ジローレストランシステム株式会社 代表取締役社長 佐藤治彦氏 | |
生年月日 | 1961年10月18日 |
プロフィール | 大分県大野郡三重町(現 豊後大野市)出身。小田急電鉄、園芸関係の総合職、第1号(ただし、その後、同職種の採用は行われていない)。花の仕入れで、市場にも度々、向かった。営業推進部に所属したあと、自ら望んで子会社であるジローレストランシステムに出向。2019年、現在、15年が過ぎる。社長就任後、3期目がスタートしている。 |
主な業態 | 「マキャベリ」「ペルアデッソ」「パッパパスタ」「あるでん亭」「LA VALLE」「A16」「マンマパスタ」「カフェ ラントマン」他 |
企業HP | https://www.giraud.co.jp/ |
1961年、大分県大野市三重町(現/豊後大野市)に生まれる。野山を駆け回り、虫取りにハマり、虫かごはいつも一杯だった。今回、ご登場いただいたジローレストランシステム株式会社、代表取締役社長、佐藤治彦氏の子どもの頃の記憶である。中学から軟式テニスをはじめ、郡でもそれなりに有名になった。
「高校は30キロ離れた竹田というところの高校に進学します。電車通学ですが、ときにはバイクでも通学していました。距離があるから許されていたんです」。
むろん、テニス部に入ったが1年でテニスを辞めた。テニスに集中できる環境でなかったことが理由である。おかげで、ぷくぷくと太り、体重は21キロ増になった。大学は、一浪して、明治大学へ。
農学部というから、野山を駆けた子どもの頃とだぶったりもする。
もちろん、この頃、「飲食の戦士」になるとは想像もしていなかった。「父が公務員、母が看護師だったからでしょう。弁護士や教師をめざすように言われていました。内心、いやだなとは思っていたんですが、まさか、飲食会社で社長になるなんて。たしかに想像外ですね/笑」
とはいえ、料理人をめざしたこともあったそう。「両親がいそがしくて。うちは料理が当番制だったんです。ええ、私の番もあって。料理って楽しいなとも思っていたんです」。
めざしていただけではなく、じつは大学時代、一度、アルバイトだが面接にも臨んでいる。「たぶん、いきがってパーマをかけていたのがアカンかったんでしょうね。ハイ、すんなり不合格です」。
だから、スイッチはまだ入らない。
味の素などの食品メーカーを狙っていた。就活の話である。
「農学部ですからね。食品メーカーがいいかな、と」。しかし、実際に就職したのは、まったく異分野の鉄道会社、小田急電鉄株式会社である。
「たまたま、うちの学部に求人が来ていたんですね。ためしにエントリーしたところ、創業者が大分出身ということもあったんでしょう。無事、内定をいただきました」。
ただし、電鉄といっても採用されたのは園芸関係の総合職。実は、この仕事、定員はたった1名。佐藤氏が第1号で、それ以来、募集が行われたこともないらしい。「そうなんです。私が最初で、最後です/笑。もっとも、フラワービジネス自体は以前からつづいていて、本店の年商は4億円超。業界ではトップクラスです」。
以来、16年間、「花」のセールスをしていたという。どこに、どんな風に営業していたんだろう。「市場にも行ったし、海外から仕入れもした」そうだ。
「17年目から、電鉄の営業推進部に3年在籍します。むろん、大事な仕事ではあったんですが、私には性に合わなかったんでしょうね。商品を生み出す仕事に興味がわきました。そんな頃からですね。飲食をやってみたいなと思いだしたのは…」。
「食べることが好きだから」と佐藤氏はいう。多少のコネもなくはなかった。「当時、すでにジローレストランシステムは、小田急の子会社だったんです」。調べてみると、1994年に、小田急電鉄が筆頭株主になり、子会社化している。
「当時の社長が、荒井さんといって、電鉄からの出向者です。昔から知っていて良くしていただいていたんです。私なりの貢献方法として、ジローレストランシステムの店舗に足を運んではレポートを書いてお送りしていました。素人の意見ですが…。そういう積み重ねを経て、荒井さんに相談させていただいたんです」。
「たたかう準備ができました」。佐藤氏は、荒井氏を相手に、そう呟いたかもしれない。
むろん、小田急電鉄という大組織で生き残るのは難しい。それは、間違いない。ただ、飲食は、それ以上と言ってもいいのではないか。たたかわない者は、生き残ることすらできないのだから。
「ハイ、私も、出向です。でも、もう15年。出向というには長すぎますね/笑」。
ジローレストランシステムに出向して15年というから、辞令が下りたのは2004年くらいのことだろう。
ホームページで調べてみると、<2004年、マ・マーフーズ株式会社を吸収合併し『サンレモ』4店舗を直営店とする。ピッツェリア『マッテオ』オープン/2005年、リストランテ『アベーテ』、豚肉料理専門店『豚道楽』オープン/2006年、カフェ『カフェ イル モ』、ピッツェリア『インテルヴァッロ』、パスタハウス『ラ コルタ』『トマティーナ』オープン、2007年/イタリア トスカーナのワイナリー・リストランテ『バディア ア コルティブォーノ』と業務提携し、1号店をオープン>とつづいている。
2019年5月現在で、社長に就任し、3年目を過ごしている。
「就任1年目は苦労しました。ただ、昨年の決算では、既存店が前年比100%をクリアしたんです。これは、過去30年くらいはなかったことじゃないかな、と。既存店の数字は、なんといっても営業努力の表れですからね」。
佐藤氏は、誇らしげに笑う。
「前期は、ブラッシュアップに注力していましたが、今期は、出店も行います。年度内に4店舗を想定しています」。2018年から食材の直輸入を開始したそうだ。
「仕入の仕事をしていた時から、注目していたトマトがあって。ハイ、こちらも今、イタリアからワインや生ハム同様、直輸入しています」。
そのトマトの名は「ピエンノロトマト」。カンパニア州のベスビオス火山の麓でつくられている。古代種で「赤い宝石」と言われているそうだ。ぶあつい皮が特徴らしい。さすが、農学部出身である。
「営業や仕入れなどいろいろな経験が今、生きている、それは確かですね」。
円熟。
しかし、そんな言葉は佐藤氏には似合わないかもしれない。その話ぶりからは、いつまでもフレッシュなトマトのような、みずみずしさを感じるからだ。半世紀以上も昔、野山を駆け回った少年はいま、飲食という、もう一つの野山を駆け回っているのかもしれない。
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