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第733回 株式会社かどや 代表取締役社長 清家幹広氏
update 19/08/20
株式会社かどや
清家幹広氏
株式会社かどや 代表取締役社長 清家幹広氏
生年月日 1953年2月13日
プロフィール 愛媛県宇和島市出身。大学卒業後、広島の飲食会社に就職。25歳、家業である「かどや」に入店。40歳の時に、OGMの榊芳生氏に出会い、地方のいち事業家で終わらないと決意。42歳、社長である父を説得し、2号店を出店。以来、出店をつづけ、2019年現在18店舗1事業部を展開している。父親の後を継ぎ、社長に就任したのは51歳の時である。
主な業態 「かどや」「味奈味・とんとん」「KAMADO DINING えん家」「かどや半兵衛」他
企業HP http://kadoya-next.co.jp/

愛媛県宇和島市。

「山の幸も、海の幸もあった」と「かどや」の社長、清家氏はいう。愛媛県宇和島市出身。1953年生まれ。「愛媛は、みかんでしょ。むかしはうちもみかん農家だったんです。ただ、私の父の代になって、『食』にかわるんです」。
清家氏の父親は7人きょうだいの長男だったそうで、もともと農家の跡取りである。
「父の弟、私には叔父ですが、その叔父といっしょにお菓子の製造・販売と食堂をはじめます。まだ戦後ということもあったんでしょうね。『これからは食だ』と10坪程度の食堂をはじめます。それが『かどや』のはじまりです」。
「最初は食堂と言っても素人の『うどんや』ですが、父が寿司を修業に行ったりしてメニューも本格化します。昭和40年代には、そのあたりではいちばん背が高いビルを建てていましたから、相当、儲かってもいたんでしょうね」。
地方といっても、父親は、それなりの事業家となる。
「ただ、小っちゃい頃は、食堂屋の子って言われるのが、イヤでした。中学までは家と店がいっしょでしたから、とくにそう思ったのかもしれません」。
とはいえ、その食堂屋のおかげで、不自由な思いはしたことがない。「中学はテニスです。バスケは高校からですね。当時ですか? 飲食には進みたくないと思っていました。朝から夜まで仕事でしょ。休みも年に数回。そういう父と母を観ていますからね、そりゃ、やりたいって思わないでしょ。ふつうは」。
いつしか、父親とは距離ができ、高校生になった頃からは口もきかなくなったらしい。ひたすら事業に打ち込む父親が、理解できなかったのかもしれない。

守りと攻め。父と子、それぞれの意見。

「大学は東京の『東京経済大学』に進みます。就職したのは、広島にある飲食会社です。そちらで2年はたらき、25歳の時に『かどや』に転職します。母が亡くなったのが、大きな理由です」。
母親がいなくなると「かどやもこれで終わり」と、囁かれたらしい。「かどや」にとって母親は、それほど偉大な存在だった証である。「たしかに、母の接客は心が行きとどいていましたね。いまでいえば、最高レベルの接客といってもいいんじゃないでしょうか」。
母親のためにも、「かどや」をこのままにはできないと思ったのだろう。「そうですね。2年ですが、飲食の経験がありますからね。じつは父とも、少しずつ話をするようにもなっていたんです。とはいえ、父は経営者であると同時に、職人気質の人でもあります。私は、料理もできないし、そもそも経営者志向ですからね」。
意見が衝突したことも少なくなかったそうだ。「まだ、私も若かったから、父の厳しい創業者精神が理解できなかった。今なら、もちろんわかることばかりなんですが(笑)」。
父親と清家氏。
清家氏は何度も出店しましょうと迫ったが、父親は頑なに首を縦にふらなかった。業績は悪くない。冒険を犯す理由はなかったのだろう。でも、業績だけの話なんだろうか。
どうしてでしょう?と話をふってみた。
「どうでしょう。とにかく出店したいと、それしか思ってなかったからでしょうね。それじゃだめだ、と。じつは、私をOGMの榊さんの講演に誘ってくれたのも父なんです。まだまだ、経営者として私の思いも、言葉も軽かったんでしょうね」。

宇和島から松山、東京、世界へ。

OGMの榊氏については、もう、語るまでもないだろう。榊氏を神のように慕う経営者は飲食の世界には少なくない。やがて、清家氏も、その1人となるのだが。
「40歳の時です。榊さんの講演を聞いて、人生観がかわります。私は、出店といったって私のことしか考えていなかったんです。ゼロとはいいませんが、スタッフのことはぜんぜん考えてなかった。所詮、地方の小っちゃい事業家にすぎなかったんです」。
2代目。いうならば、最初から、人も、金もぜんぶそろっていた。
そう語る清家氏がかわったのだから、目指すのは従業員満足度、つまりESの向上だ。そのためには、そう、出店も当然、行わなければならない。
「42歳の時に、初めて2号店を出店します。だいたい年商が2億円です。その店に、4億円以上、投資しました」。それ以降も、清家氏は、積極的な出店を進める。当然、投資回収の繰り返し。これ以上のリスクはないだろう。実際、資金繰りに困ったこともある。その時、資金の相談にのってくれた、ある金融機関の理事長も、清家氏、また、「かどや」にとっては救いの神である。
2019年6月現在、かどやは、「かどや駅前本店」を中心に18店舗出店し、ネット事業にも着手している。そのうえで、清家氏は、次のようなビジョンを掲げている。
「宇和島から松山、東京、世界へ。小さくても、面白い会社を創る」。
その文につづくメッセージのなかに「ALLかどや」という言葉がある。
面白い会社づくりに、スタッフはかかせない。いや、スタッフにとって、面白い会社こそ創る意味があるのだろう。「ALLかどや」。この発想がまた面白い。
宇和島から世界へ。「ALLかどや」で挑む。
これがいまの清家氏の現在地である。

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