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第711回 株式会社ヒカリッチアソシエイツ 代表取締役 橋夕佳氏
update 19/06/04
株式会社ヒカリッチアソシエイツ
橋夕佳氏
株式会社ヒカリッチアソシエイツ 代表取締役 橋夕佳氏
生年月日 1982年
プロフィール 新潟県出身。新潟大学卒。大手デベロッパーで勤務するも、子どもができ半年で退職。3人の子どもを授かったのち、2011年、28歳で起業。焼きあごのらーめん店を開業し、焼きあご出汁のブームを先駆ける。2019年3月現在、海外も含め6店舗を運営している。
主な業態 「焼きあご塩らー麺 たかはし」
企業HP http://hikarich-a.com/

父も母もアマチュアオーケストラの奏者。

「らーめん」には顔があるといったら、「何をいってんだ、こいつ」と思われるかもしれないが、不思議とそう思ってしまう。とくに旨いらーめんは、いい表情をしている。
今回もまた、いい表情のらーめんと出会った。「焼きあご塩らー麺 たかはし」のホームページのメニューを観れば、私が言っていることも理解いただけるだろう。
品があるといったら失礼か。器もいい。具材もいい。いい、彩をしている。
この「焼きあご塩らー麺 たかはし」を経営しているのが、株式会社ヒカリッチアソシエイツの代表取締役、橋夕佳氏だ。
橋氏は、新潟市出身。28歳という若さで、起業している。
「父は、新潟ではそれなりの会社の2代目社長で、アマチュアですが、オーケストラの奏者です。母もおなじアマチュアオーケストラの奏者で、音楽の教師もしていました」。
橋氏も両親の影響を受け、小さな頃からピアノを習っている。裕福な家庭で、家族旅行もグアム、バリ、アメリカ、韓国など、海外へでかけている。
「勉強もできたほうです。小学3年から家庭教師がいたわけですから、できないとおかしいですよね。高校は新潟市内の進学校に進みます。大学は、新潟大学の音楽科です」。
最初は、絵に描いたようなお嬢様かと思ったが、そうでもない。骨もある。小・中・高と、応援団で副団長を務めたというエピソードからも想像いただけるだろう。英才教育をうけた音楽の道ではなく、東京にでて、ビジネスの世界に飛び込んだのも骨がある証かもしれない。
ともかく、大学を卒業すると、新潟を脱出。大手デベロッパーに就職する。

3児の母、起業する。

「デベロッパーで大きな仕事をするぞ、キャリアを積むぞって意気込んでいたんです。でも、1年目の10月末で退職します」。
どうして?
「じつは、子どもができたんです/笑」。
葛藤はなかったのだろうか?
「なかったと言えば、どうでしょうね。新潟の田舎の小娘にも、だんだん社会がわかってくる時期でしたから。ただ、わりと早く切り替えられました。23歳でしたし、20代で社会復帰すればいいじゃないかって、思って」。
キャリアウーマンのはずが、妻となり、いっときは新潟にもどっている。おかげで、3人の子宝にめぐまれた。それでも、橋氏は起業の道を選択する。
「そういう性分なんでしょうね。たとえば、新潟にもどると、専業主婦として平穏な毎日が続くわけです。それがストレスで、どうしようもなかった/笑。それで、もう一度、主人を説得して東京にきます。そして、28歳で起業。3人のママと、妻と、経営者のスタートです」。
どうして、らーめんだったのかと問うと、「もともと主人がラーメン店で仕事をしていたこともあるんですが、私も主人に連れられていっしょにらーめんを食べ歩いていたんですね。ある時、何かがひらめいて、『関東にないラーメン。これならいける。勝負しようと』と決意したんです。わりと簡単にスイッチが入るタイプなんですかね/笑」。そして、株式会社樹食研(現ヒカリッチアソシエイツ)を設立する。

開業が、ままならない。

橋氏が「関東にない」といったのは、トビウオから出汁を取った焼きあごのらーめん。新潟や山形にはラーメンの名店が複数ある。「これなら勝負できると思ったんです。もちろん、私自身は、経営も知らない素人なんですが、ひらめきですよね。それを大事にしたいと思いました」。
もっとも潤沢な資金があるわけではなかった。父親に借財を申し込んだが、にべもなく断られる。事業計画書を作成したが、銀行の融資は通らず、物件も決まらない。ご主人の親族が、貸してくれた350万円。軍資金はこれだけだった。
「350万円の軍資金で、開業できるお店を探します。もちろん、生活費でお金はでていくばかりです。だから、お店を探す一方で、派遣に登録し、生計を立てていました」。
1年経ったある日、ようやく低コストで出店できる「茗荷谷」の居ぬき物件に巡り合った。そして、2012年に1号店を開業する。
この1年間はなんだったんだろうか? ひょっとすれば、橋氏の思いを試す1年だったのかもしれない。計画通りには進まなかったが、思いは希薄することなく、むしろ、日々、凝縮されていった。1号店がオープンしたその日。橋氏は、天にも昇る気分だったのではないだろうか。

長い、トンネル。

「そうですね。でも、オープンはできたんですが、じつはそれからが、たいへんでした」と橋氏。「お客さんがぜんぜんいらっしゃらない。月商100万円です/笑」。オープンから半年間は赤字がつづいたそう。「当時は、子どものおむつも買えなかった」と言っている。
何がいけなかったのか?
「サービスは、満点だったと思います。ただ、正直、スープがおいしくなかった。タレ、スープ、油、麺のバランスがバラバラでした。ハーモニーを奏でられなかったんです」。
ふつうなら、どういう選択肢をチョイスするだろう。育児もある。妻の仕事も投げやりにはできない。事業も軌道に乗らず、である。
「できない理由を挙げれば、いくらでもありました。育児に逃げ込むことだって、できたと思います。でも、もともと負けん気がつよいんです/笑」。
試行錯誤が始まった。
「タレ、スープ、油のバランスですね。そもそも素人ですから、勘とか、そういうのがない。だから、理論的な数値を大事にして科学的なアプローチを重ねました。半年くらい経った頃でしょうか。ようやく長いトンネルを抜け出すことができました」。
言葉通り、焼きあごを使用した奥深い塩らー麺は、次第に評判になる。関東になかったらーめんが、市民権を獲得する。むろん、らーめんだけではなく、サイドメニューにも注力したことが功を奏した。チャーシュー丼などとのセットメニューも、次々、注文されるようになる。
ちなみに、米は新潟の農家直送コシヒカリ。旨くないわけがない。

新宿歌舞伎町で、新たなメロディをつむぎ始める。

「2015年の2月。新宿の歌舞伎町に移転します。これが、大きな転機となりました」と橋氏。茗荷谷と比べるべくもない。街の胃袋の大きさがまったく違った。
「いきなり昨年対比600%です」。
現在は、社名もヒカリッチアソシエイツとなり、店舗数は国内5店舗、海外1店舗、2019年春には、大阪にも直営店が誕生する。
焼きあご出汁のブームは、いうならば、こうして起こった。とはいえ、橋氏にすれば、まだ始まりの、始まりに過ぎないのかもしれない。今までよりも、むしろ今からが勝負だと言いたげだ。

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