株式会社麦酒企画 創業者 取締役 能村夏丘氏 | |
生年月日 | 1981年5月1日 |
プロフィール | 東京都板橋区出身。上智大学中退。広告代理店の会社を経て、独立。2010年、高円寺に「高円寺麦酒工房」をオープン。醸造所を併設した店内では、できたてのビールがいただける。 |
主な業態 | 「高円寺麦酒工房」「ビール工房」 |
企業HP | https://www.beerkobo.com/ |
「元気でいるか。町には慣れたか」。
さだまさし氏が歌う「案山子」に親子で感動したのは、15歳の時。「たまたま親父と紅白歌合戦を観ていて…」と能村氏。ブラスバンド部。フルート担当だったが、音楽で感動したのは、これが初めて。
むろん、さだまさし氏のファンにもなった。
「うちの高校が新宿の牛込にあったもんですから、早稲田に案外、ちかかったんですね」。その早稲田に「さだまさし研究会」なるものがあると聞いて、キャンパス内をさがし歩いた。
「そしたらね、ほんとにあったんです。もう、感動しまくりで…」。
ただ、大学は早稲田に合格したものの、上智大学に進んでいる。「上智っていう響きがオシャレだったから」と能村氏。たしかに、ピュアな能村氏らしい選択でもある。
「それにね。中・高男子校だったから、バンカラなイメージの早稲田よりも」と。早稲田ではなく、上智。いわば、贅沢な話である。
能村氏が生まれたのは、1981年のこと。板橋区出身。父親は一級建築士で、今も「能村設計事務所」を経営されている。「親父は旅行が大好きで、私が小学6年生の時に週休2日が導入されるんですが、以来、毎週のように家族ででかけます」。裕福でもあったんだろう。中学から中・高一貫の私立「成城学校」に進んでいる。
進学校と聞いていたが、比較的、のんびりした生徒や先生が多かったそう。中学では、陸上やテニスをやり、3年には「鉄道研究会」へ入部している。その時の影響で、今でも鉄道が大好き。いわゆる「乗り鉄」なんだそう。
「いろんな部を転々としていますね。つづかない性格なのかもしれません。高校でも、いったん『吹奏楽部』に入部するんですが、フルートがきつくて、きつくて退部しています」。
大学はすでに記載したが上智。
「上智の理工学部ですね」。
しかし、こちらも長つづきせず2年で退学している。
「両親には当然、反対されました。親父は、私の意思が固いと最終的にはOKしてくれましたが、母親は泣いて、反対のまま。2〜3年は、会うたびに復学を迫られました/笑」。
そもそも1年の秋には、大学にもいかなくなっていた、という。
「バイトですね。いままで経験がなかったし、大人の世界を観たかったんです。だから、上智大学を合格したその日に、目についた赤提灯のお店に電話を入れて。ハイ、そちらで、はたらかせていただきました」。
何でも、応募の電話をすると、「この番号ですね。すぐ折り返しますから」という店長の気遣いに心を打たれたそう。今もじつは、その店長を慕っている。むろん、バイトは「めちゃめちゃたのしかった」そうである。
「大学を2年で辞めて、それからも2年バイトをして、同年代の仲間が就職する時に合わせて、私も就職しました。広告代理店の会社です」。
小さな会社だったが、クライアントはでかかった。
「そうですね、キリンビバレッジさんやローソンさん、キリンビールさんなどもお取引先様でした。仕事はクリエイティブだったし、楽しかったです。むろん、相当な時間、仕事をしていましたが…」。
終電で帰れると、深夜1時を超えている。
「なんででしょうね。そんな時間なんですが、1杯だけ、飲のみたくなるんです。旨いビールを。たまたま『鳥貴族』さんが、駅前にあって。お通し代もないし、安いでしょ。しかも、この店は…」。
ビールが美しく注がれていたらしい。「泡もいい状態です。ほかでは、なかなかないクオリティでした。私も、取引先の関係でビールはたくさん飲んでいますが、1杯300円弱。それでいて、このクオリティでしょ。いつも、感動をもらっていたんです」。
セールスプロモーションとビールの夜は、5年2月で幕を下ろす。
「私のチョンボが原因っていえば、原因なんですが、その時の上司の対応もあって、すーっと波がひくように興味がなくなったんです」。
話を聞いていると、わからなくもないと思った。しばらくぶりに取れた奥様との休日。その日まで、台無しにする、上司の一言。「帰りの電車で、彼女の涙をみてね。これって、いい仕事じゃないなと。あばたも笑窪っていうでしょ。私の場合は、その反対。笑窪があばたになっちゃった/笑」。
2009年2月に辞職を決意し、会社を離れたのが、その年の5月。そして、翌年の2010年冬に「高円寺麦酒工房」をオープンしている。1年と少し。能村氏によれば、自分探しの時間だったそう。そして、行き着いたのが「クラフトビール」。今も師匠と慕う「ビール」職人に出会ったことも大きい。
「私も今では、弟子も取り、そういう立場だと思うんですが…」と能村氏。「当時は、師匠にも背中を押していただきながら、高円寺に『麦酒工房』1号店をオープンしました」。
コンセプトは「最高に旨いビールが飲める店」だ。
結果、最高に旨い。そりゃ、そうだろう。店内に醸造所が併設されている。つまり、ビール工場の、できたてのビールがいただける。「鮮度が断然ちがいますから。アメリカには『ビールに旅をさせるな』という格言があるくらいです。まさに、できたては最高なんです」。
たしかに、ビール好きにはたまらない。
1号店が18坪で、2号店は80坪と、フロアはかなり広い。もっとも4号店まですべてDIYで、内装は手づくりだったそう。その割には、巧く仕上がっている。
「ビールって、言ってしまうと装置産業なんです。装置に莫大なお金がかかるから大量生産しないと成り立たないビジネスらしいんです。うちとは、真逆ですね」と笑う。
そこに旨いビールがあるから「人」は集う。旨い一杯は、ソロバン勘定からは生まれないのかもしれない。いまからも、能村氏には最高に旨い一杯をお願いしたい。
ちなみに、2018年2月、株式会社柴田屋酒店のM&Aに賛同し、現在、株式会社麦酒企画の代表取締役は柴健宏氏が務めておられる。創業者の能村氏も、むろん取締役である。
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