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第71回 株式会社アイテム 代表取締役社長 伊原純子氏
update 09/10/20
株式会社アイテム
伊原純子氏
株式会社アイテム 代表取締役社長 伊原純子氏
生年月日 1967年10月1日、和歌山県和歌山市に生まれる。
プロフィール 父、母とも商売人であったが、父は遊び人で働かない、幼少の頃は祖母の家で育つなど、恵まれた家族環境ではなかったそうだ。
専門学校を卒業し、保育士になり、3年間、保育士として勤務。その後、フラワーアレンジメントの教室に通うかたわら、キャンペーンガールを職業に。27歳の時には、そのキャンペーンガールをマネジメントする会社を起業している。
伊原剛志氏とは2001年に結婚。その1年前から、剛志氏が経営するお好み焼きのお店の社長になるなど、飲食店の経営に乗り出している。
以来、9年。「ごっつい」は現在20店舗にまで広がっている。
主な業態 「ごっつい」
企業HP http://www.gottsui.net/

昭和の良き時代にタイムスリップする、お好み焼き「ごっつい」。

昭和のレトロなお店をイメージするとわかりやすい。今回、登場いただく「株式会社アイテム」社長、伊原純子が経営するお好み焼き「ごっつい」のことである。店内に置かれた小物にも懐かしさからか、つい目がいってしまう。もともと創業者 伊原剛志は、関西出身。いつも気楽に立ち寄ったという「お好み焼き」のお店が「ごっつい」の原点である。伊原が生まれ育った40年代は、「昭和の良き時代」でもあった。

伊原は昭和42年、和歌山県和歌山市に生まれる。和歌山市は、大阪府との県境に近く、有田川が流れる。「みかん」の産地としても有名だ。伊原は、その町で商売人の父と母、六つ年上の兄を持つ四人家族の長女として誕生した。「母も仕事を持っていたので、幼少期は、祖母のもとで育った」と伊原。「父と母の仲が悪く、ケンカが絶えない家庭だった」らしい。父は看板などを作成する事業を営み、母は化粧品の販売を行っていた。「両親は不仲。父は働かなく、お金も無いので、家族で旅行に行ったこともなかった」と振り返る。「家」の温もりは彼女には遠い存在だった。

社会に出るにあたって、「保育士」を選んだのも、心のどこかに、家族との触れ合いを求める気持ちがあったからではないか。「3年間、めいっぱい保育という仕事と向き合った」という伊原は、その後、退職し、今度はフラワーアレンジメントの勉強を開始。そのかたわらでキャンペーンガールの仕事も始めた。まだバブル崩壊以前、仕事には困らなかった。この仕事を始めた頃、伊原に一つの転機が訪れる。「それまで順調だった母の事業が、芳しくなくなってきたんです。在庫を抱えるなど、問題も膨れ上がってきて。で、私がなんとかしないといけないと」。そう思った彼女は、自らキャンペーンガールの事務所を立ち上げた。27歳の時である。

彼女はいまでも当時を振り返ることがある。「後発だったこと」「資金が少なかったこと」など、その時に感じた経営者の「つらさ」や「厳しさ」、「孤独」を、これから経営者になる独立希望者たちにわからせてあげるためだ。

ともかく伊原は必死でがんばった。その結果、この事業は順調に育ち、スタッフの質では関西でも屈指と呼ばれるまでになったそうだ。伊原が「経営力」を修得したのは、この時期ではないだろうか。ちなみにこの事業は05年に、社長を社員に譲っている。

芸能人、伊原剛志との出会いで転機が再度、訪れる。

さて、もう一つ、彼女に転機が訪れる。芸能人の伊原剛志氏との結婚である。剛志氏は役者業のかたわらで「お好み焼き店」を経営していた。自ら店に出て「お好み焼き」を焼くほど、経営には本腰を入れていたそうだ。友人の紹介で知り合った2人は、2001年に結婚するが、それ以前に剛志氏は、彼女に社長の席を譲り、会長に退いている。伊原は、この剛志氏との出会いから、飲食業に乗り出すことになったのである。

「男性社会だった」と彼女は振り返る。社員は、全員男性。そこに女性の伊原が社長となって登場することになる。最初は冷ややかな目で見られたこともあったのではないだろうか。だが、彼女は、ひるむことなく、この「男社会」に「女性の視点」で切り込んでいった。

「ごっつい」は、桜新町店でブレイクすることになるが、主人とともに昭和の良き時代をモチーフにしたこのお店をプロデュースしたのは伊原である。冒頭にも書いたが、主人の思いを形にし、昔関西の日常にあった小銭を握って食べに行った「お好み焼き屋」を再現したようなお店である。伊原は女性ならではのアイデアを次々に導入する。ファミリーを対象にしたのもその一つだ。飲食業の常識に、ファミリー層を狙うと客単価が下がるというものがある。「だから、最初は社員たちも半信半疑だった」そうである。しかし、これが当たる。オムツの交換台を設置した。絵本やぬり絵も置いた。「子どもは料理ができるのを待てない。食べたらすぐに帰りたがる。これでは親が落ち着いて食べられないから」と彼女。まだ、ある。「赤ちゃんのミルクを作るためにお湯をお求めになられるお客様がいらっしゃるんです。こんな時、うちではちゃんと人肌のお湯をお出しするんですよ」と伊原。たしかにどれも女性ならではの視点が活かされたアイデア。「ごっつい」が繁盛する理由の一つでもある。

8店舗の独立経営者を生み、育てる。総勢140名近くのスタッフが彼女を慕っている。

現在、「ごっつい」は、関西の1店舗を含め、20店舗ある。いずれの店もチェーン店と言われないように、内装も、サービスも違うものに仕上げている。この20店のうち、8店舗は「のれん分け」によって、元従業員が出店した店である。いまだ撤退店はゼロというから驚かされる。「私も専門学校出身。いい大学を出て、いい会社に入って、といったような経験はしていません。うちに入ってくる子も、高卒が多い。でも、やればできるんだと、そういうことを教えてやりたい」と彼女。たとえば、「3年、がんばって、のれん分けで独立すれば、月収100万円も可能」ということだ。

店の運営は、その店の店長に委ねている。店舗スタッフが考案したイベントも盛ん。「夏休みを利用して、あるお店では子どもたちに『お好み焼き教室』を開催。うちのお店はスタッフがお好み焼きを焼くんですが、この教室に通ってライセンスを取得したお子様は、自分で焼くことができるんです」、と嬉しそうに話す。スタッフ向けのイベントも盛んで、運動会や野球大会、年末にはかくし芸大会と、いずれもとことん盛り上がるイベントを開催している。会長の剛志氏が役者ということもあってか、役者やミュージシャンの卵も多い。かくし芸大会は、いやがうえにも盛り上がる。

「私はスタッフにとって、良き母であり、姉でありたい」と彼女はいう。直営店のみで社員数40名、アルバイト100名。ずいぶん大きな「家」の母になった。

「ごっつい」に行く。良く磨かれた鉄板の前に腰を下ろす。たとえば家族四人。目の前に、ゆっくりとネタが広げられる。すぐに返してはいけない。鉄板越しに徐々に熱が伝わる。頃合を見て、スタッフが、コテをさし見込み、くるりとひっくり返す。神業に、子どもたちが、歓声を上げる。

家族の団欒。幼い頃に夢見たシーンがいま彼女のまえに広がっている。

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