一つ言わない。もう感謝ですよね」。
でも、それだけじゃなかった。
だれが言い出したのか、結婚式の告別式をすることになった。「そんなん聞いたことありますか?どうせ、時間を空けていたんやからって。パーティに来る予定のともだちが、みんな、みんなあつまってくれて。ぼくは、結婚式に着る予定だったスーツで遺影を持って登場させられて。もう最低で最高でしょ。うれしくてね。みんな喪服なんです。横断幕は、『泉川武士君の結婚式の告別式』。もう、みんなが、爆笑してくれて」。
オレもアホウ。でも、みんなもアホウや。でも、そのアホウさが、涙がでるほど、ありがたかった。
「あの時ですね。歴史がちゃんと動いたのは」。
アホウになって、人を救う。それが、泉川氏のその後のテーマになった。冒頭に書いた素敵な一文は、その表れ。ともかく、起業、独立だ。

アホウの道が、始まる。

「学生時代にバイトをしていた『焼き鳥店』のFCからスタートしました。プログラム通り3ヵ月で独立します。河原町今出川のバス停前で立地も悪くない。朝4時まで営業していたこともあってライバル店も少なく、オープンからいいスタートです」。FCのなかでも群を抜く成績を残す。
「メンバーも、昔バイトしていた時の仲間が来てくれて。ハイ、爆発したと言ってもいいと思います」。店は、いうまでもなく、明るく、げんき。アホウは、全開である。
「スタートしてどれくらい経った時か、お客さんから、自分のお店は作らないの?と言われることが多くなって。それで、オリジナル店舗で独立を現実として考えた途端、あっという間に縁もあって『アホウどり一号店』をオープンします」。
いつか来るべき日に備えて貯めていたノートいっぱいのネタ帳には店名の「アホウどり」は、すでにあった。「こちらのお店も3日で絶対いける!と思いました。普段からポジティブなんですが、これは確信ですね。絶対、いける、と」。
岡山から、姫路から、昔のバレーボール部の後輩たちが、アホウな店づくりに参戦するため京都にきてくれた。現、ロッキーと生徒会長(スタッフはニックネームで呼んでいる)である。
同じころ、現ナンバー2も参戦する。「週5日のペースで店に来て、毎回5000円くらい使うような子だったんです。大学の後輩だという事も分かりプライベートでも会うようになって。そうですね。どれくらい経った頃かな。『もうお金がない』っていうんです。で、つづけて『だから、取り返しに行きます』って。ハイ、うちではたらくって意味ですね。あ、もちろん、充分取り返してくれています」。

アホウプロジェクト第1章、完。

最近も、心から嬉しい事があった。高校生の時からアルバイトをしてくれていた女の子が20歳で就職したいと言ってくれたのだ。「このご時世に、若い女の子が社員になってくれた。しかも今では店長です。それが、アホウどり第一章のエンディングかな」と現在4店舗を経営する泉川氏はいう。もう、多くのスタッフが、愛すべきアホウになっている。それが、嬉しい。
悲しい時 嫌なことがあった時 不安になった時 立ち止まりたくなった時、「アホウどり」のドアを開ければいい。
愛すべき、アホウの道が始まる。

ちなみに、泉川氏はブログで、わざわざ今回のインタビューにふれてくれている。
「小学校時代のお楽しみ会で脚本を書いて、生まれてはじめてのボケをした瞬間のこと。18歳やりたいこともなかったので、とりあえず日本の首都を見ようと、ひとりで東京に行き、新聞配達をしていたこと。そんな話をするとは思ってもいなかった」、と。ド・アホウは、こんな気遣いもできる人だった。
最大の気遣いは本気の発表会や働くスタッフが主役の写真展等を開き、スタッフ一人一人が輝ける場を用意している。
全国から集まる選りすぐりのアホウを待っているそうだ。

『飲食店で働きたいからアホウどりで働く』ではなく『アホウどりで働きたいから飲食店で働く』
飲食店の可能性の限界に挑む泉川氏。まだ誰も見たことのないワクワクする未来へ誘う。

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