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第721回 株式会社ソラノイロ 代表取締役 宮ア千尋氏
update 19/07/09
株式会社ソラノイロ
宮ア千尋氏
株式会社ソラノイロ 代表取締役 宮ア千尋氏
生年月日 1977年2月16日
プロフィール 青山学院大学卒。「一風堂」で、河原成美氏に師事し、2011年独立。ラーメンの食べ歩きは、高校生時代からスタート。学生時代には、日本の津々浦々、計500店を食べ歩く。
主な業態 「ソラノイロ」
企業HP https://soranoiro-vege.com/

一杯を彩る、ソラノイロのラーメン。

ラーメンに色彩がある。赤、オレンジ、緑…。観た目はもちろんだが、味のバラエティも豊か。オシャレなカフェでいただくような、フォトジェニックな逸品ぞろいである。
ベジタリアンが、好むのは「ベジソバ」。動物系の素材を一切使用していないのは「ビーガンベジソバ」。ここに150円をプラスすれば、グルテンフリーの美味なラーメンがいただける。
今回、ご登場いただいたのは、この評判のお店「ソラノイロ」の代表取締役 宮ア 千尋氏。1977年2月16日生まれの41歳だ。
「ラーメンの食べ歩きを始めたのは、15歳です。高校時代には150軒ちかく回りました」。年季が入っている。「大学生になってからは拍車がかかり、卒業まで400〜500軒は食べ歩いたと思います」。
まさに、ラーメンフリークである。その経歴から生まれたラーメンは、ある意味、ラーメンとは別物。ラーメンから進化した新たなジャンルと表現したほうがいいかもしれない。
はたして、どのようにして、「ソラノイロ」は生まれたのだろう。もう少し詳しく、宮ア氏の足跡を追いかけてみよう。

ラーメン食べ歩き。

「小学校の頃は、野球をやったり、虫とりをしたりするふつうの少年です。お祭りが大好きで、私の飲食の原点は、テキヤさんです/笑」。
中学では陸上部に所属。高校は都立高校に進んで、バスケットボールをはじめ、この部では部長を務めている。「食べ歩きを始めたのは、この頃です。きっかけは、親父が持っていたラーメンの本です」。
もっとも、食べ歩きはラーメンだったが、バイトはうどん屋。なんでも友人の家がうどん屋さんを経営していたからだという。ちなみに、高校のバスケットボールでは都大会で、ベスト16に入っているからすごい。
「大学は青山なんですが、そちらでもバスケをつづけます。一方、食べ歩きには拍車がかかり、ラーメンを食べない日はないくらいになりました」。大学生になってからは、バイト先もラーメン店。ラーメン博物館で、はたらきながら、ラーメンにより一層、魅了される。
ちなみに、この頃、いろんな著名人と交流する。ラーメンデータバンクの取締役会長で、自称日本一ラーメンを食べた男、大崎裕史氏もその1人。また、ラーメン評論家の石神秀幸氏も、一風堂の河原成美氏とも、この時に出会っている。
ラーメンという磁石が、多くのフリークたちを惹きつけたのだろう。

ラーメン愛は、通い合う。

大学卒業後、宮ア氏は、人材業界の大手企業に就職するが、わずか4ヵ月で退職してしまう。一般企業でラーメン愛を語れないからだろうか。
「そのあと、調布にある個人のラーメン店でお世話になります。あとで河原さんからも怒られるんですが、勉強のために就職したんですが、店主とケンカしてしまって。それで、こちらも4ヵ月です/笑」。
ほかに手はない。宮ア氏は、「河原さん」という、一風堂の河原成美氏に電話を入れる。六本木で会い、翌日、福岡にいっしょに向かった。
「1週間くらい向こうで寝泊まりさせてもらって、帰りもおなじ飛行機です。その時、『就職させて欲しい』っていうんですが、『いまはだめだ、待て』と。OKがでなかった。3回目で、はじめて『わかった』って」。
翌年、新卒とおなじ枠で採用される。同期は6名。
そのなかで、宮ア氏はもっとも社長に近かった。いや、会社のなかでも、河原氏と宮ア氏はちょっと他とは、異なった関係だったかもしれない。互いにラーメン愛が抜きんでている。
「社長との距離っていうのは、だれが決めるんでしょうね。ぼくは、自分から、河原さんに電話を入れました。そうですね。社長と社員だからじゃないかもしれない。どちらかと言うと、ラーメンを愛する者同士の情報共有。そんな具合だった気もします」。
宮ア氏は、新店や、流行の店を紹介した。2人いると話は尽きない。ラーメンという共通言語がある。「河原さんも、私も、たいていの店は行っているでしょ。だから、話も弾むんです」。
「ええ、最初から独立するつもりだったし、河原さんにも3年と言っていました。ただ、3年経った時に『五行』への異動が決まり、もう少し勉強してみよう、と。で、最終的には本部も2年。結局11年、お世話になりました」。河原氏とはまだ付き合いがある。
「最後は、なかなか辞めさせてもらえなかった」と宮ア氏はいうが、もちろん円満退職である。

ソラノイロの彩り。

学生時代の、500店に及ぶ食べ歩き、ラーメン好きたちの人脈、一風堂での11年に及ぶ修業。失敗するほうが、難しいくらいだ。ただし、そんな宮ア氏でも難しいのが、ラーメン店の経営である。
「ソラノイロは、2011年6月にオープンしました。創業当時から、ソラノイロのラーメンは、唯一無二なんです」。ほかでは食べられない、と宮ア氏はいう。たしかに、ラインナップを観れば明らかだ。
「ぼくの食べ歩きは、たぶん、相当な軒数です。だから、わかるんです。一般のお客さんが『旨い』というラインです。ふつうの人はふつうの人が、パクチーのラーメンを食べて、『旨い』なんていいませんよ/笑。ただ、中毒性っていうんでしょうか。そういうとんがった味は、一部の人を魅了するんです」。
「好み」。ラーメンの最高の一杯は、案外、すべての人の、「好み」の幅に入っているラーメンのことなのかもしれない。「そうですね。ただ、うちの、ソラノイロでは、それとは異なるチャレンジもしています。それは、○○ラーメンではなく、そうですね、いうなら、ソラノイロにしかないラーメンです」。
冒頭に挙げた、ベジソバなどは、その好例だろう。
「とにかく、お客様にも楽しんでもらいたいんですね。だから、ぼくは、いつもお客様だったら、という目でうちのラーメンを観ています。え、ぼくが食べたいラーメンですか? そんなラーメンはつくったことがない。だって、大事なことは、お客様が好むか、好まないかでしょ。ぼくじゃない」。
「いま、ニンジンの冷たいのや、フルーツやミントなどのハーブですね。そういうのをだそうと。これが中華っていうのは、うちがやらなくてもいいでしょ。うちの存在意義、そういうのを大事にしていこうということです」。
宮ア氏はそういって笑う。
たしかに、一杯のラーメンから匂いたつ香りは、ほかとは違う。色彩は、いうまでもないだろう。ただし、けっして奇抜ではない。オリジナルの表現が、示すのは、宮ア氏のラーメン愛、それだけでもある。

思い出のアルバム
 

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