株式会社シーウェイズ Syway's Inc. 代表取締役 山本駿介氏 | |
生年月日 | 1970年7月28日 |
プロフィール | 高校を卒業してすぐ、実家の「酒屋」を手伝い始める。祖父・祖母の代からつづく酒屋だったが、コンビニエンスストアに。「牛角」をはじめ、飲食店のフランチャイズで業績を拡大。「牛角」でつくるオーナー会では主要なメンバーを務める。人脈が広く、感性が鋭い敏腕オーナー。 |
主な業態 | 「牛角」「串カツ田中」「ダンダダン酒場」「煮ジル」 |
企業HP | http://syways.jp/ |
代々つづく酒屋だったそう。昭和7年、祖父が西荻窪で創業。昭和17年に上井草に2号店をオープンする。当然、当時はまだ「酒税免許」が宝物だった時。「創業から言えば、だいだいいまで76年です」と、今回、ご登場いただいた山本氏は呟く。山本氏は、その酒屋の次男。しかし、昔から兄ではなく、次男の山本氏が3代目と決まっていたそうだ。父親が、祖父や祖母から事業を継承したように、山本氏もいずれ継ぐものだと思っていた様子である。
「小学校ですか?そうですね。活発な少年でしたね。リトルリーグで野球をしていました。野球は中学に進学してからも、シニアリーグに進んでつづけたんですが、じつは1年間で辞めてしまいます。それからは帰宅部です/笑」。
「中学3年からは、自宅ちかくの喫茶店でアルバイトを始めます。親が知り合いで、『山本君だったらいいよ』って。高校生になってからは、ビザの宅配ショップでもバイトをします。この頃ですね。飲食っていいな、って思っていだしたのは。もちろん、いいと思っても、うちは酒屋ですから、ちがいます。将来ですか?将来は、酒屋と決まっていますから。そうですね。特になにかほかの目標は、なかったですね」。
もう、決めている。だから、大学に行っても無駄。山本氏は1970年生まれだから、山本氏が高校時代といえば、日本はバブル真っただ中。お金の価値がもっとも軽くなった時代でもある。
「昔から継ぐもんだと思っていたでしょ。だから、大学も行きません。『やりたいことは、なかったのか?』って言われそうですが、『やりたいことは、社長になってからやればいい』くらいに考えていました。もちろん、親父もいますし。そう簡単に社長になれるとは思っていません。ともかく、高校を卒業して、うちの会社に入社する、それがちっちゃい頃から思い描いた私のスタートラインでした」。
2018年、現在、山本氏は、「炭火焼肉酒家 牛角 初台店」をはじめ「串カツ田中 高田馬場店・上井草店」、「肉汁餃子製作所 ダンダダン酒場 練馬店・高田馬場店」、「大衆ビストロ 煮ジル 吉祥寺店」の合計6店舗を経営している。いずれも有名なFCで、しかも、立地も悪くない。
「コンビニエンスストアが最初です。『改装費もこちらでもちますから』って本部がおっしゃって。そこまで言われたからでしょうね。親父が『どうする?』っていうから、『いいんじゃないの』って。そもそも酒屋だけじゃ無理だと思っていましたし。ハイ、もう、免許があれば、儲かる時代でもなくなりましたから」。
昔は「酒税免許」に守られていたが、スーパーや小売店、更にコンビニエンスストアでもお酒が販売できるようになると状況はいっぺんする。「コンビニエンスストアは、計3店舗までやりましたが、いまはゼロですが。そのあと、宅配のFCも始めましたが、こちらもだめでした。いいのは『牛角』のFC。これが、うちの第二の創業です。じつは、うちはFC店のなかでもまだ早いほうで、加盟店でつくる会があるんですが、そこでは年齢はともかく、私は古参のほうなんです」。
もともとは、異なる業態の店を出そうとしていた。しかし、偶然、「牛角」を知り、本部へ向かう。「昔、日経MGっていうのがあって、そこでも紹介されていました。これだって、ピンときて。親父に『絶対、あたるよ』って。親父も焼肉が好きだから、『よし、やろう』ってことになって。ただ、思ったより、投資がかかった。ぜんぶで5000万円くらいです。それだけかかっても、大丈夫だと思っていました。自信がありましたし、実際、オープンしてから予想を大幅に上回る月商がつづいたんです。ところが…」。
