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第718回 株式会社ドリームダブルコーポレーション 代表取締役社長 小林貴志氏
update 19/06/25
株式会社ドリームダブルコーポレーション
小林貴志氏
株式会社ドリームダブルコーポレーション 代表取締役社長 小林貴志氏
生年月日 1971年5月10日
プロフィール 日本橋で生まれる。帝京大学卒。一般企業に就職するが、サラリーマンが肌に合わず、退職。起業の道を進む。創業店は「プロント」のFC店。「とり鉄」などのFCを経営し、ノウハウを修得し、オリジナル業態「ラッツ ダイニング」をリリースする。
主なレストラン業態 「Lad's Dining」「BUON’AMORE」「プロント」「とり鉄」他
企業HP http://dream-double.jp/

勉強熱心な小学生、中学受験する。

小林氏が物心ついた時には、ご両親は新橋や浅草、茅場町で喫茶店を経営されていたそう。そのあと足立区に引っ越し、居酒屋を営まれるようになる。
小学生の頃のことを聞くと、「明るくて、やんちゃだった」と笑う。もっとも、思い出すのは勉強のシーンばかり。受験勉強のことである。
「獨協大学の付属中学に進みます。子どもの頃は勉強ばかりだったんですが、さすがに、だんだんと勉強しなくなって。大学の頃は、もうまったくしなかった。大学は、帝京です。もう少し上を狙っていたんですが、勉強しなかったんだから、ま、当然といえば当然ですね/笑」。
中・高は硬式テニス漬けだった。大会にも出場し、それなりの成績も残した。「特別な目標はなかったです。とにかく、中・高の6年間はひたすらテニスです」。
周りは超がつく金持ちの子息。びっくりするくらいだった、と笑う。
「なかには、経営者の子もいましたが、すごいなと思うだけで、特段刺激されなかったですね。大学からは勉強そっちのけで、サーフィンばかりしていました」。
サーフィンはいまもつづけている。週イチ。365日、オールシーズン、とのことだ。

起業するなら「プロント」がいい。

大学卒業後は、スポーツ会社に就職したが、25歳で退職し、起業に舵を切る。経営者の父親をみてきたことも背景にはあるが、正確には「サラリーマンは窮屈でしかたない」が動機である。
「父親の影響も多少なりとも受けていたんだと思います。私が、起業のために選択したのも、父同様、飲食。なかでも、興味があったのがプロントです」。
プロントは、いうまでもないが、株式会社プロントコーポレーションが経営するCAFF&BARだ。都市型店舗が多い。「プロントのFCなら、CAFEとBARの両方を勉強できると思ったんです。でも、そもそも個人なんて相手にしてくれません/笑」。
それがわかっていても、あきらめない。「2年間くらい、本部でアルバイトをしました。それもあって、FCにはOKがでたんですが、プロントって投資額がハンパないんです。私の時も開業資金6000万円です」。
たしかに、個人を相手にしない理由もわからなくない。
「私が個人で500〜600万円。それ以外は親からですね。うちも担保に入れたし…」。
悪い表現をすると、親を頼ったとなるが、そのぶん、背負ったものは小さくなかった。小林氏28歳。念願のプロントがオープンする。

FCで得た経験をもとに、オリジナルブランド開始。

「プロントは、CAFEとBARの、二毛作です。一つの店で、二つの業態を経験できる。私が、いちばん惹かれたのはそこです。もちろん、飯田橋に1号店を出店した時はさすがに苦戦もしましたが、なんとか頑張って、2店舗目を出店できるくらいにまでなります。そして、2店舗目が春日部に出店した『とり鉄』です。こちらもご存知のようにFCです。『とり鉄』は最初からいい具合にヒットします」。
「とり鉄」は投資額も、プロントの1/3くらいで済んだから、そのぶん、回収にも時間がかからなかった。ふたつのFCを軌道に乗せることで、小林氏の自信も、評価も高まる。
「そのあとも『九州熱中屋』など、FCを出店し、それから、オリジナルブランドを出店します。今年9月にも11店舗目を出店する予定の『ラッツ ダイニング』もオリジナルブランドの一つです」。
FCで得たノウハウを移植する。もともと、「FCだから、儲かるだろう」ではじめたわけではない。いい意味で、ノウハウを盗む覚悟があったから、実ったオリジナルである。

出店は、スローペースで。

オリジナルブランドも好調だが、FC店もかなり長い。FC本部との付き合いも、濃くなっていることだろう。
「そうですね。『プロント』で20年、『とり鉄』で16年ですから。付き合いという意味では、いろんな人脈ができたのが、いまの財産です」。
たしかに、名前を挙げてもらうと錚々たるメンバーだ。いい意味で、日本で飲食ブランドを展開する人たちのつよいコアのなかに、小林氏もいるような気がした。
2018年7月現在で、店舗数は17店舗とのこと。今年の9月のほか、翌年の3月にも出店する予定だ。「そうですね。年2店舗ずつ。ゆっくりと、ね」と小林氏。
たしかに、ゆっくりしたペースだ。小林氏なら、もっとハイペースも可能だろう。しかし、アクセルを踏み込まないところに、小林氏の考えが反映されていた。
「出店は人の問題ですよ。『人』。だって、いまはそうでしょ。人がいない。でも、私たちは、単に『人がいない』ではなく、『人を育てる』には、時間がかかると思っているんです。年間2店舗というのは、そういう意味でのペースです。海外にも、興味があるんですが、無理しようなんて、ぜんぜん思ってないですね」。
「会社が大きくなったからと言って、従業員が幸せと限らない」と小林氏はいう。たしかに、そうだ。ただ、その思いを、きっちりと制御できる経営者も少ない。それも、事実だろう。
ともあれ、週イチ、海に向かう。そして、沖へ、沖へ。夏も、そして、冬も。波をつかまえる。それがストレス発散だと小林氏は笑う。
いまの若い社員が、リスペクトする経営者は、ひょっとすれば難しい経営哲学を語る人ではなく、こんな素の経営者ではないだろうか。飾りのない素敵な人だ。

思い出のアルバム
 

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