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第706回 EGGS'N THINGS JAPAN株式会社 代表取締役 村上卓也氏
update 19/05/14
EGGS'N THINGS JAPAN株式会社
村上卓也氏
EGGS'N THINGS JAPAN株式会社 代表取締役 村上卓也氏
生年月日 1978年11月20日
プロフィール 兵庫県尼崎市出身。神戸大学から大阪大学大学院に進学。ライフサイエンスを専攻し、在学中にバイオ系の企業を創業。村田製作所、コンサルタント会社、トリドールで主要なプライヤーとして活躍したあと、EGGS'N THINGS JAPANに転職。現職に就任する。
主な業態 「Eggs 'n Things」
企業HP https://www.eggsnthingsjapan.com/

アマ出身。

いいガタイをされている。だが、本人に聞くと「けっこうどんくさい少年だった」そう。小学生時代、人の輪ができる時も、一歩遅れることが多かったそう。代わりに好奇心は旺盛。当時の村上少年にとっては自転車もテクニカルな好奇心の対象で、壊れれば直るまで、必要であればバラバラに分解して、何日もかけて独学で構造を理解して直してしまったそうだ。「中学はバトミントンです。真剣にやっていて兵庫県の大会にも出場しています。え、勉強ですか? 勉強もどうしても興味があるものにかたよっちゃう。理科・数学は良かったですが、それ以外はぜんぜんだめでした/笑」。
高校は、尼崎の公立高校に進む。
「理科と数学で受験できる理数科があったからです。部活は、中学といっしょでバトミントンです。でも、高校では立派な幽霊部員でした/笑」。
高校時代の思い出は、コンビニのアルバイト。もっともアルバイトにも精をだしたせいか1浪。1年間の青春を受験勉強に捧げ、翌年、神戸大学に進んでいる。

神戸大学から大阪大学大学院へ。

「大学では、バイオ系の研究をしていました。でも、神戸大学と言っても悲しいかな、研究の予算が十分とは言えず不完全燃焼でした。思い切り研究ができる環境を求め大阪大学の大学院に進むことを決めました」。
村上氏は簡単にいうが、そうやすやすと大学院に入れるんだろか?
「試験も努力しましたが、研究室に入るのが難しかったですね、試験を受ける前から自分を売り込み、先生方に認めて頂かないといけないので。試験にも受かり、タンパク質の研究で当時の日本で一番進んでいる研究所に進めることになっていましたが、タイミングが悪く、助教授が栄転で離れ、助手も海外へ。2月になって教授から指導が既存の学生で手一杯と言われ、そこには私だけでなく皆入れなくなった」。
結局村上氏は、同じ理学研究科にあり興味があったもう一つの研究室でDNAの配列をコンピューターで分析する道に進む。それが、村上氏の最初のキャリアにつながるから、人生はわからない。
ともかく、大阪大学大学院理学研究科、これが村上氏の最終学歴。簡単に言えば、頭がいい。

26歳、初の転職。

頭がいいだけではない。先輩とともに在学中にバイオ系情報解析ベンチャーを起業するなど、エネルギッシュな一面もある。これが、その後の経営・事業企画のキャリアのスタートとなる。
「研究室に入って1年くらい経った時ですね、研究室の先輩、研究室外のエンジニアの3人で、研究内容そのままをサービスにして起業しました。私は研究をしながら、一方で、バイオ系の研究室への営業、技術者の採用、プログラマーとしてコードを書いたり、企業にシステム屋として常駐したり、経理・労務以外全部していました」。
八面六臂。
大学院を修了してからも、おなじ仕事を続けた。
「在籍したのは取締役としての任期3年です。当時は1日4時間くらいの睡眠時間以外はキーボードを叩いていました/笑」。
「システム開発の事業は社員数15名で年商2億円ちょっとまで育てることができました。ただ、社長でもある先輩が10数名でやっていたフィットネスクラブのフランチャイズの部署で『この事業に注力して上場する』と決めたんです。私は『それは俺の仕事じゃないな』と任期満了で退きました。これが、転職のきっかけです。初めての転職は26歳でした」。
ストックオプションもあったようで、もったいないような気もする。数千万円単位の個人保証までして立ち上げた会社なのに。
実は、この後も傍から見ると「もったいないな」と思う転職があるが、突き詰めれば村上氏は、お金・ポストよりも「その事業に心血を注げるか否か」を常に大事にしているようだ。言い替えれば、何かにしがみつくという感覚がなく、「その事業で自分がビジネスインパクトを生み出すコミットができるか」と考えているように見えた。
「そうですね。若かったってこともあるでしょうね。とにかく、これが人生初の転職です。この時、やりたかったことですか? この時は、経営企画ですね。すでに、研究より経営に関心が移っていました」。

