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第712回 株式会社千吉 代表取締役社長 長縄竜彦氏
update 19/06/04
株式会社千吉
長縄竜彦氏
株式会社千吉 代表取締役社長 長縄竜彦氏
生年月日 1976年3月1日
プロフィール 兵庫県明石市生まれ。創業者に惹かれ、「はなまるうどん」の創業メンバーの1人として、活躍。スタート時、わずか3名のうちの1人である。「はなまるうどん」が吉野家の傘下になってからも、西日本エリアを担当。営業部長になり、そののち、同グループのカレーうどん専門店「千吉」に異動。執行役員を経て、2015年、社長に就任。
主な業態 「千吉」
企業HP https://senkichi.co.jp/

おかずは、漬物。

吉野家ホールディングスには、様々な企業が連なっている。「吉野家」「はなまるうどん」「京樽」…、そして、カレーうどんの「千吉」。
昔からこうだっただろうか。久々に「千吉」のホームページをみると、カレーのバージョンがマシマシになり、おばんざいメニューの種類も同様に、マシマシになっている。
今回は、吉野家グループのなかでも「カレーうどん」を切り口にした独自メニューで注目の「千吉」。その代表取締役、長縄氏にスポットをあててみる。
小さな頃の話をうかがうと、長縄氏は「極貧だった」と笑いながら切り出した。「もともとは兵庫県で、親父のほうの家族5世帯で住んでいたんですが、父親のギャンブルが原因で岡山へ引っ越します。ま、『引っ越す』ではなく、『逃げる』がただしい表現です」。
1週間、ご飯と漬物だけ。そんな時もあったそう。「貧乏といったって、子どもの頃はそれが当たり前ですからね。辛いとかそういうのではなかった気もしますが、まぁ、強烈な生活でした。ただ、漬物だけでも、人間、なんとか飯は食えます/笑」。
飯は食えたが、家族の間はどうだったんだろう。両親は、長縄氏が高校を卒業すると、離婚。長縄氏も、高校を卒業してから飛び出すように家をでている。
「たぶん、私が高校を卒業するまで離婚を待ってくれていたんでしょうね」。
長縄氏は小さな声で、そう呟いた。

自立は、貧乏からの脱出を意味している。

「いちばんうえの姉はやんちゃですが、2番目は大人しい。私もじつは、高校生までは大人しい性格だったんです。得意な科目は算数に美術に図工…、体育とかはそう得意ではなかったですね」。
高校は18キロ離れていたから、バイク通学が許されていた。
「私が、かわったのは高校2年の時。思春期だったんでしょうね。三角関係みたいなかんじで、親友と泥沼化しちゃうんですね。そういうのが重なって。ある意味、ふっきれたんでしょうね。もう、だれかを気にするのはやめよう、やりたいように生きよう、と」。
「そうですね。あの頃は恋愛も友情もなんなんだって。その一方で、貧乏から抜け出すことは頭から離れていません。だから、大学にも行かず就職しました。靴屋です」。
昔の話だ。休日は少なく、残業は山盛り。4年つづけて退職した。
大学に進んでいたら、卒業する時だ。もちろん、長縄氏に新卒の肩書きはもうない。