山本氏が「牛角」を出店したのは、2000年。「牛角」全盛期でもある。しかし、このあと、全盛期だった「牛角」にBSE問題が襲いかかる。
「うちも、500万円いけばいい、と言われていたところを680万円くらい売っていましたから、そりゃ、絶好調です。それが1年くらいつづきますが、海外でBSEが発表され、オープンして3年目ですね。日本でも大問題になって」。業績は、急降下した。700万円超をうかがっていた数字が、300万円を割る。むろん、赤字。
「なんとか乗り切ったっていうのが正直なところですね。だって、どうしようもない。焼肉店みんなが悪いんですから」。頭を下げ、嵐が過ぎるのを待つことだけしかできなかった。「ただ、うちはもどりましたが。そうですね。牛角のFCにとって、ここが一つのポイントだったんじゃないですか。半年くらいでBSEは、沈静化するんですが…。うちもじつは3店舗あったうち、2店舗、撤退。初台店は、昔から業績がいいので、いまもつづけていますが」。
「串カツ田中」「ダンダダン酒場」。業績がもどると、山本氏は、次々と打ってでた。いち業態だけでは、おなじ問題が起こるかもしれない。「牛角みたいに出店費用はかからなかったですね。坪数なども関係しますから、一概には言えませんが、いずれも、いい数字を叩きだしてくれています。串カツ田中は、いい時には月商900万円以上です。ただ、これでまたコケちゃうんです/笑」。
「ムール貝がメインの、オシャレな店です。お金もかけ出店するんですが、ぜんぜん業績が上向かず、半年で断念します。何しろ、浮上の兆しもない。ビルの3階っていうのも、問題だったと思います。それで本部に相談して、違約金なしで、なんとか契約を解除してもらいました」。
「起きたり、転んだり」と、山本氏はいったが、まさに、そんな感じ。しかし、転んでもただでは起きない。そこが山本氏の経営者の強みだ。
「3階でしょ。ちからがあるブランドじゃないと、だめだと思っていました。その時、なにかいいブランドはないかって吉田さんに相談したら、『煮ジル』にしましょう』って。たしかに、『煮ジル』なら、と思っていたんですが、まだ、リリース前だったから、『いいんですか』って。ハイ、好意に甘えて『煮ジル』をオープンします。あれだけ赤字だったのに、コンスタントに600万円です。助かりました」。
ここで、山本氏が吉田さんというのは、株式会社ジリオンの代表取締役、吉田裕司氏のことである。「だめ」だったとしても、ただでは起きない。「煮ジル」はいま、主要なブランドの一つだ。
さて、高校を卒業し、30年以上、経つ。酒屋は、コンビニにかわり、コンビニは、様々なスタイルの飲食店にかわった。付き合いも、広がった。「牛角」のオーナーの会も、その一つ。人脈は、蜘蛛の糸のように広がっている。
「今からも、オーナーというスタンスですね。ただ、資金があるから、やる。そういうのはだめですね。ムール貝の時がまさにそうでしたから/笑」。
オーナーは、金をだせばいいかというと、そうじゃない。
人脈も広いが、アンテナは、それ以上に、多くの店を捕捉している。ある店の名を挙げると、「あそこは、月商、これくらい。ちょっとしんどいんじゃないかな」と、すぐにこちらに回答する。これが、オーナーである山本氏の仕事なのだろう。 もちろん山本氏は、飲食が大好き。
それは、高校時代のバイトからかわらない。ただ、できることは、でかくなった。
話を聞いていると、山本氏が、本部とは異なる、もう一つの仕掛人ように思えてきた。
「いまいちばん期待できるFCはどこですか」と問えば、山本氏なら、すぐに『ここだ』と回答しくれるだろう。どうすれば、繁盛するかも含めて。その情報力と分析力、それが山本氏の真骨頂だ。
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