村田製作所→コンサル会社→トリドール→そして。

話を先に進めると、この後、村上氏は村田製作所に入社。経営企画に所属し、新規事業や商品開発企画、また研究者と会社をつなぐ仕事を担当。新規事業の商品を携えて出向で米国法人にも赴任している。
そこから更に、修行と称し32歳の時にデロイト トーマツ コンサルティングに転職し、海外関連のプロジェクトで総合電機メーカーの新規事業、M&A後の人事制度構築、1兆円企業のシステム移行マネジメントなどいくつものプロジェクトを歴任する。
その後、「丸亀製麺」でおなじみのトリドールに転職する。「当時は、まだ売上800億円くらいの時です。これまでの経営・事業企画の力をフルに発揮すべく経営企画室を希望しました。コンサルの時のペースでやると事業会社では周囲とかみ合わずに空回りしそうでしたので、ゆっくり確実にスタートを切りました/笑」。入社当時の肩書きは、あえての課長補佐。
「初めはエリアマネージャーの方々の数値レビューや予算作成などを行っていました。入社半年くらい経った頃から海外事業を担当するようになり、社長や専務といっしょに世界中を回るようになり、例えばアジア各国やケニアなどに行っていました。この仕事を1年続けている中、IT部の部長を任され、それと同時に『毒を食らえば皿まで』と、デジタルマーケもやらせてもらうようにお願いしました」。
経営企画、海外事業担当、IT部の部長、デジタルマーケの立ち上げを進める村上氏は、様々な成果を挙げる。丸亀製麺アプリを初年度400万ダウンロード達成させたり、CMの出稿量を億単位で最適化したり、データ分析の部署の立ち上げを行ったりと四足も五足もの草鞋を履いて。特に、アプリが普及したことでビッグデータが活用できるようになり、顧客のリピートが上がったり、新規出店に結び付くデータなども提供が可能となった。
「トリドールにお世話になったのは3年ほどで、ITやデジタルだけではなく事業責任をもってビジネスインパクトを出したいという思いを強く持ち続けていました。当時、社内でも相談していましたが事はそううまく運ばず、そんな時、松田さんにお声を掛けてもらいました」。
村上氏が、松田さんというのはEGGS'N THINGS JAPANのオーナーであり、タリーズコーヒージャパンの創業者としても有名な松田公太氏のことである。

4度目の転職。

4度目の転職。 「キャリアプランをどう考えたらそういう判断になるの?」と相談とも疑問ともつかない質問をよくもらうそう。心血注げる仕事で、大きなビジネスインパクトを出したい。たたそれだけ。それがオレの流儀だというかのように。
「EGGS'N THINGSはパンケーキで有名ですが、コンセプトはAll Day Breakfastのカジュアルレストランです。発祥のハワイでももっとも有名なブランド一つです。一時期のブームの反動で、売上が安定していない時期もありましたが、現在は安定するようになりました。個人店も含め、競合は多く出てきていますがその中でも既存店は伸び始めています」。
通常運転している口ぶりだが、実はそれが難しい。
「現在当社で運営している店舗数は23店舗です。早期の出店をめざしているわけではないですが、今期はEggs ’n Things Coffee 5店舗、サラダのブランド3店舗、新業態のキヨスクタイプの小型店10店舗を出店する予定です。全店が直営です。フランチャイズは、お問い合わせを多くいただいておりまして、準備ができ次第動ければと思います」。
着々と準備は整っている、といいたげ。
新卒の採用も進んでいて、今期は11人の新たな顔ぶれが参加した。「今の課題は採用や教育の体制づくりですね。ブランドが大事にしているマインドをどう伝えるか。仕組みや体制というのも大事だし、伝える我々の熱量も大事だと思っています」。

人の心を育てる制度づくり。

「フェアな会社でありたいと思います。頑張って結果を出した人にしっかり報いること」。店長以上で給料の天井もなくしたと笑う。簡単にいうが、思い切った決断だ。
でも、どう頑張ればいいのだろう?
「私が言っている頑張りは、長時間の労働ではありません。『密度』を上げることなんです。『本気さの密度』ですね。働く時間は常に本気」。
「飲食業は将来に独立して店を持ちたい人が多く、当社もカフェなどで独立を目指す店長が多くいます。そんな彼らには当社で少しでも『本気』のレベルを上げて将来の夢を実現できるよう成長してもらいたい」。
過去見てきた創業オーナーはもっと苦労をされている?
「そうですね。身を置いてきた環境がまるで違うんですね。創業時から『どうすればいいか』を文字通り死ぬ気の本気でずっと考えてきたわけです。私の場合、かじった程度ですがそれでも本当の本気はすごい。創業者と同じ濃度で仕事するのは簡単ではないですが、独立を目指す方には少しでも本当の本気に近づいてほしい。私はそう思っています」。
もっと、制度や仕組みの話になるか、と思っていたが、違った。「志」や「思い」という話になる。数字やロジックだけでは語れない「心」を大事にされている証だろう。
「数字は大事ですが、店長が仲間を導く方向を決めるために使われなければならない。仲間の100時間を使って3つの改善案のうちどれかを選ぶ場合、効果が5万円、10万円、50万円だとしたら50万円を優先しないとだめ。何を優先させるか。仲間を迷わせない。その方向決めに数字は使われるべき。」
ところで、尼崎市といえば、有名な漫才師がいる。同じようにはいかないかもしれないが、村上氏も、いずれ著名な経営者になるのではないか、と思った。進みたいと思った方向へ苦労をいとわず、進む。そのあっ晴れな生き様が、多くの人を魅了すると思うからだ。
いずれにしても、大阪大学大学院理学研究科出身の経営者がお客様や従業員のことを熱く思い手がけるカジュアルレストラン・カフェ…、その飲食事業は、案外、人間味があって良い。

思い出のアルバム
 
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