最初の、はなまる。

「あの頃は、とにかくハードな時代でしたからね。とはいえ、人間ですから、休みも欲しいし。それで、転職を考えたんです」。
それが、「はなまる」さんとの出会いですか?
「そうです。当時は、エイジェンスという社名です。エイジェンスはもともとアパレルの会社で、『はなまるうどん』は、会社の一事業部としてスタートします。店名の「はなまる」は、創業者が子どもの頃から『はなまる』をもらったことがないので命名したのは有名な話ですね。この創業者とお会いして、『この人と一生、仕事をするんだ』って。ハイ、運命的な出会いでした」。
「はなまるうどん」の1号店は、香川県の高松市にオープンする。
「当時は創業者と、もう1人の方と私の3人です。本業は、アパレルでしたから、事業部をわけて実験的に讃岐スタイルのセルフうどんを始めました」。
創業者に惹かれ、創業メンバーの1人として、長縄氏の「はなまる」人生がスタートする。
「最初は一杯180円だったんです。だいたい周りのお店もそうでしたから。コーヒーチェーン店の、コーヒー1杯分ですね」。
どうでしたか? 
「そうですね。正直にいうとだめでした。思っていた以上じゃなかった。それで、ある程度、ノウハウがたまった1年後に思い切って勝負にでたんです」。
それが、100円?
「そうです。2000年に1杯のうどんが100円です。そうしたら、朝10時開店で、12時には完売。もちろん、100円ですからね。利益もそうはでない。私らの人件費を正確に計算したら、どうなっていたでしょうね/笑」。
もっとも、この時からスタイルは確立している。うどんをオーダーし、てんぷらをチョイスし、おにぎりを取る。
「お1人様の単価はだいたい500円くらいでした」。
あっという間に「うどん」がなくなる。それは長縄氏たちの未来がひらけていくのとおなじ意味だった。
ともかく、消費者が最初に「はなまる」に「はなまる」をつけたのは、この時だろう。

吉野家という巨大な傘の下。

ところで、当時すでに讃岐うどんはブームだった。はるばる首都圏からも客が来た。「当時はセルフ方式はもちろん、『うどん玉を買う』という発想は、県外の人にはなかったように思いますね」。たしかに、出汁とうどんと、きつねやらのトッピングが一つに盛られ、安くても500〜600円する。それが県外の「うどん」だった。
この異なる「うどん文化圏」に「讃岐うどん」をひっさげて乗り込んできたのが、「はなまるうどん」である。私も、初めて「はなまるうどん」をおとずれてから、すっかりファンである。関西系のうどんを食べることが多かったから、尚更かもしれない。
「うどん」は、料理。そう、間違いない。
さて、ブームにも乗り、破竹のいきおいで出店をつづけた「はなまるうどん」だったが、じつは、創業から4年後の2004年に、株式会社吉野家ディー・アンド・シー(現・株式会社吉野家ホールディングス)と資本業務提携締結している。
「もともとは上場も頭にあったんですが、2004年に吉野家さんの傘下に加わるほうを選択します。私も当然、吉野家入りです」。この時、創業者は、会社の外にでている。

長縄氏がもらう、はなまる。

長縄氏は、「はなまるうどん」を創業時から育ててきた、今や唯一の創業メンバーであり、立役者でもある。それがどうして、「千吉」なのだろう。
「吉野家入りしてからも私自身は、長く一介の担当者だったんです。状況がかわりだしたのは、2007年に河村さんが社長としていらした頃からですね」。
長縄氏が河村氏というのは、吉野家ホールディングスの現社長(2019年5月現在)、河村泰貴氏のことである。長縄氏は、河村氏の下で薫陶を受け営業部長になり、河村氏に代わって社長に就任した成瀬哲也氏(現ASIA YOSHINOYA INTERNATIONAL SDN.BHD. Chairman and CEO)に背中を押されるようにして、「はなまるうどん」を離れ、「千吉」に異動し執行役員になっている。
「俺がつくった千吉で、社長をやれ」が、成瀬氏の命令だったそうだ。
そして、5年前に社長に就任。
「私が千吉の社長になってから、今で5期目です。今は、もう一度ベースをかため、来期からの出店に備えています」。「はなまる」と「千吉」はおなじ「うどん」のカテゴリーだが、当然、サービスもスタイルも異なる。「千吉」はカレーうどんの専門店でもある。
「はなまる時代のことは、もちろん、今も生きています。ただ、明確な線引きをすることで、『千吉』も、『はなまる』も光ると思っていますから、そういう意味では、『千吉』ならではのオリジナリティを大事にしていきたいですね」。
長縄氏が「はなまる」をもらうのは、まだ先のことかもしれない。
とはいえ、そのぶん、どれだけでっかい「はなまる」がもらえるか、それが楽しみでもある。

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